224、アルマゲドン
正直言って着陸してほしくなかった。
上空からだとよく分かる。フェーゲフォイアー周辺は押し寄せた魔王軍で真っ黒だった。
ハーフェンを襲う一団とは比べ物にならない数。兵の大部分はやはりフェーゲフォイアーに割かれている。
しかしまだ街は占拠されていない。なら戦うしかない。つべこべ言っている暇がないのは分かっているが。
「……カタリナ。大丈夫なんですか。なにかあるなら」
「いえ」
杖を手に振り向く。いつもの笑顔だ。
「頑張ってきます! 神官さんも蘇生お願いしますね。いっぱい死んじゃうと思うので」
杞憂だったのだろうか。
しかしそれを確かめている暇もない。
勇者たちは前線へ、ロンドとドラゴンは弾の切れた大砲を下ろして空へ、俺とルッツは教会へと走る。
住民たちはとっくに避難を済ませ街は静か――と思っていたのだが。
「神官さん!」
アイギスだ。唇を震わせ、血塗れの剣を引きずりながら、覚束ない足取りでフラフラとやってくる。
「よ、良かった。よくぞご無事で。怪我はありませんでしたか?」
さすがは忠犬。騎士チュールで労わってやりたい気分だったが、残念ながらそんな場合ではない。
あぁ、ほら。油断するから。
アイギスがなにか言いかけたが、口から出たのは血反吐だった。背後から胸を貫く針。それは巨大な蜂のような魔物。
秘密警察が声を張った。
「逃げますよ!」
アイギスと秘密警察は街中を飛び回る蜂の魔物と交戦中だったらしい。
光となり、教会へ転送されていくアイギスを横目に駆ける。
気を取られていたとはいえ、アイギスが一撃でやられるなんて。
「なんで街中に魔物がいるんですか!?」
「きっと教会を狙ってるんです。今、我々で奴らの巣を潰そうとしていたんですが」
そうか。だからアイギスと秘密警察がいたのか。
相変わらず嫌な戦い方だ。教会を押さえれば勇者の蘇生を阻めると知っている。
最悪だ。
作戦のかなめであるアイギスを失った。蜂に阻まれて教会へもたどり着けず、蘇生もできない。
ここにいるメンバーだけでどうにかやるしかない。
メンバーと言うのはつまり、秘密警察共と、俺とルッツ。俺は頭を抱えた。
「あ~不安です。せめてアイギスがいればぁ……」
「言っておきますけど、俺たちだって怖いんですよ! 神官さんになにかあったらアイギスさんに殺されます。絶対死なないでくださいねっ」
くださいねっ、じゃねぇんだよ。お前らが死なさないようにするんだろうが。なんで他人事なんだよ。いい加減にしろ。
クソッ、やっぱりオリヴィエたちに教会までついてきてもらえばよかったか。
教会のすぐそばにその大穴はあった。
次から次へデカい蜂が湧き出てくる。結界のおかげか教会へは入れないようだが、それはあの蜂が一定以上の強さを持っていることを意味する。何の対策もせず教会へ走ろうものならあっという間に穴だらけにされてしまうだろう。
しかしつべこべ言っていても仕方がない。とにかく、今できることをやらねば。
まずは、あの巣を塞がなくてはならない。そして俺たちに残された手段はそんなに多くない。
「ほ、本当にこれしかないんでしょうか」
「ありません。頑張ってください」
クジで“アタリ”を引いた秘密警察を、俺たちは頭を下げて見送る。無言の圧力だ。時間ないんだから早く行け。
秘密警察は頭を掻きむしり――やがて観念したように声を上げる。
「あ~、もう! 分かりましたよ、行ってきます!」
秘密警察が剣を手に駆けだす。
多分ヤケクソになっている。あの蜂の大群に突っ込んでいくなんて、自殺行為以外になんと形容すれば良いのか。
だとしても、その背中はまさに勇者のそれであった。
世界を守るために戦う、勇者の。
まぁそれはそれとして、特に勝算もなく突っ込んでいったので普通に刺されて普通に倒れた。
死んではいないようだ。蜂共は手頃な弱さのエサを新鮮なまま女王に献上すべく、毒で麻痺させて巣穴へと引きずり込んでいく。想定どおり。
秘密警察が穴の中へ入ってから、数秒。
「ぽちっとな」
手元のスイッチを押す。
刹那、地面が爆ぜた。砂煙と共に巻き上がる硝煙の匂い。
爆弾だ。秘密警察に括りつけていたそれが巣穴の中で無事爆発した。
