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side 内田五観
嘉永二年ももう終わるか。何だか今年は例年になく忙しかったな。外山の混乱?錯乱?から始まり、そこからの藤二だ。今年はアイツに振り回された。昨年の今頃は全く想像もしてなかった生活になったな。
アイツの頭の中は一体どうなっているんだ。どれだけ話しても、どれだけ解法を見ても、どれだけ考えてみても、まっっったく分からん。理解できん。何度「どのようにしてこの解法を身に付けた?」と聞こうと思ったか。今だに聞きたい。
「あやつの理は、お主らから見れば理不尽じゃと感じることがきっとあるかと思う。じゃがな、そこを問いただしたり、由来を聞いてはならぬ気がしておる。これは直感じゃ。それを聞いたら、あやつは『帰る』と言い出しかねん。それはせぬと、それだけはワシと約束してくれんか」
神主殿に言われてなければ、「なぜだ」と言っていた数、百じゃ足りんぞ。だがアイツの思考に寄り添って考えると、蘭学の数式に思っていた以上に近しいのが分かる。このワシに「塵劫記をやれ」と言って来た時には、さすがに叩き切ってやろうかとも思ったが。
さて、来年はどんな年になるかな。読み解かねばならぬ蘭学書も、文字通りまだまだ山積みだし。藤二の生かし方も考えんといかんしな。塾の方だけでも、もう少し誰かに任せようか。いくつ体があっても足りん。しかし四十も過ぎて、算法を全く別の理で見ると、それはそれで面白いもんだ。
関流と最上流など他流派の算法は、江戸から京へ向かう道に例えれば説明はつく。東海道を使うのか、中山道を通るのか、はたまた別の道を使うのか。藤二は違う。江戸からまず船を使う。それ以外考えぬ。その様な行程に見える。なぜ船を、と問うても、アイツは「なぜ船を使わない?」と逆に問い返して来る。それくらいの違いを感じる。ワシが一番欲しいのは、足ではなく船を選択する理由なのだが、残念ながらまだそこは理解出来ん。それはワシが悪いのか、藤二が説明せぬのか、若しくは出来ぬのか。
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今回の土産は、女性3人には櫛、父には墨、弥一には筆にしといた。喜んでくれるかな。爺様には以前、帰る途中に寄った時に筆を渡したら「2度とこんな気を使うな。こんなことするならもう寄るな」と結構真剣に怒られたから、今回は顔だけ見せた。日野はもうすぐだ。
帰って来た感じがする。弥一が結婚してこの家を継いだら、感じ方が変わるかもしれんけど、ここはやっぱり家だ。故郷だ。美祢がちょっと照れてる感じ。それまた可愛い。弥一もしっかりしてきた。
新年を迎えて初めて知った。いつの間にかまた元号が変わってた。カエーらしい。カエー3年。その言葉の響きから、とあるシーンがフラッシュバックしたので、父に恐る恐る聞いてみた。カエーとはどんな字なのかを。
嘉永
当たってた。主役の彼が大河に出て、それをディレクター陣が弄り倒す。ナレーションの真似をしまくって、「嘉永六年」、「文久三年」と画面全体に黒バックに力強い大髭書体。あの番組の売りの一つである、ディレクター陣の悪ノリ。
この世界が俺の知ってる江戸時代がどうかは、まだ確証を得られてない。俺の読んでた「日本の歴史」には算法や内田五観という名はなかったし。今の俺の生活のほとんどが内田様の家、たまに道場。それだけ。もし俺の知ってる江戸なら、もうすぐ混迷の時代に突入するじゃないか。
とは言え、できることはあるのか?いやない。何か成したいことはあるのか?いやない。
それならば粛々と、今見えていること、やるべきことに向かう。立ち回りを考えるのは、俺の知ってる江戸時代と確証を得てからでも遅くはないはず。なにせ、江戸が火の海にならないことだけは知ってる。問題は俺の知らない江戸時代だった時だけだ。
でももし、俺の知ってる江戸時代なら、俺の周りの人だけは助けたい。それくらいのささやかな目標を持つくらいなら、許されるだろう。
江戸に戻り、内田様と括要算法に向かう。自分の解き方を説明していると、思考もスッキリする。ましてわざと、美しくない解き方も一緒に明示するから、だんだんと「美しい」を共有出来ている感じだ。やっぱりアウトプットは大事だ。前世で俺に教えてくれてた友人たちも、このように感じてたのかな?この世界で生きて、友人と言える存在がいないことが気掛かりだ。
大人になってからの友人は、どこか打算がつきまとうから好きではなかった。いや、子供の頃から違和感はあった。友達100人できるかな、なんてクソだと思ってた。「この組織内だから」、「このグループに属しているから」、「このエリアで共に生活しているから」の枕詞ありきの友人、それがイヤだった。だからこそ、深く狭くの付き合いを好んでいた。そして、幸いにして出会えた。
このパーソナリティに関しては変わっていない。むしろ、友人のいる幸せを知ってしまっているからこそ、今の状況が寂しいと感じるのかもしれない。無知も恐ろしいが、足るを知るからこその不満てやつかな。




