蒼穹編 リアリスト
そうだ。
『相手の気持が本当に分かっているわけじゃないのを前提に接するべきだ』
というのが今では一般的ではある。基本的にはそれが推奨されている。しかしそれでも、
『人は分かり合える』
と信じて疑わないのも結構いるんだよなあ。
『そういう人間とは関わり合いたくない』
的に考える人間がいる時点でもうその考えは通用しないのに、これまでの歴史でもそれは否定されてきたのに、オカルトに頼ってまでも自分達の考えが正しいと信じて疑わないんだ。
その点、光も灯も実にリアリストだった。実際に目の前で起こっていることが現実でありそれに基いた対処をすることが重要だと考えてくれている。それもあってか、孫達も基本的にはリアリストなんだ。未来がルコアに対して強引に迫ったりしないのも結局はそれなんだ。
『自分がまだまだルコアに相応しい大人になれていないから受け入れてもらえない』
という現実を受け止めてる。
<リアリスト>
というのは別に、
<面白みのない四角張った堅物>
じゃない。楽しむ時には楽しむし、緩む時には緩む。そうすることが自分のためになることを理解してるからだ。まあ未来達の場合はそれを『理屈として』と言うよりはあくまで『感覚で』だけどな。
『親の振る舞いを見て学び取った』
から。ビアンカも久利生も軍人らしくリアリストだ。夢想に頼っていては自分の命も仲間の命も守れない。『理不尽な振る舞いをしない』のもリアリストとして論理的に考えればこそなんだ。それが結局は自分達を守ることになるから。
まあ今の家族関係を見ればそれが正解だったことは一目瞭然だろう。家族の中心になる者が理不尽な振る舞いをしていたらこの関係は成立しなかったのは、まともに考えることができる人間なら分かるはずだ。
もちろん人間が相手だから自分の思い通りにはいかない。どんなに<愛情>を注いでいるつもりでもそれが<ただの一方通行の思い込み>だったとしたら単なる<支配>でしかないだろうな。そしてそれは<リアリスト>がすることじゃない。
<ごっこ遊びが好きな子供がする児戯>
だ。
本当の<おままごと>なら微笑ましく見ていればいいだけだろう。気持ちも和むに違いない。だが大人が自己満足のために相手を支配しようとするそれは害悪でしかない。誰も幸せにはなれない。
俺達はそういうのは本当に嫌なんだよ。
サディマのキャサリンへの気持ちも、蒼穹のサディマへの気持ちも、もしかしたら上手くはいかないかもしれない。けれどそれが『人間として生きる』ってことなんだ。




