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これ以降、話し言葉を現代語化します。ここまでやらなかったのは、なんとなく雰囲気で。一回くらい、会話だけのやり取りの話をそれっぽい感じで書いてみたかったんです。
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神主の爺様から荷物が届いた。大量の紙、筆、そして1番欲しかった、しっかりした作りの箱。この箱こそ、ずっと欲していたものだった。
塵劫記を進める上での一番の障害になっていたのは、平成、令和風に言うなら、1番のボトルネックは、やっぱり漢数字だった。流石にそれは言えなかったが。算盤で出来る部分は算盤を使うが、筆算の方が効率的だと思う部分もある。それ以上にやっぱり数字や記号だ。アラビア数字やxやπを使って解く方がさっさと解ける。でも見られると追及された時に困る。だからこそ、庭や寺の境内など、すぐに消せる土が便利だった。事実やいちには何度か見られたが、「また何か奇妙な絵を書いてる」で済んでるけど。
難点は屋外であること。地面に唐突に計算し始めると、天才物理学者の主人公の気分になるのはしょうがないだろう。これをクリアするために箱がどうしても必要だった。土がこぼれ落ちることない、しっかりした箱。そんな箱、そこら辺に転がってたり、ましてや子供の遊び用なんて。だからこそ、文箱、文庫箱の様な、しっかりした作りの箱を欲した。漆も紋様も絵もいらない。こぼれなければそれで良い。紙と筆はそのついでだ。箱に土を入れ始めたら、父にギョッとされたが、何も言われはしなかった。
半分ほどの高さまで土を入れ、踏みしめて超アナログ版簡易メモパッドの完成。そんなもんかって言われるだろう。でも、そんなもんこそ数字で和算を解くためには必要だったんだ。
同時に、算額絵馬のお作法がわかったので、寺にある絵馬にチャレンジした。届かなくて、結局寺子屋の師匠の手伝いをしてるお姉さんに取ってもらったのは、最早お約束。ずっと見てたから、さっさと書き終えて終了。絵馬を戻してもらった。正直問題として、もう少し手応えが欲しかった。
朝素振り、昼寺子屋、夕塵劫記。大体このルーティン。たまに昼間も塵劫記。「お前は出来てるから外で遊んでろ」的なこと言われることがある。特に算術。確かに今更習うことはない、かもしれない。でもそれで良いのか、とか思いながらの塵劫記。必死に昔の解き方を思い出しながら立ち向かう。改めて思うけど、この塵劫記、よく出来てるし奥が深い。実に面白い。
算盤に慣れていたためか、単位表記については何とかなってきた。ただ、数学的アプローチで解こうとすると、というよりは和算の特徴なのかもしれないが、「0」が存在していないことに対する違和感はまだある。正確に言えば、概念としての「0」はある。でも「0」という表記をしない。五万三十一を50031への変換にするという考え方が存在していない。桁送りの考え方が厳密過ぎる。向こうから言わせれば「存在していない数を表す必要も意味もない」となるのだろう。
「寺子屋に卒業ってあるのかな?」なんて考えながら、書は一生懸命やる。読めなかったストレスがあっただけに、これはもう真剣。そのせいかちらほらと「神童」って言葉を耳にするようになってきた。
出来ることを出来ないふりするのは不誠実。だから、それはしないことに決めた。この前神主の爺様と話して、なんかいろいろと精神的にラクになった。吹っ切れた。あの爺様が、どれくらい俺の話を理解してくれたかは分からない。調子に乗って話しすぎたかもしれない。でも、後悔は何故かしてないし、俺の知らない算法のことを、知ってそうな雰囲気は感じた。何より初めて算法のことをちきちんと話せた感じがした。
その一方で、俺は断じて天才なんかじゃない。だから、神童という評価も過分だし、今だけだ。そもそもそんなこと言ってたら、日本各地の小学校から東大に入りまくってる。結局はその場、その時点において、って枕言葉が抜けた言葉でしかない。
前世でそれなりに努力はした。もっとこうしておけば良かったって思いは勿論あった。でも、数学は好きではあったが、微分積分まで理解しきれなかった。努力してもそのレベルなんだ。今後習うかもしれない剣術もきっとそうなる。前世の貯金で多少出来るかも知れない。この体が異常なほど運動神経や視神経が発達してるなら違うかもしれないが、今のところその兆候は見られない。ということは、努力したとて並程度だろう、きっと。
過分な評価に惑わされず、自分の分を弁える。それがきっとあるべき姿なのだ。そもそもいまだに江戸時代のどの辺なのかも分かってないし、どっからそれを推察すれば良いかも分からん。となればやはり、堅実に生きることを目標にすべきなんだと思う。何故か塵劫記と向き合うようになり、周りの評価が無駄に高まるにつれ、その考えが強くなってきた。
もし、俺の知ってる江戸時代だったとしても、自分如きに歴史を変える力もなければ、もっとこうすれば良かったんじゃないかなんて崇高な考えも持ち合わせていない。それがない以上、史実に関わるようなことをしてはダメだ。
俺のバイブル塵劫記、面白いが問題だらけだとも思う。解答例があまりにも非効率、非合理なものばかり。これは気に入らない。もっと美しくあるべきなんだ。論理的に「なぜそんな解き方を?」と思うことも少なくない。父のお下がりだから理論が古いのか?でも寺子屋の算術聞いてると、どうもそうでもないっぽい。その一方で円周率が3.16だったり、後ろの方には解法が明示されず「解いてみろ」と投げっぱなし。教科書、参考書としての体を成していない。一番ひどいのは、容積の問題だ。この建物の中に何俵の米が入るか計算せよ、と出題してるのに、縦横深さの記述がないのに答えだけ載ってる。思わず、「この問いは不適である」としてしまった。昭和でもこんなひどいものはなかったはずだ。




