キャサリン編 儀礼的な意味
俺とシモーヌは碧の最期をしんみりと悼んでいるものの、誉の妹である光にとっては<兄嫁>であって、形式上は親族とはいえ血縁上は<他人>でしかない。地球人でもそういう相手に対してセンチメンタルになるのはよっぽど個人的に深く交流した相手の時くらいのものだろう。ましてや<朋群人>である光は地球人ほどはセンチメンタルなメンタリティを持たない。形の上では悼んでいる振る舞いをしてくれるものの実際には淡々としたものだ。この辺りは地球人でも変わらないだろうな。
光でさえこれだから碌に言葉を交わしたこともない灯はそれこそ、
<儀礼的な意味での悼んでいる姿>
を見せてくれるだけだ。これはもちろん、ビアンカや久利生やルコアも同じ。シオやレックスに至ってはまったく交流自体がなかったわけで、体裁上悼んでいる振る舞いをしてくれるだけでも感謝だよ。
地球人の場合は、当人の<思い入れ>は別にして誰かが亡くなったとなった時には形だけでも悼んでいる様子を見せないと『不謹慎だ!』的な反応が出るからな。実に面倒臭い話だが、俺だって碧が亡くなったことに対してあんまり冷淡な態度を取られたらいい気はしないのは正直なところだし。だから本当にありがたいよ。
が、キャサリンにとってはそれこそ『知ったことじゃない』わけで、彼女の人となりを考えれば関心すら見せてくれなくても当然だというのも分かる。だからそれを責めるつもりもない。これはイザベラに対しても同じ。ケインは母親であるビアンカが神妙な様子になっているのを察してか同じように悼んでいる振る舞いをしてみせてくれてるものの、たぶん『なぜそうしているのか?』についてはまったくピンと来ていないだろう。
だがそれでいい。蒼穹にとっては<遠い親戚>にあたっても未来にとっても黎明にとっても<赤の他人>だし、キャサリンやイザベラはそれこそなわけで。そういうところまで、
『不謹慎だ!』
と難癖をつけるような真似はしたくないさ。
しかしサディマは、ビアンカや久利生と同じように悼んでいる振る舞いをしてみせてくれていた。この辺りは、
<地球人としての儀礼的な意義>
を承知してくれているからだろうな。感情の面で悼んでいるわけではなくても<そういう姿を見せることの意味>をわきまえてくれているんだと分かる。その点でも実に、
『礼儀正しい』
と思うよ。公に対する姿としては満点と言っていいんじゃないだろうか。実に立派だと感じる。その点、ルイーゼは完全に『我関せず』だが。




