キャサリン編 役目にすぎない
そうだ。ドウはキャサリンと他の人間達との間を取り持ってくれていた。<柵の開け閉め>についても、普通の人間だったら匙を投げてしまうかもしれないくらいにすぐには理解してくれなかったのを、淡々と手本を示して彼女が真似るのを待ってくれたし。
<学習>というのは結局<反復>のことだろう。何度でも何度でも本人の腑に落ちるまで繰り返し繰り返し手本を示すことで身に付いていくんだと思う。しかし人間には<感情>があることで徒労のようにも感じられてしまうそれを続けることは難しい。
何度か手本を示してそれで理解してくれなかったら、
『やる気がない』
『理解力がない』
『才能がない』
と切り捨ててしまう。
確かに<コスト>の点からもある程度のところで区切ってしまう必要があったんだろう。一人のために無駄にも思える手間を掛けることは難しかったのも事実だと俺も思う。しかしAIとAIによって制御されるロボットは人間のように<徒労>を感じることがない。五回で覚えられないなら十回、十回で覚えられないなら百回と、いくらでも続けることができる。
そういえばイレーネが復帰できたのも、諦めるということを知らないコーネリアス号のAIが延々とリトライしてくれた結果だったんだよな。
まあ人間には感知できないくらいのわずかな変化を検出できていたからこそリトライしてくれたというのもあるんだろうが。
AIは『諦める』ということを知らないのと同時に、
『執着する』
ということもないがゆえに、『切り捨てる』となればそれこそ容赦ない。欠片ほどの躊躇もない。逡巡しない。憐れむことも後悔することもない。相手が人間でないとなればなおさら。
ドウも、キャサリンが俺に牙を剥いて、そして俺が命じれば容赦なく彼女の命さえ奪うだろう。どんなに<パートナー>のように振る舞っていたってそれはあくまで俺が与えた<役目>にすぎない。ドウ自身がキャサリンをパートナーとして求めたわけじゃなんだ。
けれどそれも、彼女にとって害にならないのなら別にいいんじゃないか? 人間のように、
『パートナーのように振る舞っていても実際の目的は相手の財産だけ』
みたいなこともない。<愛情>はそこになくても<害意>もない。
考えてみれば野生の生き物も<愛情>と言えるようなものを示すことがあるのは実際にはごく一部だったりするわけで。自分が生き延びるためなら簡単に見捨てたりもする。
そういうものなんだよなあ。
残念ながら。




