第4話 煙と推しと縛り首
「『煤煙』」
右手に一本のびんが出現した。
黒灰色のもやが詰まったびん。
俺はそのびんを、ビンダッタの足元目掛けて投げつける。
奴の勘がそうさせたのか。
後方で燃えさかる物資からビンダッタが視線を戻し、『それ』を視界に捉え目を丸くした瞬間––––
びんは地面にぶち当たり、キラキラ光る粒子となって弾け飛んだ。
バシュウウウウウウウウ
噴き出す黒煙。
体に悪そうな気体が、すごい勢いでフロアに広がってゆく。
「ゲホッ! ゲホッ!! ……っなんだこりゃっ?! ゲホッ!!!!」
真っ先に煙にまかれたビンダッタが、口と鼻を腕で押さえて激しく咳き込む。
「な、なんだこのけむ……ゲホッ!!」
ゲホッ! ゲホッ!
奴の近くにいた者たちも、次々に煙にまかれてゆく。
この日のために、俺はここしばらくずっとあることを繰り返していた。
煤煙集め。
ビンダッタたちが酒を飲んで寝静まり、俺だけが仕事をさせられていたあの時間に。
俺はわざと焚き火に湿った薪を放り込み、煤まじりの煙を吐かせてはそれを『魔法びん』で回収する、ということをしていた。
すべては、この瞬間のために。
「目が、目があああああっ!!」
のたうちまわるタッテ。
「な、なんなんだよ、これ? ––––ゲホッ!」
煙を吸い込み咳き込むヨッコ。
よし。
効果は絶大。
この隙に––––
俺は布を口に当て、腰を低くして出口を目指す。
周りは煙でいっぱいで、敵も味方も……いや、盗賊も勇者パーティーも、もはや人影らしきものが蠢いている程度にしか視認できない。
分かるのは、光射す出口だけ。
目を細め、光を目指して静かに移動する。
だから、ギリギリまで気づけなかった。
自分の喉元に、刃が突きつけられようとしていることに。
「待ちなさい、そこの貴方」
凛とした声。
清潔感のある白い騎士服。
そして、突きつけられた槍の穂先。
アリエッタが……ずっと恋焦がれてきた俺の推しが、目の前に立ちはだかっていた。
「仲間を置いてどこに行くの」
「う、うぇ?」
推しの問いかけに、無様な返事をする俺。
「仲間を見捨てて、一人で逃げるというの?」
眉間にわずかに皺を寄せ、さらに問うアリエッタ。
「ち、ちがう。あ、あ、あれは、ななな仲間じゃないっ」
「仲間じゃないって……でも、彼らと一緒にいたじゃない。––––枷もされてないし、攫われてきた訳じゃないわよね?」
「そっ、そっ、それは……」
逃げてもすぐに捕まるから。
捕まって気絶するまで殴られるから。
枷がなくても逃げることができなかった。
でも、そんなことを言って彼女は信じてくれるだろうか?
彼女の瞳が––––全てを見透かすような青い瞳が、静かに俺を見つめている。
その瞳が、立ち姿が、俺の胸を射抜く。
「う、あ……」
言葉が出ない。
恋焦がれた推しとの会話。
彼女が俺を賊と見做し、槍を突きつけているという現実。
頭と心がぐちゃぐちゃで、真っ白になった。
そんな俺をしばらく見ていたアリエッタは、やがて、ふう、と小さく息を吐いた。
「わかりました。あとで騎士団の詰所で話を聞きますから。今は縄を掛けさせて下さい」
その瞬間、恐怖で頭が冷えた。
「い、いやだっ!」
「え?」
「と、盗賊は縛り首だろ。知ってるぞ!」
そうだ。
盗賊は縛り首だ。
小さい頃に街はずれで見た。
縛り首になり並んで吊るされ、風雨に曝されて無惨に腐ってゆく盗賊の死体を。
それに、ゲームの行商人も言ってた。
––––『みんな縛り首になった』って。
俺は再び叫んだ。
「縛り首はいやだ。縛り首はいやだっ!! 俺はまだ死にたくないっっ!!!!」
そんな俺を見て、戸惑うアリエッタ。
「も、もちろん貴方が人殺しならそうなるでしょうけど、そうじゃないんでしょう? 騎士団でちゃんと話を聞くから––––」
「嘘だっっ!!!!」
「え?」
「君は俺の話を聞くだろうさ。だけど他の騎士がその話を信じるか? 街の人が信じるか? 皆が俺を『吊るせ』と叫んだとき、君にそれが止められるのか?!」
「そ、それは…………私がみんなにちゃんと説明して––––」
ガッ
「!!」
俺は目の前にあった槍の穂先を左手で掴んだ。
刃が指に食い込み、血が滴る。
––––痛い。
「なっ、貴方なにを?!」
そのまま、穂先を掴んだまま、動揺する推しに近づき、その瞳を覗き込む。
透き通った青い瞳。
目を見開き、驚き戸惑う少女。
自分の信念を貫いて生きる、俺の最推し。
ああ、やっぱり素敵だ。
でも君のその真っ直ぐさは、この世では通用しない。
「これまで誰も、俺を助けてくれなかった」
俺を見つめるアリエッタの瞳が揺れる。
「どこにも俺の味方はいなかった……!」
いつの間にか滲んだ涙が、頬を伝う。
俺は槍から手を離した。
「誰もが君のように、真っ直ぐに生きられる訳じゃないんだ」
「っ!」
そして、呟く。
「『煤煙』」
右手に現れる魔法びん。
すかさずそれを足元に叩きつける。
バシュウウウウウウウウ!
「きゃあっ?!」
勢いよく噴き出す黒煙。
悲鳴をあげて後ろに飛び退き、尻もちをつくアリエッタ。
(きっともう、会うことはないんだろうな……)
辺りに黒い煙が広がる中、俺は最後にひと目だけ彼女を見ると、全力で出口に向かって走り出した。





