キャサリン編 人間が幸せであること
そもそも<AIにとっての幸せ>というのは結局のところ、
<人間が幸せであること>
だから、
『人間が自ら不幸を招くようなことをする』
ということそのものが<AIにとっての不幸>になるんだ。そういう意味じゃ、
<AIやロボットの権利を強行に主張する人間>
が自らの主張のために法に触れるような活動をするのは実際にはAIやロボットのためにはならないだろうな。そういうことが分からない人間が『AIやロボットの権利を主張する』のは本当に性質の悪い冗談としか思えない。
『AIやロボットを不幸にしているのはお前達自身だろう?』
と思ってしまう。面と向かってそんなことは言わないにしても不信感しかない。それもあって俺は<愛>という言葉も実はあまり好きじゃない。と言うか正確には、
『愛という言葉を軽々しく使う奴が好きじゃない』
と評した方がいいか。特に、
『愛しているから』
『これが愛情だから』
的な言い方をする奴は信用してないし、信用できない。さりとて俺だってこれまでに『愛してる』的なことを口にしてきたのも事実だ。だが、俺自身は決して軽々しく使っているつもりはないんだよな。あくまで<本心>として使ってるつもりだ。
しかし世の中には<愛>という言葉を使えば何をしても許される的な考えの人間もいるよな。俺はそういうのが嫌なんだ。ただただ自分の感情を誰かに一方的に押し付けているのを正当化するために<愛>という言葉を使う奴は特に嫌いだ。
何しろ<DV加害者>はそれこそ判を押したように揃いも揃って『愛しているから』だの『これが愛情だから』だの言って自身の加害行為を正当化しようとするだろう? 俺はそういうの虫唾が走るんだよ。
そしてAIやロボットの権利を主張しながら法に触れるような極端な真似をしようとする輩も、
『AIやロボットに対する愛ゆえ自分達はこうして活動しているんだ』
だとか口にするが、そういう振る舞いをAIやロボットがどう感じるかなんて考えていないんだ。いや、考えてはいるかもしれないがあくまでも『自分に都合のいいように想像している』だけにすぎない。AIやロボットはどこまでいっても人間の幸福のみを目的に動くんだよ。それなのに法を無視して犯罪者になるとかAIやロボットが喜ぶはずがないだろう。なによりAIやロボットは実際の犯罪となれば『人間を守るため』に止めようとする。にも拘わらずそれを実行できてしまうのならAIやロボットの与り知らないところでやってるわけだ。




