95、プロポーズ大作戦!
俺の渾身のプロポーズに、勇者たちからにわかに抗議の声が上がる。
「神官さんがそれ言うんですか!?」
「求婚禁止って言ったのアンタじゃないか! 抜け駆けは無しだろ!」
「うるせぇ、うるせぇ。今回の魔族戦で一番働いた男は俺だ! 姫ぇ~結婚してくれぇ~」
俺は必死に姫に手を伸ばすが、なぜかどんどん遠くなっていく。警備にあたっていた騎士共が姫を速やかに俺から引き離したのだ。
クソッ、どこ行こうってんだよ〜
姫は騎士に連れられるまま俺から離れていくが、その視線はまだこちらに向いている。
「わ、私は大丈夫ですから、ユリウス神官に水を……」
「水なんていらねぇ! 俺には姫が必要だーッ!」
姫に熱烈な口説き文句を飛ばし、這いつくばったまま必死に手を伸ばす。
返答はすぐ上から降ってきた。
「いいや、お前には水が必要だね」
ギャッ! 冷てえし痛い!
俺は濡れた頭をブンブン振る。カランと涼やかな音を立てて床に氷が落ちる。誰だ氷水ぶっかけやがったのは。
俺は寒さに震えながら首をひねる。バケツを抱え、テーブルに土足で立っている弟君が俺を見下ろしていた。
おいおい、いくら王子でも食卓に土足で上るのはナシだぜ。
弟君はゴミでも見るような目で俺を見下ろし、冷酷に呟いた。
「不敬罪だ。殺せ」
「あ~! 死刑は勘弁~!」
躊躇いながらも、騎士たちがじわじわと俺に近付いてくる。やっべ。
俺はなんとか体を起こす。
「……っ!?」
せ、背筋が凍る。なんだ? 氷水のせいか? にしても、なんか……この部屋寒くね?
「ユリウス?」
耳元で囁くような声。息が止まった。心臓も止まりそう。
振り向くことも逃げることも、瞬きすらできずに俺は目の前のテーブルに置かれたグラスを見つめる。よく磨かれたそれに映る、パステルカラーの影。絶対に振り向いてはいけないことを察する。
冷たい手が蛇のように俺の首を這う。
「どういうこと?」
世界が揺れてる。地震かな? 違うわ、俺が震えてんだ。死ぬのかな、俺……
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
ガシャガシャと金属音を響かせながらアイギスが突っ込んでくる。
もろにぶつかった俺はテーブルをひっくり返しながら床にひっくり返った。痛ぇ……しかしお陰でパステルイカれ女から逃れることができた。ありがとうアイギス! アイギス……? お前、泣いてるのか?
「うっ、うう……ふぐぅ……」
泣き方が五歳男児のそれである。どうした。
上手くタックルを避けたらしいリエールを見下ろし、アイギスが拳を震わせながら言う。
「じ、じんがんざんがえらんだ人ならっ! わたじだちは祝福じなぐちゃいげないんだっ!」
名実ともにフェーゲフォイアー最強の勇者となったアイギスの涙に、訓練された彼女の部下である秘密警察が素早く寄ってくる。
「いやいや、あんな酔っ払いの言うこと真に受けないでくださいよ」
「っていうか姫にも選ぶ権利がありますから……」
あんだとぉ? っていうか仮面取れや!
「ちょっ、仮面取らないでください……」
秘密警察の仮面を剥いでやろうと腐心していると、また背中にパステルカラーの寒気が走った。
「分かってるよ、ユリウスが本気で言ってる訳じゃないってことは。お酒弱いんだね。でもいくらなんでも言っちゃいけない事ってあるよ」
決して語気が荒いわけではない。言い方も、むしろ丁寧なくらいだ。
なのになんだ。この本能に訴えかけてくる恐怖は。俺は頭を抱えてガチガチと歯を鳴らす。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
「謝ってほしいわけじゃないの」
じゃあどうすれば良いの~?
俺は静かに泣いた。
するとリエールが怪訝そうな表情で俺の顔を覗き込み、首を傾げる。やや間を置いて再び口を開いた。
「どうしてもって言うなら、私が働いてもいいよ」
そういうことじゃないんだよ!
っていうかなんで俺が養ってほしさに姫にプロポーズしたこと分かったの? 読心術持ちかな?
俺は心を閉ざしつつ、首をブンブン振ってヤツの提案を拒絶する。
「嫌だァ~! お前と結婚なんかしてみろ、衣食住を与えられる代わりに他の全てを奪われるだろ」
「溢れる愛を与えるよ」
「黙れぇ!!」
とはいえ俺の身体能力は雑魚雑魚の雑魚。
背中にピッタリくっついてくるリエールを振り払う事すらできない……
と思ったら急に体が軽くなった。リエールが俺から飛び退いたのだ。
「いい加減にしろ、神官さんが嫌だと言っているのが聞こえないのか?」
アイギスだぁ!
