第14話:婚約
「これは凄まじいな……」「まさに布と糸の宝石」「美術品として額装、展示したい程です」
みなさん口々にお褒めいただきます。急いで紅茶などが机の上から片付けられ、卓上に広げて置かれました。
兄様だけが軽く首を傾げる。
「テサシア、お前が刺繍上手いのは昔から分かっている。だがそれほどなのか?」
「ええ。それほどなのよ」
わたしはにやりと笑って机の上に手を広げて見せました。
「お義父様、いえ侯爵閣下。これがわたしが提示できる全ての手札です」
侯爵閣下と呼んだことでお義父様は為政者としての顔になられ、しばし考えられます。
ああ、なぜわたしは自分のことをただのモブだと思っていたのに、こんなことを……。ちらりと横目でルートヴィッヒ様を見ます。
ハンカチをじっと見つめているはずなのにわたしの目線に気づき、優しく微笑んで手を取って下さいました。あ、そういうのずるい、好き。
ルートヴィッヒ様はまだ向かいにいると緊張してしまうけど、横にいるとすごく勇気を下さいます。
閣下が言われました。
「ノーザランが力ある馬の産地と示したことと、刺繍。今のマサキア君の反応からして、ノーザランには貴女に匹敵する腕前の者がいると示したのだな」
ええ、これはひとつのアピールでもあるの。
ノーザラン領には当然わたしに刺繍を教えてくれた、腕前で言えばわたし以上の奥様方がいるのよ。……北国の冬は暇なので。
なぜ知られていないかというと、まず販路がない。高位貴族への伝手が無いから。それと王都の流行が入ってこないから意匠が洗練されてないわ。そこに関しては彼女達よりわたしのが上。
でも、良いものを彼女たちに見せられれば数年のうちに作れるようになるでしょう。
「それとこちらを。兄様も」
ハンカチと同じ、神剣を授ける女神の意匠のものを、丈夫な綿で少し粗めに刺繍した御守り。それを3つ机の上に置きます。
「戦場にお持ちください。無事を祈って刺繍いたしました。
結納金もろくに持参できない弱小貴族の出せる精一杯とお考えください」
「ありがとう、テサシア」
と兄様。
「……持参金として過分にすぎる。感謝する」
とお義父様。
「テサシア、こちらから婚姻を望んでいるのです。気になさらずともよろしいのに」
とルートヴィッヒ様。むー。
「あら、ならルートヴィッヒ様はこのハンカチはいらないかしら?」
わたしがハンカチに手を伸ばすと、ルートヴィッヒ様に手首を掴まれ、引き寄せられます。
椅子の上、ルートヴィッヒ様に抱きかかえられました。
「いるにきまっているでしょう」
腕の中から見上げると紫の瞳が近づいてきます。髪を一房掬い、そこに口付けられました。
「ありがとう、テサシア。我が女神」
見られてるわ!もう!
「君が一針一針、無事を祈って縫ってくれたと言うのだ。嬉しくないはずはない。矢も魔術も避けていくことだろう」
そう言って頭が抱え込まれ、頭頂にも口付けが落とされます。
ああ、お義父様の視線が!執事さんの視線が!あー!
ちなみにその後、夕食の席でお義母様がむくれてしまって大変でした。
ええ、お義父様があまりにも自慢されましたので。
出兵された後にお義母様のためのハンカチも刺繍すると話して、やっと機嫌を直されたの。
そして数日後、いよいよ明日はルートヴィッヒ様たちが出兵となります。
そんな昼下がりも遅い時間になった頃、ルートヴィッヒ様から外出しようとお誘いいただきました。
「お時間は大丈夫なのですか?」
「ええ、もっと時間を取って差し上げたかったのですが。こんな時間で申し訳ない」
「大事なお仕事ですもの。仕方ありませんわ」
軍隊は動かすためにあまりにも多くの書類が必要となりますのね。目が回るほどの忙しさを見ていれば文句など言えませんとも。
馬車に揺られて町を西側の外れへ。城門脇の物見塔の前で振り返ります。
「階段を登るけどいいかな」
「もちろんです」
手を取られ、薄暗く狭い螺旋階段を登っていくと塔の上へ。見張りの兵の方と2、3言葉を交わすと入れ替わるように塔の上に出ます。
上へと出ると、視界が広がります。光が飛び込んできました。
今は整地され、綱が張られてはいるなど準備はされていますが閑散としている平原と馬場。
太陽が傾き、大地が橙色に染まってゆきます。
明日にはこのアーヴェライン領都の城門前には数多の馬に乗る騎兵や、その奥に無数の歩兵が並び、彼らが掲げるアーヴェラインの旗や槍の穂先が煌めくことでしょう。
「この時間帯のこの景色。一番好きなんだ。君に見せたかった」
わたしは胸壁の側へと寄り、一面の橙に見惚れます。
「この戦いが終われば……」
振り返るとルートヴィッヒ様のお髪も橙に染まり輝いています。
「はい」
「私は君を婚約者として正式に扱いたい。本当は婚姻してしまいたいが、それは学校の卒業後の方が良いだろう」
「……はい」
ルートヴィッヒ様がわたしの前で跪かれます。
「テサシア・ノーザラン。改めて希います。我が妻になっていただけませんか」
「……よ、喜んでっ!」
ルートヴィッヒ様がわたしの手を取り、口付けをされました。それが離れると指に当たる冷たいもの。
「指輪……?」
ルートヴィッヒ様の髪色を思わせる金剛石と瞳を思わせる紫水晶の粒が並んでいます。
「貴女の指に私の色を纏っていただきたい」
見上げるルートヴィッヒ様の顔が紅い。夕陽の色?そういうことにしておきましょうね、わたしの顔も同じはずだから。
わたしはルートヴィッヒ様の胸に飛び込みました。
その日、初めてルートヴィッヒ様と唇を重ねました。
そして腰砕けになったわたしはルートヴィッヒ様に横抱きにされて階段を降りる羽目になったのです。
ああっ、兵士さんたちの温い視線が……!





