79、イレギュラー休暇
無機質な白い壁、消毒液の独特の匂い、行き交う人々の纏う白衣は清潔で血の染みの一つもない。窓に切り取られた街はごちゃごちゃしていて人も多いが、剣やら槍やら斧やらを振り回している人間はいないし、飛び交うのは無邪気な子供たちが遊ぶボールや大道芸人が観客を喜ばせるためのクラブ。決して生首ではない。
俺は窓の外を眺めながらため息をつく。
病室からちょうど枯れかけた樹が見える。入院してから一枚、二枚と葉が減っていき、とうとう樹に付いた葉は最後の一枚になってしまった。
「失礼しまーす。ユリウスさん、お加減いかがですか」
「先生……」
俺は世話になっている主治医の先生を力なく微笑みながら迎える。
そして窓の外を指さした。
「とうとう最後の一枚です……あの葉が落ちてしまったらきっと私は」
「うんうん、そうだね。じゃあユリウスさん、明日退院ね」
俺は先生の白衣にしがみついた。
「痛い! 痛いんです先生! まだ傷が痛むんです。私を放り出さないでください」
「あはは、大丈夫大丈夫。鎮痛剤出しときますからねぇ」
「嫌だァ!」
最後の葉が風に煽られひらひらと揺れる。
あれが落ちるとき、俺はきっと地獄へと連れ戻されるのだ……
*****
ズン……
一人落ち込んでいると、神官服を纏った懐かしい顔の男がこじゃれた籠を片手に病室へ入ってきた。
「ユリウス! 久しぶりだね、卒業式以来? まさか再会が病院になるとはね」
「あぁ……シャルル……」
「ど、どうしたの。傷が痛む?」
「明日退院になった……」
「なんだ、おめでたいじゃん」
なんもおめでたくねぇよ。
ここは天国だ。蘇生しなくて良いし、ベッドでずっと寝ていられるし、血の匂いも感じないし、病院着はいつも清潔だし、蘇生しなくて良い。飯が不味いのと病院職員が俺と目を合わせてくれないしほとんど話もしてくれないという問題はあるが、まぁそんなのは些細なことである。
明日からはまた暗黒教会に逆戻りだ。またアイギスに頼み込んで肋骨を折ってもらおうか迷うくらいである。いや、それだと王都には運んでもらえないか……
例の闇オークション会場は王都からそれほど遠くない場所だったらしい。騒ぎに駆け付けた兵士たちによって応急処置を受け、そのまま事情聴取もかねて教会付属の病院へ搬送されたというわけだ。俺が勇者だったなら回復魔法でも掛けときゃ走り回れるほど元気になれるのだろうが、あいにく俺は一般人なので人並みの療養を必要とする。
なので闇オークション事件のその後のことは知らん。まぁ勇者たちも救出されたんだろう。知らんけど。
「それにしても災難だったね。売り飛ばされそうになった挙句魔物の襲撃にあうなんてさ。骨折は大変だったけど、それで済んで不幸中の幸いだよ」
そうだね。まぁ俺の肋骨ちゃんを殺ったのは魔物じゃなくアイギスなんだけどね。大型犬にジャレつかれて怪我をするのはままあることだ。イレギュラー休暇を得るための代償と考えれば安いものである。
シャルルは見舞いの品だと言って、俺に籠を手渡してきた。クソ不味い飯と明らかに一日の推奨摂取量を超えた量のポーションに辟易していたところに、この救援物資はありがたい。
「で、どう? 仕事の方は」
シャルルは神官学校時代からの友人だ。
俺は正直に、かつ端的に答える。
「毎日死にそうだよ」
「はは、俺の方も似たようなもんだよ」
いや、似てはないと思う。お前は比喩だろうけど俺はガチで死にそうだもん。
学内一の優等生だったシャルルは今や本部務めのエリートだ。神官服のデザインも俺たちのそれとは若干違う。まぁそっちもそっちで激務だとは思うが、俺の“死にそう”とは質が違うね。
そういえば、シャルルが本部でなんの仕事やってるかは聞いてなかったな。尋ねると、シャルルはケロリと答える。
「監察官だよ」
「うおっ、すげぇ。さすがだな」
「いや、仲間のことを疑う仕事だからね。結構大変だよ」
シャルルは苦笑しながらそう呟く。そういえば、学生時代より少し痩せたような気もするな。
ま、神官だって人の子だ。俺みたいな善意の塊ばかりとは限らない。不正を働く神官もいるだろうし、監察官ともなれば神官のとんでもない闇を見ることもあるだろう。確かにメンタルの死にそうな仕事ではある。
シャルルは昔から優秀だが真面目すぎるところがあった。無理をしていないと良いが。
誰かさんとは大違いだぜ……あ、そうだ。
俺はフェーゲフォイアーでのうのうと仕事をサボっているルッツのことを監察官様にチクった。
「ヤツの尻拭いはお前の仕事だったろ? アイツどうにかしてくれよぉ」
するとシャルルは苦虫を嚙み潰したような表情を笑みで塗り固めて誤魔化した。
「あはは、今も尻拭いさせられてるよ……」
「ん? なんかあったの?」
「いや。それよりユリウス。いくつか質問しても良いかい?」
「何だよ改まって。どうぞ」
するとシャルルは小さく咳ばらいをし、背筋を伸ばして胸元から手帳とペンを取り出す。手帳には教会の紋章が刻まれている。プライベートなものではないようだ。
首を傾げていると、シャルルは俺の眼をジッと見つめながら口を開いた。
「貴方は勇者の大量虐殺に加担したことがありますか?」
……なんだその質問は。
俺はすぐに頭を振った。
「い、いいえ……」
「貴方は人類を裏切り、魔物側の勢力に加担したことがありますか?」
背中を汗が伝うのを感じる。シャルルは動かない。俺のどんな変化も見逃すまいというように、瞬き一つせず俺の様子を観察しているのだ。
「い、いいえ……」
当然、俺にやましいことなど無い……が……言い訳しにくい事ならいくつかある。
教会の庭にマーガレットちゃんいたり……まぁあれは不可抗力だけど……あとはジェノスラの件だな……いや、あれも善意からやったことだし俺はなにも悪くないけど……
俺の胸中に色々と渦巻いているのを知ってか知らずか、シャルルはにっこりと笑って手帳を閉じた。
「あはは、なんてね。監察官の仕事のデモンストレーションさ」
「な、なかなか様になってんじゃん。尋問されてる気分だったぜ」
俺は強がってみせた。
するとシャルルは照れたように頭を掻きながらはにかむ。
「そうかなぁ。先輩からは威圧感が無いとか言われて、あんまり自信なかったんだけど……」
そうだろうか。とてもそうは思えないのは、俺に後ろめたい気持ちがあるからなのだろうか。
シャルルはさらに続ける。
「まぁフェーゲフォイアーは特殊な土地だからね。王都からも離れてるし、他の神官はあんまり立ち寄らないから本部や監察官の眼も届きにくい。でもあんまり派手なことしてると、俺たちも動かざるを得なくなるからほどほどにね」
「はい……」
な、なんか釘を刺された気がする。
なんだ? アイツフェーゲフォイアーに来たことないよな? 千里眼でも持ってんの?
「どうしたのユリウス。震えてるよ。傷が痛む?」
「うん……すごく痛む……先生呼んで……」
恐怖による震えを利用し仮病を使ってみたが、結局退院は覆らなかった。