やり遂げた仲間を讃えるように秘密警察たちが歓声を上げる。その中でルッツが小さく悲鳴を上げた。
「ひえー……自爆かよ」
「ああ。これで巣穴を潰せた。あとは女王蜂を失った残党を少しずつ狩っていけば」
が、いつだって計画通りに事は進まない。
悪くない計画だった。しかし俺たちは魔物を舐めていたと言わざるを得ない。
砂煙が巻き起こる。爆発で塞がった穴から、他と比べても一層巨大な蜂が飛び出してくる。
女王だ。今の爆発で雑魚は殺せても、女王だけは殺せなかった。
仲間を殺されて怒り心頭。おや、こちらを見ている。
女王の凶悪な下顎が動く。ギチ、ギチ、ギチという鳴き声。なんらかの命令を下したのだろう。
辺りを飛んでいた蜂たちが一斉に集まって来た。囲まれた。
「……なぁ、こっからの作戦って考えてあるんだよな?」
ルッツがこちらを見てそう尋ねる。
俺は大いに頷いた。
秘密警察の方を向いて尋ねる。
「もちろんですよ。そうですよね?」
秘密警察たちは各々頷いた。
「そりゃそうでしょう。なぁ?」
「失敗した時の作戦を考えておくのは戦術の基本だ。なぁ?」
「さすがに一人くらいはなんか考えてるだろ。なぁ?」
結論から言うと、誰もなにも考えていなかった。
「いや、だって作戦総指揮は全部アイギスさんがやってるから」
黙れ役立たず!
俺は秘密警察の脛を蹴飛ばした。
「とにかく今は戦うしかないでしょう! 死ぬ気でやってくださいよ、マジで!」
秘密警察たちが剣を構える。
しかし、どうポジティブに考えても勝てる未来が浮かばない。
女王自らこちらへと向かってきた。爆破に巻き込まれて散っていった仲間たちの無念を晴らそうというのか。凶悪な顎がギチギチと音を立てる。尻の針から毒液が漏れている。
あっ、詰んだわ。
頭の中に走馬灯が流れた。
輝く白銀の甲冑。なびく赤い髪。煌めくプラチナスライムの剣。
走馬灯の中のアイギスは果敢に地面を蹴って飛び上がる。振り上げられた自慢の刃が太陽の光を受けて輝く。それは襲い来る女王蜂を一刀両断にした。
「神官さん! ご無事ですか!」
……走馬灯じゃ、ない?
「な、なんで」
「蘇生していただきました。間に合ってよかった」
蘇生? ルッツも俺もここにいるのに。
まさか、あのろくでなしがこの緊急事態において教会にとどまっているというのか?
いや、今はのんびり考えている余裕などない。
女王蜂を失ったが、まだ働き蜂が残っている。女王の最期の命令を達成すべく、こちらへ向かってくる。数が多すぎる。アイギスがいるとはいえ、防ぎきれるか。
しかしその心配も解消された。
この街のために立ち上がったのは勇者だけではない。
蠢く触手が蜂に絡みついては食っている。主食は勇者だが、蜂もイケなくはないらしい。
人工触手生命体だ。
ヤツらを引き連れているのは、あのマッド野郎の最高傑作。
開け放たれたジッパーを飛び出した触手が襲い来る蜂を叩き落としていく。ウサギ頭の中からくぐもった声がした。
「間に合って良かったです。さぁ、こちらへ。ドクターがお待ちです」
アイギスとジッパーにエスコートされ、難なくたどり着いた教会。
血の中に佇むようにしてそいつはいた。
自慢の白衣が真っ赤に濡れている。
張り詰めた空気。凄まじい集中力。そして素晴らしい手際だ。降り注ぐ死体を、今までに見たどの神官よりも早く捌いている。まぁ俺ほどではないが――さすがはフェーゲフォイアーの元神官ってところか。
「……遅いよ、ユリウス君」
マッドが顔を上げ、ヘラリと笑う。
あんなキメラを製作できるくらいだ。技術が凄いのは分かっていた。しかしマッドは破門された元神官。現役の時のような蘇生はできない。今までもマッドの蘇生を見たことはあるが、こんな鮮やかな手つきではなかった。
「復職したんですか」
「まさか!」
マッドが血に濡れた手を振ってそれを否定する。
「臨時の非正規雇用ってとこかな。破門しといて、勝手だよね」
俺は女神の言葉を思い出していた。
『ささやかな応援をしてあげています。今回だけですよ。感謝して存分に異教徒のカスを殺しなさい』
これは人類の力を合わせた決戦だ。