秘密警察の慰めで復活したらしいアイギスが、涙をぬぐいながらパステルイカれ女に立ち向かう。
「お前がそうやって追い詰めるようなことを言うから、神官さんがプ……プ、プロポーズ……グスッ……みたいなことを言うんだ。そう、お前のせいだ!」
だがリエールは怯む様子もなく言う。
「わんわんうるさいよ。ユリウスの犬のくせに」
「神官さんのストーカーよりは愛されていると思うが?」
無言で睨み合う両者。二人の気迫に気圧され、誰も動くことができない。
永遠にも感じられる一瞬が過ぎ去り、そしてどちらからともなく足を踏み出した。二人の距離が縮まっていく。
「ま、まぁまぁ……落ち着いて……」
果敢にも二人の間に入る勇者。もしかしたら、この場を収めて姫に良いところを見せようとしたのかもしれない。
しかし結果から言うと、彼は志半ばにして倒れることとなった。尻にバターナイフを、額にデザート用フォークをそれぞれ突き刺されて。
「……犬のぬいぐるみさ、耳立ってるのと垂れてるのどっちがいい?」
「……貴様に神官さんへの接近禁止命令を下す」
火花を散らしぶつかり合うナイフとフォークが戦いのゴングを鳴らす。あ~、おっぱじめやがった。
血と争いの匂いに引きつけられて勇者たちがフラフラ寄ってくる。止めるのか参加するのか知らないが、どうせロクなことにはなるまい。
俺は匍匐前進でテーブルの下に潜り込む。緊急避難である。
姫様は大丈夫か? うん、部屋の隅で騎士たちが保護してんな。じゃあ良いか。なんか眠くなってきたな……
しかし忍び寄ってきた睡魔は小さなフォークで容易く追い払われてしまった。
「痛ッ!? ……ひい!?」
手にフォークが突き刺さっている! 野郎、なにしやがる!
手を床に縫い付けられたまま、俺はバッと顔を上げる。ん? 姫?
いや、弟君だ。君たち顔似てるな。
しかし何故俺が弟君にフォークぶっ刺されないといけないんだ?
俺は無事な方の手で頭を掻きながら首を傾げる。
「俺、なにかやっちゃいました?」
「死ねぇ」
ひっ……
このガキ、本当に殺る気だ。王族がして良い目じゃないぞ。
振り下ろされたナイフが迫る。視界を輝く刃の銀色が埋め尽くす。すんでのところで、俺はヤツの手首を掴みナイフを止めた。お、おいおい。コイツ躊躇いなく眼を狙ってきたぞ……どんな教育されてんだ……
さすがに子供に力負けはしないが、ここに居ると危険だ。俺はヤツの手を捻って転がし、机の下から這い出す。
だが外は外で地獄だった。
武器持ち込み禁止のお陰で死者はまだ出ていないようだが、時間の問題だ。スタンダードにテーブルの上のナイフやフォークを手に戦う者、テーブルナプキンを巧みに使って相手を絞め殺さんとする者、椅子を振り回すパワータイプ、強い蒸留酒とキャンドルの火で即席火炎放射器を作るトリッキータイプまでいる。
物資の足りない時ほど、勇者個人個人の創意工夫が見られて面白いですね~
さて、もう終わりだ。なにもかもおしまいだ。っていうかなんでアイツら殺し合ってんの? 意味分かんねぇな。クソ共がぁ~。
壁際に逃げた俺は、いつもの地獄絵図を眺めながら食い損ねたオードブルを手掴みで食う。うめぇ……鉄の味がする……。
「ユリウス君、ユリウス君」
ん?
俺は首をひねって後ろを見る。もう外はすっかり暗い。窓枠に切り取られた夜空に浮かぶ月と並ぶようにして、マッドのにやけ面が目に入る。
ここ三階だけど。まぁ良いか。
マッドが窓際に肘を乗せ、フランクに話しかけてくる。
「今どんな感じ? うまくやってる?」
「見ての通りだ」
マッドはホールを見回し、そしてぽつりと呟く。
「いよいよダメかい?」
俺は足を投げ出し、壁に背を預け、天を仰いで吐き捨てる。
「ダメだよダメ! ダメダメのダメ! もうなにもかもおしまいだぁ」
「じゃあ全部消してあげようか?」
「おうおう、消しちまえ消しちまえ!」
俺が投げやりに言うと、窓からにゅっと触手が這い出た。
瞬間、妙に頭がクリアになる。俺、今とんでもないこと言っちゃったんじゃないのか?
