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その姫、生き残りにつき  作者: 平野あお


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10/21

10. 衝撃の事実

 

 ジェローム様によく分からない口説き文句を囁かれた日の夜。


「皇帝から夕食の席に招かれた。お前たちはどうする」

「えっ、もちろん行く!」

「……私も行きます」

「リオ」

「だ、大丈夫です。行かせてください」


 皇帝のいる場に同席したところで、私は何も変えられない。

 でも、あの日の真実に辿り着ける可能性があるのならば私はその場に行かなければならない。

 私の決心が伝わったのか、師匠は僅かに逡巡した後無言で頷いて部屋を出て行った。

 その直後「なぁ、リオ」とテオが興奮した様子で話しかけてくる。


「これはチャンスだぞ」

「なにがですか?」

「師匠の顔を見るチャンスだよ!」

「……確かに?」


 師匠は常々顔の下半分を黒い布で覆っている。食事の時も寝る時も外すことはない。そのため弟子である私たちですらまともに素顔を見たことがなかった。

 今回皇帝との食事の場に出るということは、不敬に当たらないようその布を取る確率が高いということで、テオが興奮するのも無理はないのかもしれない。


 私も師匠の顔の全貌が明らかになることに興味がないわけではない。

 しかしそれより私は──。


「リオ? どうしたんだ?」

「……テオ、夕食の部屋に行くまで手を握っていてもらえませんか」

「? 分かった」


 テオは理由を尋ねることなく微かに震える私の手を力強く握った。

 まだ子ども体温だからなのか、先ほどまで走り回っていたからなのか、指先までポカポカと温かい。


 皇帝に会っても下手な反応をしないようにしなければならない。

 私が亡国の姫だと決して気付かれぬよう、ただの弟子の一人としてふるまうことが私に課された使命なのだと思うと、手の震えはいつまでも止まってくれなかった。


 そうして迎えた皇帝との夕食の時間。

 侍従に案内されてやってきた私とテオを迎えたのは、顔に布を身に付けていない師匠だった。

 既に席に着いて無表情のまま考え事をする師匠の姿を見て、私たちは顔を見合わせる。


「……なんか、普通だな」

「……ですね」


 満を持して師匠の素顔と対面したが、これといって特筆すべきもない年相応の顔というのが感想だ。

 しいてあげるなら頬骨が少し出ているところと、口周りが髭で覆われているところくらいか。


「なんでわざわざ布なんか巻いてるんだよ」

「治療のためじゃないですか?」

「でもずっとつけてる理由にもならないじゃないか」


 期待外れだったことでテオがつまらなそうに文句を言いながら席に着く。

 もし布の下に大きな秘密が隠れていたとしても、どう反応すれば良いのか分からなくなるので、私としては何もなくてよかったと思う。


 妙な安堵を抱いたことで手の震えが止まった。

 ならばとテオから手を離したその時、皇帝の訪れを告げる侍従の声が食堂に響き渡った。

 途端にドクリドクリと心臓が忙しなく鳴り響く。

 奥の扉が開き大きな影が見えたかと思うと、それはのそりのそりとこちらへ向かってきた。


「其方たちがジーヴルの弟子か。ジーヴルがここを離れていた月日の長さを痛感する」


 白髪の男──ネルゾン皇帝は席に着く前に私たちを見下ろして口角を上げた。

 ゾワリと肌が粟立つ。

 一目見ただけで生理的に受け付けない存在であることを理解してしまった。


 席に着く様子を横目で見る。

 窪んだ目に濃い隈。かなり痩せ細っている様子から、病気に苦しんでいることは間違いないようだ。


 アレが私の家族を殺した人。そう思ってもまだ実感は湧かない。

 それどころか私は猛烈な不安に襲われていた。私は何かを忘れている。そんな気がしてたまらないのだ。


 その答え合わせの場はすぐにやってきた。


「そう言えばジーヴルにまだ見せてないものがあったな。連れて来い」


 食事の途中、皇帝がそういうや否や、皇帝が現れた奥の扉が開かれた。

 そして侍従により複数の人が連れて来られて──。


「……ぇ」


 一瞬呼吸の仕方を忘れた。

 そしてすぐに先ほどとは比べ物にならないほどに手が震え出し、思わずテオの腕を握る。


 皇帝の周りに立たされた無表情の五人の男女。

 鎖で繋がれている彼らの額の中央には一様に赤い宝石が埋め込まれている。


