1-27
「藤二、どうじゃ、これは美しいか?」
内田様が見せてきた。うん、とても美しい。表記も綺麗。「何の文句もございません」。
アラビア数字の表記から、いつしか竹筆が共通の筆記具となった。そこも2人で悩んだ。筆が使えないことを理解してもらえた。色々試した。紙との相性もある。竹筆の先に貴重なペン先を付けたり、鉛筆もあった。これも貴重だそうだ。ある程度の硬さが必要ということで、結局竹筆に落ち着いた。
「それで、美しいとどうなるんだ?」
「何もありません」。
「何もない?何もないことに、オマエはあそこまで拘っておったのか?」
「はい」。
「なぜだ?」
「なぜとは?」
「なぜ何もないことにあそこまで拘る?」
「自己満足です」。
「自己満足…」
「そうです。言い換えれば、美学です」。
「美学…」
「内田様、関流から見て、他流派の解法はどう見えますか?それと一緒で御座います」。
「なんだかお主と話しておると、誤魔化されている気分にならんこともないのだが」。
「決してそんなことはございません。書に残すにあたり、関流において、省略すべき事項を残しますか?奇しくも私が『不適』と断じたあの問い、省略して然るべきと算法家たちは考えたからこそ、省略されておるのでしょう。あれと同じこと。解を導くために必要不可欠な箇所だけは残し、残りは省く。如何に機能的に、如何に効率的に、如何に無駄を省くか、それを求めた結果の美しさです」。
「オマエの求める美とワシらの追い求めていた美は、解釈、解法の違いこそあれ、同じということか?」
「私はそう考えております。ですから、算法にも美しい問いはあると、ずっと申しています」。
「…すまん、今日はこの辺で終わるとしようか」。
—-------------------------------
side 内田五観
これこそ青天の霹靂というやつか、目から鱗というやつか。ワシら算法家と藤二の解法が交わることがあるとは。しかも求める美が一緒などとは露ほども思わなかった。目指す京は同じ。如何に無駄なく最短で効率良く到達するか、そこの姿勢は等しく同じということか。不要な寄り道、道草は要らぬ。それこそが「美」だと。ようやく、ようやく、アヤツの言わんとすることの一端が垣間見えた。
しかし、あやつの言葉には別の天啓もあった。「書に残す」、その言葉。確かに無駄を残さない。我らなりの「美」こそ残す。では、蘭方書はどうだ?同じく「美」を共有していると考えたら?無駄を書くことが誠実なのではない。無駄を書かぬことこそ誠実。そう考えられぬか?ワシらが読めぬ蘭方の算術。これは確かめずにはおれん。
「ちと急ぎの仕事を思い出した。天文方に行って参る」。駆け出した。確認せずにいられなかった。
—------------------------
内田様、どうしたのだろう。部屋に篭ったと思ったら猛ダッシュで出かけていった。もう暗いのに。明かりなんて無いに等しいのに。職場ブラックなのかな?それなのに塾生への指導もしてる。偉いよな。
衣食住の世話をしてもらって、小間使いをして技術、この家では算法を教えてもらうのが内弟子のはず。にも関わらず、俺は教わってない。それどころか好きにしてろ、と。あまりの高待遇に居心地悪くなって、以前確認した。俺は何をしたら良いのかを。オマエの解法を教えてくれればそれで良い、と返されれば、結局何もすべきことがなくなった。ただ持ってきた「括要算法」を、式から答えまで書き残すだけ。
勉強するだけで生活できる贅沢さ、ありがたさを俺は知っている。知っているからこそ、なんか申し訳ない気持ちが湧いてくる。だからせめて、どんどん進めるしかない。なぜだかあの箱で計算は続けてる。別に隠す必要ないのだが、癖みたいな感じかも知れない。定位置みたいな、これをする時にはこれがないと、みたいな。一つのやる気スイッチの様な感じかな。
それと、公式をどう伝えるのか、なぜそうなるのかの説明にいつも悩む。「こうだから」としか説明出来ない自分にイラつく。なぜこの公式になるのか、をキチンと明示したい。その気持ちがどんどん強くなってくる。
翌朝、内田様が駆け込んで起こしに来た。寝坊したかとビビったが、俺に抱き付きながら「美だ、美だったんだ、美だけが残っておった」、と抱きしめられた。俺、オッサンに抱きつかれる趣味無いんだけど。よっぽど嬉しかったんだろうな。なんかよう分からんけど、嬉しそうだ。徹夜明けなのか目がギンギン。飯食ってまた出かけてった。やっぱり内田様の職場、昭和もびっくりのブラックじゃないか?ワークライフバランスとまでは言わんけど、人間、24時間働けませんよ?




