第0話テサシアパート:デビュタント
書籍版テサシアの試し読みとして、書籍版での追加エピソード、「デビュタント」です。
本編より数年前、14歳のテサシアがデビュタント・ボールにてルートヴィッヒを初めて目撃した日の話になります。
ーーがたごと、がたごと。
馬車の車輪が石畳の上を進んでいきます。
わたしが十五歳になる年の春。家族とともにやってきた初めての王都は驚きの連続でした。
裏通りですら舗装された石畳の道、祭りでもないのにそこを行き交う無数の人々、石造りの家と家は隙間なく立ち並んでいます。
そしてその奥、王都の中心部に聳え立つ巨大な建築物。それは王城や教会であり、その尖塔は天を擦るのではないかというほど。
わたしははしたなくも、馬車の窓から身を乗り出すように流れていく王都の街並を眺めます。
「ふあぁ」
「テサシア、驚いたかい?」
四人乗りの馬車、向かいに座るお父様が笑って問いかけました。
わたしは座席に座り直し、こくこくと頷きます。隣に座るお母様が笑いました。
「ふふ、早く慣れないとね。テサシアはこれからここで暮らすんだから。ああ、寂しくなるわね!」
王国の北方の辺境、エッゾニアからわたしが家族と一緒にやってきたのはデビュタント・ボールに出席するため。王国の貴族令嬢は十五歳になる歳の春、社交会へのデビュタントとして国王陛下に挨拶するの。
それとわたしがこの秋から王都の学校、カウフォードに通うようになるため。
「エッゾニアの貴族達が王都滞在の時に泊まるタウンハウスがあるから、これからはそこに滞在だ。今日はそこに着いたら荷解きをして休み、学校の見学や準備、デビュタントの衣装の手直しは明日以降だな。疲れただろう?」
わたしは頷きます。
……おしりいたーい。馬車の旅がこんなに大変だったとは思わなかったわ。馬に乗ってきた方が正直楽だったんじゃないかって思うくらいよ。
わたしたちはエッゾニアの貴族たちのためのアパルトメントに向かい、その一角をタウンハウスとしてお借りします。
半年後の秋から通うことになる学校、カウフォードの見学やその女子寮の下見に教科書の用意、受講する科目の選定。そしてデビュタントの準備。デビュタントのドレスはノーザランの領地で用意してくれましたが、その調整や冠の用意などに時間を取られます。
そして……。
「きつい無理無理死んじゃう!」
「お嬢様、声が出るうちはまだまだいけます! はい、息を吐いて!」
「ぐぇー……」
普段コルセットなんてろくに締めることなくエッゾニアの野山を走り回っていたわたしは、日々ウエストを絞らされた上で礼儀作法の訓練をさせられました。
キツくコルセットで締められて括れたウエスト、その上に纏うドレスは袖なしの純白のボールガウン。ドレスはウエストの下から丸く広がり、その裾にはエッゾニアの伝統的な魔除けの紋でもある図案化された棘蔓草の刺繍が精緻になされています。
純白の長手袋は指先から肘上までを隠し、栗色の髪を纏めるのは銀の冠。
「テサシア、よく似合ってる。見違えたじゃないか」
鏡の前に立つわたしにそう言うのはマサキア兄様。今回デビュタントのエスコートをつとめてくれる彼もまたテールコートにホワイトタイと正装に身を包んでいます。
「マサキア兄様もそうしていると貴族のご令息に見えるわ。服が人を作るわね」
「お互いにな」
わたしたちがそう言いあっているとお母様が続けます。
「あら、礼儀作法が人を作るのよ。さあ、それを見せて?」
わたしたちはお父様とお母様に向けて貴族としての礼、お兄様は紳士の礼を、わたしは淑女の礼を取りました。
お母様が涙ぐまれ、ハンカチで目の下を抑えます。
「お母様、お父様。今日この日までわたしを育ててくださりありがとうございました。またカウフォードへの進学を認めていただきありがとうございます」
わたしはお母様とお父様を順に抱きしめ、感謝の言葉を告げました。
王都の夜、馬車が次々と王城へと集まっています。
実家の屋根よりも高い広間の天井。初代王を讃える絵画、彼の戴冠や戦勝の絵が、そんなところにどうやって描いたというのかという高さにまで描かれています。
雪花石膏の精緻な彫刻が燭台を支え、吊り下げられたシャンデリアは最新の鉛硝子のクリスタルが光を無数に反射して煌めく。
部屋のどちらを見ても季節を無視したかのように無数の花々が華やかに飾られ、芳しい香りに満ちています。その中を歩むは父親や兄、あるいは婚約者といった殿方にエスコートされるデビュタントたち。
まずは国王陛下へデビュタントたちが拝謁のご機会を賜り、挨拶を行うのですが爵位が上の方から行いますから、ノーザラン家は貴族の五爵の中でも最も下位の男爵ですので最後の方です。
この後で舞踏会場となる広間の隅の方で、呼び出されるのを待ちます。
「はぁ……」
思わずため息が漏れました。
「何か取ってくるか?」
マサキア兄様の言葉にわたしは首を横に振ります。陛下にお目通りする前にお酒をいただく気にはなりませんし、食べ物もちょっとね。コルセットがキツいのと、胸がいっぱいで。
広間を笑いさざめき歩くデビュタントの女性たち。
夜会は初めてであってもお茶会やパーティーに慣れているであろう余裕ある優雅な所作。地方貴族や平民にはまずいない金糸・銀糸のように輝く髪。一度たりとも日に焼けたこともなさそうな白い肌。
身につける宝飾品の輝き、そしてドレスに施された刺繍の洗練されたことといったら!
