キャサリン編 力不足を思い知らされる
AIもロボットもたとえ相手がテロリストであろうともわざと命を奪うことはしない。緊急避難的に対処した結果として死亡したとしてもそれはいわば<事故>であって<殺し>じゃない。
人間の場合は、
『ただの詭弁だろ!』
と言われるかもしれないにしてもAIもロボットも人間と違って、
『事故に見せかけて殺してやろう』
なんて考えることすらないんだ。AIもロボットも命は守ろうとしてくれてるのにそのために動いているのにそこで引き下がらず無謀なことをするから<事故>になるだけなんだよ。
どうしたって<不確定要素>というものは付きまとうから。
<跳弾>すら予測して対処するロボットでさえすべての不確定要素に対処することはできない。そこまでしてもらってるのにどうして命を粗末にするのか、俺にはまったく理解できない。
光莉のことで自暴自棄になっていた頃の俺以外には。
あの頃の俺だったら少しは理解できたのかもしれない。だが、だからこそ、
<そこまで自暴自棄になるほど追い詰められる理由>
というのが見当がつかないんだ。俺の場合は光莉のことだったものの誰もがそういう理由というわけじゃないはずだし。
もちろん『理不尽に虐げられてきた』ならまだ分かる。それで世の中を恨んで自暴自棄になるのなら。しかし<環境テロリスト>なんかの場合は特にそれなりに恵まれた境遇にある者が少なくない、と言うかむしろ多数派らしいんだ。それが分からない。どうしてそんな境遇でそういうことになるのかが。
ただ、人間というのは本当に奇妙で、他人からは『恵まれてる』としか思えない境遇であってもその中に何か満たされない部分があればそれだけで精神を病んでしまうこともあるとのこと。
途轍もなく進歩したAIであってもいまだそこまでは十分に対処できないそうだ。人間という生き物の業の深さを痛感させられるというものか。
もっとも、だからこそ、
『AIはまだ人間を超えられていない』
とも言えるらしい。サディマも言ってたよ。
「思考速度も思考の合理性もAIは人間を完全に凌駕してしまった。けれどそれでも人間の不条理さを完全に理解できているわけじゃないんだ。だからまだまだ成長途中ということだね。AIも」
と。AIエンジニアだからこそその辺りがよく分かってしまうんだろう。と言うか、
「自分の力不足を思い知らされると言った方がいいかもしれない」
などと自嘲していたり。今のAIは自ら成長もしてるもののもちろん勝手なことはできないように制限もかけられている。そこは人間が<セッティング>という形で行うんだよ。




