蒼穹編 思考は必ずしも
『人の気持ちが分かるなんてのは大嘘』
これは科学的にも明確に立証されてしまった事実だ。特に<電脳化>によって他人の思考すら共有することができるようになってさえ、<気持ち>については結局のところ個々人の主観によって解釈が変わってくることが明白になってしまったし。
そうだ。電脳化による思考の共有で分かるのはあくまで<思考>。そして思考は必ずしも<気持ち>を表してるわけじゃない。もし電脳化によって思考が共有化されたら相手の気持ちも分かるのなら、そもそも<電脳犯罪>なんてものも存在しなかっただろう。
『人の気持ちが分かる人間が犯罪に手を染める』
というのが分からない。しかも『誰かを助けようとして』的なものじゃなくただただ金銭目的とか誰かを貶めるためだとか。それで被害を受ける人間の気持ちがまったく分かっていないわけで。
もし分かっててやってるならなおのこと悪質だよな。
『人の気持ちが分かる人になりなさい』
的な言い方はあくまで<言葉の綾>だとする人間も多いが、それで納得させようと考える時点で<人の気持ち>なんて分かってないよなあ。
人間にできるのは、
『他者の気持ちを類推し理解しようと努める』
ことだけなんだ。だから俺もそれを心掛けてるつもりだ。残念ながら『つもり』でしかないのも事実ではありつつ。俺の子供達の気持ちすら本当に分かってるわけじゃないさ。実際、灯にも光にも、
「お父さんの気遣いってさ、けっこう的外れなことも多いんだよね」
「分かる分かる。お父さんが私らのこと思ってくれてんのは分かるけど、『違うそうじゃない』って感じなのもあるんだよ」
と言われてたりもする。さすがにそんな風に言われると凹みもするものの他ならぬ俺自身が、
『見当違いなことしてるかもなあ』
みたいに思ってたりもするし。それは結局、俺が灯や光の気持ちを本当に分かってるわけじゃないって証拠に他ならないよな。でも、灯にも光にも愛想を尽かされてるわけじゃないのは、実際には分かっていないことを分かってると大上段に構えて一方的に押し付けることをしないからかもしれない。まずは本人に確認を取るんだよ。
でもなあ、そうやって確認を取ってるつもりでも、相手が気を遣って合わせてくれてるってことも多い気がする。そうやってお互いに<齟齬>を適当にすり合わせて大目に見てる感じか。
親子ですらそういうことがあるんだから赤の他人相手なら分かり合えてない場合の方がはるかに多いさ。