彼女たちのスカートの裾には薔薇や百合といった華やかな花の刺繍が、肩や腕には繊細な透かし編みが施されています。
わたしのドレスの裾、エッゾニアの伝統的なデザインである棘蔓草の刺繍が急に恥ずかしく見えました。
笑い声が聞こえる。
「ねえねえ、あの子のドレスご覧になって?」
びくり、と肩が震えます。
わたしの側に立っていたデビュタントの女の子たちが広間の入り口付近にいた女の子を指していました。
「あら、せっかくのドレスにバタークリームを塗りたくったのかしら?」
「本当よねえ? 田舎娘はせっかくのデビューにシルクも買えないのね」
囁いて内緒話をするするような、純白のドレスを身に纏う彼女たち。ですがその声は決してひそめられたようなものではなく、明らかに周囲に聞かせるための声量。
そちらを向くと、クリーム色に近い白のドレスを身に纏う令嬢の姿が。彼女にもその悪意ある声が届いたのか足を竦ませて俯かれてしまいます。
わたしはドレスのスカートを強く握りしめる。こんなことしたら皺になってしまうのに。
ですがその時でした。
「私はそうは思いませんね」
落ち着いた、しかしパーティーのざわめきの中でもはっきりと通る男性の声が広間に響きました。
その声の主は漆黒のテールコートにホワイトタイを隙なく着こなした同年代の殿方。背はすらりと伸ばされ、丁寧に梳られた銀の長髪を緩く縛って背中に流されています。
右手には純白のドレスを身に纏ったデビュタントの令嬢をエスコートし、左手を顔にかざして中指でかけていた銀縁眼鏡を中指でくいっと上げられました。
その言葉に、あるいは彼の存在感に、近くにいた誰もが動きを、会話を止める。まるで会場のここだけ時間が止まったかのように。彼は続けます。
「今のデビュタントのドレスの流行りが純白であることは認めましょう。ですが生成りの意味も分からず貶めようとするとは嘆かわしい」
「まあ、ルートヴィッヒ様。どんな意味がございますの?」
そう問いかけるのは彼の右腕に手を置く令嬢。デビュタントの見本とも言える純白のボールガウンにオペラグローブですが、同じデザインであっても明らかにこのあたりにいる令嬢たちよりも一段上の装い。飴色のウェーブした髪を纏めた白金の冠を飾る紫の宝石が煌めきます。
「取り繕ったものではない誠実さですよ。これとて純白に負けずとも劣らぬデビュタントに相応しい色と言えるでしょう。さあ、ナルミニナ。陛下にご挨拶に行きましょう」
「ええ」
ナルミニナ様と呼ばれたご令嬢はにこやかに微笑み、二人はその場を後にされました。
生成りのドレスを纏うご令嬢は去りゆく二人の背に向けて、跪くかのように深い、深い淑女の礼を取られます。そして立ち上がると、晴れやかな笑みを浮かべられました。
わたしはため息をつきます。
「……なんという手際」
今、ルートヴィッヒ様と呼ばれた方が仰った生成りの意味が真実なのかは分かりません。デビュタントのドレスコードは年々変化していますから。ですが現在のデビュタント・ボールにおいてドレスコードが純白であるのは事実。それでもああも自信を持って言われればそういった習慣や歴史があるように感じます。
「……なんという美貌」
わたしは今日、中央の高位貴族の方々がどれほど輝いているかを知りました。そしてその綺羅星の中でも一際明るく輝く一等星を、その光を受けて優しく輝く方がいることも。
「……なんという機転」
去り際も素晴らしい。侯爵か伯爵か、この順番で陛下にデビュタントへの祝福を受けられると伝えることで、ここにいる者たちよりも高位貴族と示した上で反論も塞いでみせた。
「そして救われたのは彼女だけではなく……」
貴族とはいえ純白のボールガウンを誰もが用意できるわけではありません。それは彼女もそうですし、母や姉のドレスを仕立て直した少し古びたものを纏う子も、灰がかった白のドレスを着る子も、宝石を用意できなかった子も。
自信なさげにしていた子たちがみな前を向きました。
もちろん、それはわたしもです。
ボールガウンの刺繍のデザインが洗練されていないことに気遅れしていた心が晴れていきます。
確かに王都の流行りの刺繍とは異なります。しかしその一針一針に、模様に籠められた祈りや技術は誰に劣ることがあるでしょう。
「テサシア?」
思考に沈んでしまったわたしを心配したのか、エスコートする兄様が声をかけました。
わたしは深く頷きます。
……ルートヴィッヒ様。あなたはわたしたちの一生の思い出となる日を救ってくれました。
「一生推せる」
お父様、お母様、マサキア兄様。わたしは推しを見つけました。
ちなみにこのシーン、書籍版はウエハラ蜂さんの超美麗挿絵が入っている箇所です。
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