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誉編 互いの違いを認め合う

『互いの違いを認め合う』


それを綺麗事のお題目として唱えてる人間は確かにいるんだろう。俺も心当たりはある。散々それを口にしておきながら、自分が気に入らないもの、許せないものを見た途端に手の平を返して罵り始めるんだ。


批判はあって当然だと思う。『お互いに違う』んだから、感じ方も違うし見え方も違うんだからな。誰もが同じものを同じように見てるわけじゃない。


だが、<罵る>というのは違うだろう。それは相手の存在を根底から否定する<呪い>だ。


『感じ方はそれぞれ違う。得意なものはそれぞれ違う。その違いを互いに認め合う』


それを口にしていた人間が、


『自分が大切にしていたものを穢された!』


とか言ってキレるんだ。


つまり、そいつの言っていた『互いの違いを認め合う』とは、その程度の覚悟もない口先だけのものだったということだ。


政治的ないわゆる<活動家>でもそういうのがいたな。自分の思想信条に反しない限りは『互いの違いを認め合う』が、対立する価値観を持つ相手は徹底的に攻撃する。


『違いを認め合う』とは、何なのか……。


俺はいつも考えさせられる。


違いを認めるのなら、野生動物が俺の家族を殺すことも認めるべきなのか?。家族を殺されても『それが違いだから』と、無条件に許さなければならないのか?。


究極は、恐らくそういうことなんだろう。たとえ自分や自分の家族を殺されてもそれを許すことなのかもしれない。


だが同時に、<生きる>というのは、戦うことでもあるハズだ。『違いを認める』ことと、『生きる為に自らや自分に連なるものを守って戦う』ことは、両立されなければならないと思う。それが両立されなければ、そもそも論理として破綻する。


だから俺はこう考えるんだ。


『生きる為には戦わなければならない事実を認めること』


『自分や自分の家族を守る為に戦いつつも、力が及ばすに破れ命を落としても、それをいつまでも悔やみ続けない覚悟を持つこと』


そしてこれがもっとも重要だと思うんだが、


『それは相手も同じ』


ということを認めるのが大事なんだろうなってな。


しかし同時に、『生きる為に戦う』という部分を拡大解釈して、実際には別に命にかかわるようなことでもない話でまで、


『戦わなきゃいけない!』


と自分から攻撃を仕掛けるようなことをしない。という覚悟も同時に必要なんだろうな。


『自分が大切にしてるものを穢された』


と感じたら冷静でいられないのは俺も同じだが、だからと言ってそれがそもそも他人の管理下にあるもの、他人が利用や改変の権利を所有しているもの、といった物品やコンテンツの類を、権利者や所有者が利用したり改変したりした場合にまで攻撃的になるのは違うよなあ。



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