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江戸に来て2ヶ月くらい経ったのかな?まあ何かと忙しかった。人の名前を覚える所から始まり、来客対応、内田様(流石に内田殿ではダメだと、人前では先生、一対一なら内田様で良いという取り決めになった)の仕事の下準備、着物の用意、など多岐に渡った。内田様、本当に偉い人だった。先生を訪ねてくる人も、身に付けてるもの高そうだし。土まみれになりながら突然くる人も、とびら開けると同時に「ちょっと聞いた?」って突入して来る人もいない。
「ここにいる藤二を内弟子として預かることとした。この藤二は、算法の道は、まだこれから学ぶべきことが多い。しかし、彼には数字の並びや異国の書物を読み解くことに関して、常人にはない、特異な才がある。よって、彼を、通常の門下生としてではなく、わしの天文方の仕事を手伝わせるための、特例の書生として、この塾に置くこととする」。
こんなことを、想像よりも遥かに多い塾生の前で宣言しちゃったもんだから、さあ大変。なんか妙に避けられてるみたいだし、なにより地味にしんどいのが、嫉妬。
やれ算法出来ないのになんで内弟子だの、やれ隠し子だの、やれ算法出来ないなら何のためにいるだの、やれ実は愛妾だの。ないことないことのオンパレード。出世競争の足の引っ張り合いってこんな感じだったのかな?人間的に尊敬できない人間に尻尾振るのが我慢できなかったから、ゴーイングマイウェイを貫いていた。だからこそ、こういう状況の切り抜け方が分からん。
そうかと思えば、内田様から最初に指示されたのは、先日解いた問題を再度解くこと。その時にいろいろ聞かれた。具体的に何を使ってどうやって解を導いていたのか。江戸に向かう直前、爺様に言われた。「内田殿には隠す必要ないぞ。お主の、お主なりの解法を説明せよ」と。
で、内田様が欲しがったのが、先日石盤に書いたことこそを紙に残すこと。なるほど。俺の数学的解法を欲しがったんだな。関流を叩き込まれるのではなく、むしろ俺の解き方を欲しがったのか。だからこその、あの塾生への紹介の仕方だったんだ。その瞬間、例の箱は役割のほとんどを終えた。残せない思考、残せない解法、思い出すためのメモ帳。付き合いこそ短いけど、おれの思考を支えてくれたノート。これがなかったら、算法を解くことのスピードに対して、苛立ちすら覚えてやる気をなくしてたかもしれない。
「美しい解法と、美しくない解法、どちらをお望みですか?」即答で「両方」と来た。この人は誠実な人だ。俺を利用しようとしているのではない。本当に理解してくれようとしている。そう感じた。美しくない解法がなんたるかを理解してこそ、美しさを理解できる。少なくとも俺はそう考えてる。
で結局、内田様が在宅の間は身の回りの世話、不在の時はより美しくない解法と美しい無駄のない解法の両方の清書、そして、帰宅後は公式と解法の説明。たまに武士としての義務のための剣術稽古。これはなくならないのね。でも、日野の道場はどちらかと言うと「武で生きるための稽古」、江戸の道場では「武士であるための稽古」。何気にこの違いは大きい。剣の美しさとは何か、を考えながら稽古できる。正直、居心地が良い。ここでは塾生の妬み嫉みもないし。
ある日塾生の前で内田様が語りかけた。「この中に数独を知らぬものはおるか?あれは今、関流の名前にて奉納されておる。では、関流の算法で数独を習ったものはおるか?おらぬよな。そんなものはワシも見たことがない。それなら誰かが生んだもの、ということだ。その者が誰か知っている者はおるか?」なぜ急にこんな話を?
「先生か、もしくは外山様なのでは?」
「実はな」と、事の顛末を話し始めた。関流側からの視点で。爺様やりたい放題やってたんじゃん。知らなきゃ良かった。
「そして、数独の生みの親、それこそがそこの藤二じゃ」。突然名前呼ばれてびっくり。全員がガバッとこっちを向いて、更にびっくり。まだ続く。「藤二が作り遊戯を、関流が『勝手に』研究し、『勝手に』発展させ、藤二を迎え入れたことによりようやく、名実ともに関流のものとして数独を出せるようになったのじゃ。藤二が自ら言わんからワシも黙っておくつもりだった。しかしな、お前らの態度は目に余る」。と、そっから説教。あぁ、俺のための時間だったんだ。ありがたい。そして、勝手に「殺されるかも?」なんて思ってすいません。
ピタっと陰口は減った。その代わりに、道を開けられるようになった。モーゼの如く。これはこれで居心地よろしくない。