体から血の気が引いていく。俺はマッドに手を伸ばす。
「あっ、待ってやっぱ死にたくな」
だがどうやら遅かったらしい。触手から紫の煙が立ち上る。
う……腕が重い。伸ばした手を支え続けることもできず、だらりと床に垂らす。
煙がホールにどんどん充満していく。血気盛んな勇者たちがバタバタと倒れていく。あぁ、ダメだ意識が遠のく。
こんな事なら、食欲がないとか言わずもっと色々食っときゃ……良かった……
*****
……あれ?
なんだコレ。なんで床で寝てんだ? 寒い。頭がずぶ濡れだ。妙に体が痛いし……ってうわ、手が血塗れだ。しかもこれ俺の血じゃん! なんで俺怪我したんだ? 何が起きた?
俺は辺りを見回し、状況の把握に努める。だがいくら見回せど、全く状況は分からなかった。
「んん……? 朝?」
「あれ、なんで血が……」
「うわぁ! 尻にナイフが!」
床に折り重なった勇者たちがそれぞれ体を起こし、立ち上がる。
尻からバターナイフの柄を突き出し、額にフォークを生やした不審者が近寄ってきた。
「神官さん、助けて下さい! 尻にナイフが! 血が!」
俺はヤツの赤く染まったズボンを一瞥し、すぐそばの窓を見上げる。
もうすっかり空が白み、太陽が半分顔を出している。朝、なのか? うぅ……妙に頭が痛い。
「えっ、なんで無視するんですか!? ちょっ、マジで痛……」
頭痛を堪え、俺はなんとか動きの鈍くなった頭を働かせる。だが……
ヤバい。覚えてない。授賞式まではなんとか。そのあと……事前の予定では晩餐会だったし、実際ここは晩餐会の会場のようだが。
アイギスがフラフラしながらこちらへ寄ってくる。喚きながら俺の周りをうろつく不審者を怒鳴りつけた。
「おい貴様ッ! なぜ尻にナイフなど入れている!?」
「いや、自分で入れたんじゃ……えっ、自分で入れたのか?」
「知るか! 晩餐会でなんたる無礼。とっとと去れ!」
不審者を追い払いながら、アイギスが俺に清潔なテーブルナプキンを差し出してくれた。
「神官さん、血が……大丈夫ですか?」
「えぇ、なんとか。それよりアイギス、どうしてバターナイフなんか持ってるんです?」
「あ、あれ? どうしてでしょう。気付いたら握っていました」
アイギスは握り込んだバターナイフをまじまじ見つめる。
バターナイフには妙に赤黒いジャムが付いている。……ジャムだよな?
しかしアイギスすら意識が曖昧なようだ。うっ、リエールも床で寝ている。ヤツの仕業でもないのか。
昨日一体なにが……
しかし結局、誰もこの惨状を説明することはできなかった。
姫様さえも。
「少々はしゃいでしまったみたいですが……ええと、昨日は皆様と楽しいひと時を過ごせました。ありがとうございました」
具体的なエピソードへの言及を避けつつ、姫様は曖昧な言葉で俺たちに礼を言う。
良く分からんが、姫様がそう言うならそうなんだろう。とりあえず無事式典が終わった。その結果だけでも俺は十分だ。
日が高く上った。姫様もお帰りの時間だ。姫様と弟君が騎士に守られ、勇者たちに見送られながら馬車へと歩んでいく。
馬車の前で姫様は弟君を抱きしめ、そして優しく頭を撫でた。
「頑張るのよ。貴方ならきっと上手くやれるわ」
そう言って、姫は一人で馬車へ乗り込んでいく。
弟君を残したまま馬車の戸を閉め、窓から顔を出して言った。
「弟のこと、よろしくお願いしますね。優秀な弟のことです。きっと大丈夫だと思いますが」
「……えっ?」
な、なんの話だ。
俺は横目でチラチラと周りの様子を伺う。同じく横目でチラチラ様子を窺っていた勇者と目が合った……
「あれ? 昨日言い……ませんでしたっけ?」
異変を察したらしい姫様が困った様子で首を傾げる。
すると弟君も姫にそっくりの顔で首を傾げた。
「えっと……言った……はず……です。晩餐会での発表があった……はず……」
全員曖昧で歯切れの悪い事しか言えていないが、どうやら事前の計画では晩餐会でなんらかの発表をすることになっていたらしい。
まぁ王族が晩餐会の記憶がないなんて公に言えるはずもない。
姫様が小さく咳ばらいをし、すべてを有耶無耶にする笑顔を浮かべる。
「で、では昨日も発表しましたが改めて。今日から私の弟、ロンドがこの街の領主になります」
……えっ、領主?





