60、ツボ・ロスト・パンデミック
「うう……うああ……」
「うがが、ツボ……ツボ……」
あぁ……酷ぇや。
俺は荒み切った街を眺めてため息を吐いた。
虚ろな目で街を徘徊する勇者たち。足取りはおぼつかず、緩んだ口元からは時折呻き声が漏れる。その両手は虚空に突き出され、樽やら木箱やら道端に並べられたものを掴んでは地面に叩きつけて壊している。
「い、一体どうなってるんだ……! 魔物の仕業か!」
狼狽えながらも、フェイルは鋭い眼差しを向けながら腰に下げた剣に手をやる。
俺はその手を素早く掴み、ゆっくりと首を振った。
「いいえフェイル。おやめなさい」
「でも、これは……正気じゃありません」
確かに完全に正気を失っている。ゾンビに街が占拠されたと言われても納得してしまうほどに。
どうしてこんな事態になってしまったのか。
それを理解するためには、まず勇者たちの持つ“習性”について知らねばならない。
昔々――まだ勇者の数も少なく、魔物を倒すことによる報酬制度などが整っていなかったころ。
長く苦しい旅を続ける勇者たちへの労いとして、住民たちは金や旅に役立つ道具を壺に詰めて道や家屋に並べていた。
勇者が半ば“職業”となり、あっちもこっちも勇者だらけになっているこの街では形骸化した風習である。
住民たちがせっせと安物の壺を並べているのは、勇者の魔の手が樽や袋、人家のタンスや宝箱に及ばないようにするための餌に他ならない。
しかし、ある日突然勇者たちの心の癒しであった壺が街から姿を消した。
壺屋の店主の引退である。
“割られるための壺を作り続けることは我慢してきた。しかし店で売っている状態の壺まで割られるのは我慢がならない”
当然の主張をして、店主は街唯一の壺屋を閉めてしまった。
これが王都ならば別の壺屋から壺を買ったり、別の街から壺職人を引っ張ってくることもできる。
しかしここは辺境の街にして魔物との熾烈な戦いの最前線。
他に壺職人はいないし、こんな危険な場所に来てくれる壺職人がそう簡単に見つかるはずもなく。
壺なんてなくたって誰も困らないじゃん、と俺のような一般市民は考えるわけだ。
中に入っている物など、ちょっとした小銭や薬草程度。なくなったところで勇者の生活が困窮するわけでもない。
ところが、どうやらそういう話ではなかったらしい。ヤツらは壺を割るという行為そのものに依存していたのである。
壺を割れなくなった勇者たちは、代償行為として他の物にその衝動を向けるようになった。樽、木箱、花瓶――満たされない破壊衝動をぶつけるようにしてヤツらは壊しまくった。
しかしそれらが壊れるときに発するのは壺が割れる“パリン”という小気味良い音には程遠く、勇者たちの渇望が癒えることはない。
やがて彼らは正気を失い、壺を求めて彷徨い歩く“壺ゾンビ”になってしまったのだ。
壺への依存度は勇者歴の長いものほど酷く重い。フェイルが正気を保っているのは、まだ壺に魅了されていない新米勇者だから。
つまり、百戦錬磨のベテラン勇者ほど症状が重い――
*****
「グルルルルッ……!」
「お、落ち着いてアイギスさん!」
「神官さぁん、助けてぇ」
犬歯を剥いて滅茶苦茶に暴れるアイギスを、秘密警察の連中が数人がかりで押さえつけている。
アイギスの“禁断症状”は他の雑魚勇者とは比べ物にならないほど激しい。とはいえ、アイギス一人に仰々しい格好をした不審者の群れがなんてザマだ。
俺はため息を吐きながら、懐から秘密兵器を取り出す。“騎士チュール”だ。
「ほぉらアイギス。騎士チュールですよ」
「!」
アイギスの眼に光が宿る。俺はしっかりと騎士チュールの存在をアイギスに確認させてから、さっと後ろ手にそれを隠した。
「暴れる悪い子にはあげません」
「くぅん、くぅん……」
四つん這いになったまま甘えるように鳴くアイギスに、秘密警察達はどこか悲しげな視線を向ける。
「さすがは神官さん。アイギスさんが落ち着いた……落ち着いたのか?」
「仕方ない、仕方ないけど……こんなアイギスさん見たくないよう……」
「そうか? 俺は少し興奮してきた」
「えぇ……?」
えぇ……?
性癖終わってる男が秘密警察に混じっているらしいが、とりあえずそこには触れないでおこう。
「!!」
チュール欲しさに俺の神官服の裾を引っ張っていたアイギスが、物凄い速度で弾かれたように立ち上がった。
なんだ? どうして急に二足歩行を思い出したんだ?
困惑していると、何の前触れもなく教会の扉が開いた。
「姉様!」
おっと、フェイル君だ。血相を変えて教会に走り込んできたが、二足歩行をするアイギスを見るなり息を切らしながらも安堵の表情を浮かべる。
「あぁ……良かった。教会に運び込まれたと聞いたので、姉様までヤツらのようになってしまったのかと」
するとアイギスは冷徹な騎士の瞳に弟君を映し、ふんと鼻で笑う。
「偉くなったものだなフェイル。貴様にこの身を案じられるとは」
「い、いえ。心配には及ばなかったようですね」
なるほど。
秘密警察には醜態を晒しても、弟君の前では立派な騎士でありたいらしい。
今のアイギスが二足歩行してまともに喋るのがどれほど辛いか。きっと俺たちの想像を絶する苦しみがあるだろうに。
そんな事とは露知らず、弟君はもはや他人事とばかりに言う。
「しかし、壺が無くなった程度でここまで正気を失うものでしょうか。いくらなんでも異常では?」
「勇者の感性なんて最初から異常ですからね。なんの疑問もありません」
「すごい悪口……」
フェイル君が口をへの字に曲げるので、俺は渋々フォローをする。
「彼らは壺を割ることで何かを手に入れるという一連の動作に依存していたのでしょう。ギャンブルみたいなものですよ。大事なのは中に入っているものの重要度ではなく、射幸心なんです。パリンという小気味よい音とともに小銭やら薬草やらが手に入る、あるいは何も手に入らない。それが重要で――」
おっと、マズイ。
アイギスの手が震えている。壺を思い出させてしまったようだ。俺は慌てて口をつぐんだ。
この街の住人のほとんどが勇者だ。このままでは街が崩壊してしまう。
早急に手を打たないと……
「僕に任せてくれないかな?」
俺はハッとして教会の扉を見る。
変態だ。変態がいるぞ!
ハンバートは腕を組み、教会の扉に持たれるようにしながら口を開く。
「神官さんの言葉で思いついたよ。ふふ……これはビジネスの良い種になりそうだ」
神出鬼没な変態は気取った仕草で髪を掻き上げる。
ヤツは変態だ。だが金を持った変態である。
俺はゴクリとツバを飲み込む。
「一体なにをするつもりですか」
ハンバートは息を吐くようにふっ……と笑い、そして目を見開いた。
獣だ。暴利を貪る獣の眼だ。
「壺カジノさ」





