第0話:ビギニング
ξ˚⊿˚)ξ <日間総合ランキング1位取った記念にオマケのストーリー追加させていただきました。
ξ˚⊿˚)ξ <感謝ですの!
昼休み、カウブリッジの学園内にある小会議室。
外からは生徒たちの笑いさざめく声が響く中、部屋の中は私と殿下の二人きり。
人払いのされたそこで、徐に殿下が苦渋を滲ませた声を発した。
「ルートヴィッヒ、クレイーザがミズキを暗殺しようとしていることの裏が取れた」
「ええ、ナゲイトア大公家の関与は?」
「間違いない」
殿下の婚約者であるレディ・ナゲイトアは異世界渡りの聖女、ミズキ様と殿下が親しくしているのに悋気をおこされた。
まあ、公平に見て殿下にも責はあるだろう。
だが、レディ・ナゲイトアはやり過ぎだ。もっと冷静に立ち回ればこうはならなかったであろうに。
「では予定通りに?」
「ああ、社交シーズン最初の夜会で婚約を破棄し、新たにミズキを婚約者として発表、王家の庇護下におく」
私は殿下の顔を見る。端正な顔に浮かぶ9割の苦渋に隠された1割の歓喜。
そっと内心でため息をつく。殿下は続けた。
「レディ・ウシィクヒルとはどうする?」
「どうするも何も婚約を解消するしか無いでしょう」
ナルミニナ・ウシィクヒル。我が婚約者。
殿下がわざわざ私だけを呼び出した理由であろう質問を発され、私は即座に用意した答えを返した。
「ミス・ウシィクヒルはクレイーザの手として働かされただけだ。温情の余地はあるし、今なら揉み消すこともできる」
茶番だ。私は眼鏡を手で押し上げ答える。
「殿下、そのようなことで王家への忠誠をはからなくてもよろしい。
……そうですね、事情を斟酌して彼女を罪には問わないでいただけるよう後ほど一筆したためて下さい」
殿下は顎を引くようにして僅かに頭を下げた。
「失礼した、次代のアーヴェライン侯。そのように取り計ろう。
下がって良い」
私は立ち上がり頭を下げる。髪が一条顔へとかかった。
「ルートヴィッヒ、放課後は?」
「学内の刺繍コンテストの展示に招待されていますのでそちらへ。
では失礼いたします」
「……ルートヴィッヒ。酷い顔をしている。洗面所へ寄っていけ」
わたしが一礼して会議室を退室しようとすると背中に声がかけられた。
「……ありがとうございます」
鏡の前に立つと、丁寧に梳り、整えられているはずの銀の長髪に乱れがある。眼鏡を外して紫の瞳を覗き込むと眼の下、薄く隈が出ていた。
頬を撫でると僅かに落ち窪んでいた。
連日、この件の調査や今後の立ち回りなどについての話を続け、それが露見せぬよう学校生活は平常通りを装っていた。
今日の放課後、刺繍コンテストの展示への招待を受けたのもそのためだ。
「流石に疲労が溜まっているか。だがもう少しだ」
鏡の中の自分に語りかけ、冷水で顔を洗った。
ハンカチを濡らし、瞼にあてる。
「さようなら、ナルミニナ」
じんわりとハンカチに熱が移っていった。
放課後。
私は刺繍が展示されている部屋へと向かった。
一般の公開は明日からで、今日は製作者や招待された者たちだけの特別展示だ。
教室の入り口には『第38回カウフォード刺繍コンテスト』の文字。
私が中に入ると、声を抑えてはいるものの黄色い歓声が上がる。ここにいる大半は女生徒たちだから仕方あるまい。
1位の作品は大量の花を敷き詰めたような意匠。色鮮やかな花が無数の色糸で刺繍されたもの。
誰が見ても美しい作品だろう。
「色鮮やかで素晴らしいですね」
案内してくれている生徒に微笑みかける。彼女は顔を赤らめた。
心にもない科白。
美しいのは間違いない。だがこれを学校のコンテストに出せる精神が分からない。どう見てもサレッキン工房が得手とする意匠だろうに。
2位も変わらない。如何にも女性が好みそうな似たような構図、明らかに似たような腕前の職人による作品。
高位の貴族令嬢たちが、高額な依頼料と共に工房の針子を借りて刺繍させているのはこのコンテストの公然の秘密だ。
実際1位の作品は公爵家の次女のものであったし、2位の作品は侯爵家の長女のものであった。
ああ、だがこの作品は好感の持てるところが少しある。
左隅にさりげなく置かれた花の刺繍の糸目が荒いことだ。おそらく僅かでも自分の手で入れたものだろう。
私は笑みを浮かべながら案内の子と話したり、時折、制作者という令嬢が話しかけてくるのを称賛しながら部屋を周る。華やかであれど空虚な時間。
だがその足は出口付近で強制的に止められた。
赤だった。
布の中央に配置された目の覚めるような赤が飛び込んできたのだ。
いや、全体としては緑の割合の方が高い。周囲全てを緑で覆った作品。
花ではなく草を中心としたデザイン。緻密な緑のレースの中にアザミの花が散らされている。
アザミの花咲く平原の中央に立つのは赤髪の女神。
白のドレスに黄金の胸当て、そして手には剣。
神剣を授ける女神の意匠だ。
神話に炎の髪と記される女神を表現した、鮮やかな赤毛が強く印象に残る。
そして嫋やかな手が抱く剣。全体的に曲線で描かれる刺繍の中に直線が入り、緊張感を与えている。
順位は……3位。なぜ3位なのにこんな位置に飾られている?制作者はテサシア・ノーザラン。知らない名だ。
家名のノーザラン……確かエッゾニアの男爵であったとは思う。
そうか、爵位が低すぎるのか。誰かが忖度して目立たぬ位置においた。
だが順位は3位より下には配置できなかったということか。
そしてこの作品は間違いなく彼女自身の手による作品ということだ。
ここまでの腕前の者がエッゾニアにいるのであれば彼の地は評判となっているはずであるし、地方の男爵の娘がこの時期の工房に注文するには金も伝手も無いはずだから。
そもそもアザミを好んで図案に入れる工房など王都にはない。
「……素晴らしい」
心からの声が漏れる。
女神が与える神剣は武勇、または勇気の象徴。
私は胸を押さえた。ここに今勇気が宿ったことを強く感じる。
「テサシア・ノーザラン、感謝いたします」
その名、私の胸に剣とともに刻まれましたよ。