「赤い宝石を持って生まれた人間だ。珍しいだろう?」


 自慢げに皇帝が紹介する彼らを、私は知っている。

 シラン、ナーシサス、クロッカス、ピアニー、クインス──花守り(フィーディ)だ。


「宝石人、ですか」

「さすがに知っておるか。昔から此奴らが欲しくて欲しくて仕方なくてな。タレイアに何度言っても聞かぬから攻め滅ぼして奪ってやったわ」

「趣味が悪いですね」

「はっはっはっ、お前ならそう言うと思ったよ」


 皇帝の顔がぐにゃりと歪む。

 醜悪な男の顔とあの日の惨劇の記憶が重なり合う。


「リオ? 大丈夫か?」


 なぜ、今まで思い至らなかったのだろう。

 家族と花守り(フィーディ)の行方を。


「宝石人はタレイア王家の命令にしか従わないと聞いたことがあります。観賞用とはいえ、少し面倒な存在では?」

「なに、タレイア王族の遺骨をチラつかせればよい。遺骨であっても此奴らにとって大切な主人であることに変わらないようだからな、簡単に言うことを聞く」


 呼吸が上手くできない。

 吐き気がする。


「だが、逆を言えばあの日捕らえられなかった残りの宝石人は自分の主人たちの遺骨を取り返そうとしているということだ。今この時も帝国内に潜み、虎視眈々と機会を窺っていることだろう」

「……」

「行方不明のタレイアの王女がいれば、隠れている宝石人も一気に炙り出せるんだがな。まあ既に死んでしまっている可能性もある。王女の生存はそこまで期待していない……ッ、ゴホッゴホッ!」

「「「陛下!」」」

「……っ、う、ジーヴル」

「部屋に戻りましょう」


 皇帝の体調が急変したところで食事は中断となった。

 食堂に取り残された私たちだったが、今の私にとっては不幸中の幸いというしかない。

 テオの手を借りなんとか部屋を出たが、廊下の途中で私は息を荒くして座り込んでしまう。


「リオ!」

「いき、が」

「過呼吸か。リオ、大丈夫だ。落ち着いて呼吸しろ」


 テオが手慣れた様子で背中をさすってくれるが、あまりのショックの深さに呼吸をコントロールできない。


 どうして私はのうのうと生きているのか。

 どうして皆が苦しんでいることに気付かなかったのか。

 分からない。私はどうしたらいいのか。


「どうかされましたか?」

「あっ、グレイ! リオが過呼吸を起こして……!」

「リオさん、大丈夫です。ゆっくり、ゆっくりと息をしてください」


 温かい手が私の背中を撫でる。

 なんでこんな時に、そんな思いが一瞬胸の中をよぎる。


 グレイ。グレイ・フィーディ。

 貴方も彼らが捕らえられていることを知っていたのだろうか。知っていたのならいつから知っていたのか。どうして私に何も言ってくれなかったのか。


 次から次へと疑問は出てくるが、記憶の中にある彼の優しい声が現実となって聞こえてくるものだから、私の涙腺はいとも容易く壊れてしまって、問いかけは言葉にならないで消えていく。


「大丈夫ですよ。俺がついてますから」


 その言葉を境に私の呼吸が深いものへと変わった。

 呼吸が正常な状態に戻るのを確認したグレイは私を抱き上げ歩き出す。


「少し落ち着いたようなので今のうちに部屋へ運びます。リオさんの部屋へ案内していただけますか?」

「分かった!」


 薄れる意識の中、密着する体から伝わる熱に安堵を覚える。


「安心して寝てください。貴女を害す者は俺が全て消してみせます」


 この言葉と同時に私は完全に意識を手放した。


 それからどれくらいの時間が経っただろうか。私はまだ夢の中にいた。

 柔らかい布団に包まれる私の手を優しく握る恋しい人の手。夢だと分かっているのに、いろんな思いが込み上げてきて泣きそうになる。

 私が目を開けていることに気付いたのか、その手が慌てた様子で離れていこうとするのを察した。


「……いかないで……」


 しかし私が弱々しく声を上げたことで、その手はその場に留まった。

 私はその手を自分の顔まで引き寄せて頬擦りをする。


「いまだけだから……そばにいて……」


 夢であってもこの温もりを引き留め続けてはならないと分かっている。

 今この苦しみを乗り越えるための勇気を少しだけ貰えたのなら、すぐに解放するから。


「──二度も捨てられてたまるか」


 もう一度意識を闇へ落とす瞬間聞こえた唸るような低い声は、私にとって随分都合の良いことを言っているように思えた。

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