第8話 迷うもの、迷わないもの
◇
「アリエッタさん。アリエッタさん! どうかしましたか?」
「えっ?」
サルテの村の一軒の民家。
リッドの家に招かれ、夕食をごちそうになっていたアリエッタは、同じくパーティーメンバーの少女に話しかけられ、はっと我に返った。
「ごめんなさい。せっかく美味しい夕食をごちそうになっているのに、ぼうっとしてしまって」
そう言って微笑む見習い女性騎士。
魔法使いの少女フィアは、年上ということで一方的に距離を感じていたアリエッタのそんな姿に、なんとなく親近感を覚え苦笑した。
「今日は色々大変でしたもんね」
「……そうね。賊には逃げられたけど、みんなのおかげでアジトを潰すことができたし。あの洞窟には定期的に騎士団と警備隊が巡回に行くことになったから、今後この辺りに彼らが出没することはないわ」
「ですねっ」
和かに言葉を交わす二人。
そんな女性陣のやりとりを見ていた向かいのリッドが、ぶすくれた顔をする。
「あーあ。もう少しで捕まえられたのになあ。あの黒い煙さえなけりゃあ、連中に逃げられることもなかったのに……」
ポカッ
「痛てっ!」
後ろからやってきた母親にゲンコツをくらい、頭を押さえるリッド。
「生意気言ってんじゃないの。あんた程度の剣の腕で生きて帰ってきただけ儲けものなんだから。あんた達が家畜泥棒を追いかけてったって聞いて、母さん気が気じゃなかったんだからね!」
「リッドは自信過剰なのよ」
母親と幼なじみの少女に散々に言われ、少年は意固地になる。
「べっ、別にあんな連中なんてことねーよ! ––––ねえ、アリエッタさん?」
「あ、えっ? ––––そうだな。どうだろう」
突然話を振られ、あたふたする女性騎士。
彼女は視線を落とし、しばし考えると口を開いた。
「多分向こうは、私たちを殺すつもりはなかったんじゃないかな」
「え?」
アリエッタの思いがけない言葉に、固まるリッド。
「彼らがやってきたことは立派な犯罪だけど、まだ人殺しだけはしてないからね。今ならまだ捕まっても牢屋行きか鉱山送りで済む。––––実際彼らも、その一線を意識しているように見えたし」
「え?! じゃ、じゃあ、今日の戦いは奴らが手加減してた、ってこと?!」
「いや、手は抜いてなかった。ただ、こちらをいなして隙をつくり、逃げることを優先するような……そんな立ちまわりをしているように見えた」
「そんなぁ。俺はてっきり対等にやり合えたと思ったのに」
がっかりして肩を落とすリッド。
そんな彼を見て微笑むアリエッタ。
「リッド。騎士の剣は大切な人たちを守るための剣なんだ。私は君の剣が彼らの血で汚れなくてよかったと思ってるよ」
「そうなんですか?」
「ああ。罪を犯したなら償わせるべきけれど、それは相手に何をしてもいいっていうことじゃないから」
アリエッタは騎士志望の少年にそう諭しながら、心の中である言葉を呟いていた。
(そう。彼だって––––)
先ほどから彼女の頭の中で、ある言葉と光景がリフレインしていた。
『誰も俺を助けてくれなかった』
『どこにも俺の味方はいなかった』
『誰もが君のように、真っ直ぐに生きられる訳じゃないんだ』
素手で槍の穂先をつかみ、涙を浮かべ搾り出すようにそう言った『彼』。
彼は一体、どんな人生を歩んできたんだろう?
その瞳が、言葉が、頭から離れない。
(彼には、私が真っ直ぐ生きているように見えていたようだけど……)
確かに彼女自身、そうあろうとしてきた。
だが––––
(……そんなことないのに)
世の中、ままならないことだらけだ。
後宮での母の扱いも。
力のない自分も。
何もかも嫌になる。
「また、会えるかな」
言い合っているのかじゃれあっているのか分からない少年と少女を前に、アリエッタは自分でも気づかないうちに、そんな言葉を呟いていた。
☆
一夜明けた朝。
はじまりの朝。
目が覚めた俺は干し肉をかじると、早速狩りに出かけた。
俺にとって初めての狩り。
盗賊団『黒い三角形』では洗濯や食事の用意など雑用ばかり押しつけられ、獲物を獲ってくるのはもっぱらタッテとヨッコの仕事だったから。
おかげで俺のベースレベルはまだLv3にすぎない。
スキルを何も持っていなければ、このフィンチリーの森ですら普通に戦うのもキツいレベル。
だけど––––
「『スライム』」
コールと同時に、右手に透明な粘液の入ったびんが現れる。
ギシャーッ!
突進してくる土色のデカいウサギ。ヤブウサギ。
可愛い?
いや顔が豚みたいだが。
おまけに額には尖ったツノ。脚から伸びた長いカギ爪。
どう見ても魔物ですありがとうございます。
機敏に飛び跳ね、迫ってくるブタウサギ。
不規則な上下の跳躍が、狙いを狂わせる。
チャンスは一瞬。
ギシャーッッ!!
「はっ!」
魔物がツノで串刺しにしようと体当たりしてきた瞬間、俺は敵を躱しながらすれ違いざまにブタ顔にびんを叩きつけた。
バチャッ!
飛び散るびん。
膨張するように広がるスライム。
びんは一瞬で光る粒子となって消え––––
ブボッ––––ブボボボボボォオッ!!
ブタウサギは頭部を大量のスライムに包まれ、ゴボゴボと粘液の中で溺れ始めた。
ゴボボボボボッ!!!!
目、鼻、耳、口にスライムが入り込み、その酸で獲物の感覚器を焼く。
声にならない声をあげて地面に転がり、のたうちまわる魔物。
当然、そんなことじゃスライムは離れない。
「悪く思うなよ。襲ってきたお前が悪いんだ」
気道を塞がれた魔物はまもなく窒息したのか、動かなくなる。
俺は魔物に近づき魔法びんを発動してスライムを回収すると、短剣でその胸元を突き刺した。
グサッ!!
トドメの一撃。
「?!」
その瞬間、体がふわっと軽くなり、力がみなぎる。
「れ、レベルアップ?!」
久しぶりに感じるレベルアップの感覚。
久しく感じることのなかったその感覚に、俺は思わずこぶしを握る。
自分のために戦い、自分のために勝つ。
もう、迷わない。
俺は、もう二度と俺を使いっ走りになんてさせない!
「自分自身のために生きるんだ」
呟いた俺は、早速新鮮な肉の確保に取り掛かる。
今まで解体と調理を全部押しつけられてきたのだ。こんなのはお手のものだ。
その日、さらに一匹のブタウサギと、複数の苔リス、泥トカゲを倒した俺のベースレベルは、夕方にはLv5にまで成長していたのだった。





