明編 誰かの力
明は強い。圧倒的に強い。
だから一人でも生きていける。
ように見える。
けど実際には、俺達が手を貸したからこそ生き延びられた事例も少なからずあっただろうな。
角が生き延びられたのも、実は本人の力だけじゃなくたまたま運が良かっただけという部分もあるだろう。
マンティアンですらそうなんだから、人間が本当に一人だけで生きていけるわけがない。
それができるというのなら、裸で何一つ道具も持たずに自然の中に放り出されて寿命をまっとうしてみせたらどうだ?
今、自分が身に付けているもの、使っているもののなかに、一つでも、自分の力だけで作り出したものがあると言うのか? それを考えれば、
『他人の力など借りずに生きられる』
などと言えないはずだ。
自分が普段使っている便利な道具を作ってくれたのは誰だ?
自分が普段食べているものを生産してくれてるのは誰だ?
たったそれだけを考えても、
『自分一人だけの力で生きている』
などとは言えないじゃないか。
こう言うと、
『それを作ってる奴らは仕事で作ってるだけだろ』
とか言うかもしれないが、それがもう自分にとって都合のいい部分だけを切り取って、
『自分の力だけで生きてる気になっている』
ってのを証明しているじゃないか。
『自分の力だけで』という言葉の解釈の問題にすり替えてるだけだと思うんだよな。
人間の社会で生きてると、普段、身の回りに溢れているものすべてが、誰かが作り、運び、用意してくれたものだという実感が乏しくなるのは確かにあるだろう。今はこんなことを言っている俺だって、かつてはそれが当たり前だと思っていた。あんまりにも当たり前にそこにあるから、それが、
『自分以外の誰かが作り、運び、用意してくれたものだ』
という実感がなかった。
だが、ここでは、全てを自分達で作り、運び、用意しないといけない。
そしてそれができる<便利な道具や機械>は、やはり人間社会にいた時に誰かの手によって作られたものだ。
エレクシアも、セシリアも、メイフェアも、イレーネも、光莉号も、コーネリアス号も、そのどれ一つとってみても、俺が作ったものじゃない。すべてが俺以外の誰かの手によって作り出されたものだ。
そのおかげで、俺はこうして生きていられる。
俺一人の力で生きてるなんてのは、とてもじゃないが言えない。
人間というのは、そういう生き物なんだ。自分の以外の誰かの力を借りないと生きられない生き物なんだよ。
まあそれを言いだしたら、野生の生き物だって、食べ物になる他の命がなければ生きられないという意味では自分の力だけで生きてるわけじゃないんだろうけどな。




