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誉編 日々 その5

『戦争回避は、決して綺麗事ではない』


これは、人間が、戦争というものを何度も経験し、そこで得られた様々なデータから導き出された結論なのだという。


戦争を起こすことによって得られる<利益>よりも、戦争を起こすことによって生じる<不利益>の方が人間社会に大きな負担となるということがはっきりとしてきたということだそうだ。


戦争に負けるかもしれないというリスクもそうだが、たとえ勝ったとしても、傷痍軍人に対する補償や、戦没者とその遺族に対する補償。莫大な戦費がもたらす経済的な負担。


そういう諸々を客観的に合理的に勘案すればこそ、


『戦争は割に合わない』


と判断されるようになったんだと。


『経済的なことは敗戦国に補償させればいい』


と考える向きもあるだろうが、金銭的な問題だけじゃないそうだ。


むしろ、金銭で解決できない部分の負担こそが問題なのだという。


戦場から帰還した兵士らや、戦争の犠牲となった人々の遺族が抱える心の問題と、それに起因する様々な問題は、人的資源こそを蝕む。それをはじめとした様々なリスクは、『戦争に勝った』ことでは贖えない。


逆に、戦争に勝った場合にこそ、それによって安堵する世間との温度差に、さらに心を病んでいく場合も少なくないとも。


遺族の一部には、どうしても<復讐>を望む気持ちも残ってしまうし、しかし戦争が終わったことで『手出し無用』とされてしまうことで気持ちのやり場を失ってしまうらしい。


戦争中は、


『憎き敵を打ち滅ぼせ!。犠牲になった者達の恨みを晴らせ!!』


と散々煽っておきながら、いざ戦争が終結すると手の平を返して『我慢しろ』と言う。


敗戦国に対してあまりに理不尽とも思える、言いがかりや難癖、こじつけとしか思えないような戦争責任を問う行いも、結局は、戦勝国が自国民の鬱憤を少しでも晴らそうとしてそういう風にするという意味もあったようだ。


安易に戦争を望む人間は、万が一にも負けた時にはそういう目に遭うのを覚悟して言っているのだろうか?


それとも、


『正義は自分達にこそある。負ける筈がない!』


とでも思っているのだろうか。戦争は、必ずしも『正しい側が勝つ』わけじゃないというのに。


たとえ運よく勝ったとしても、犠牲になった人間は帰ってこない。人の死を金銭や褒賞や名誉で贖おうとしても、贖いきれるものじゃない。


<最初の衝突>の際に出た犠牲を、戦うことによって相手に贖わせようとして、さらに犠牲者を増やす。それが戦争というものだと為政者達も気付いたし、それを理解してない人間は為政者にはなれなくなったんだ。


口では勇ましいことを言う為政者も多いが、それも結局は自国民に向けた。


<強い指導者アピール>


に過ぎないことも多いらしい。


もちろん、(ほまれ)がそんなことを理解している訳じゃない。ただ、<引き際>というものはわきまえているんだろうな。



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― 新着の感想 ―
[一言] ここまで読んだ自分を褒めてあげたい どんどん、つまらなくなってきてから読むの辛かった
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