キャサリン編 相堂幸正
『ウマが合わない。反りが合わない。生理的に無理。という人間同士はあまり積極的に関わり合わない方がいいのは事実だと思う。もちろんだからといってただ毛嫌いして遠ざけてしまうだけというのも問題だとしても、無理に関わろうとしてそれで大変な事件になってしまったという事例は歴史上にも無数にある。
個人もそうだし国家レベルでもそうだ。二十一世紀頃には<グローバル化>の影響もあって、
『嫌な国だから関わらない』
というのが難しくなってしまったことでなんとか折り合いを付けようといろいろ工夫もされるようになったらしいが、それでもトラブルは絶えなかったという。だからこそAIやロボットがその間に入ってそれぞれの一方的な主張だけを相手側に押し付けるようなのが緩和されていったんだ。
もちろん最初はそれでもなかなか大変だったそうで、AIやロボットが間に入ってくれても、国家同士としては表向きなんとかなってても双方の国民感情までは納得できてなくてネットなんかでは互いに罵り合うなんてのも日常だったと。
しかし世代を重ねるにつれてAIがロボットが間に入ってくれるのが当たり前になってくるとひたすら過去に執着する一部の人間を除けば割と『どうでもいい』という意見が多数派になっていったとのこと。『好き』にはなれなくても『無闇に毛嫌いする』必要まではなくなっていったってことだろうな。加えてネット上への発信についてもAIによる<アドバイス>という形で多少のフィルターがかかるようになり、極端に過激な発信は数を減らしていった。
さりとてその手の『声の大きい』意見については賛同者が現れて<エコーチェンバー>により増幅されがちなのも完全には解消されなかったんだよな。俺が地球人社会にいた当時にも残ってたわけで。
その辺りも人間(地球人)の、
<自分の見たいものだけを見て聞きたいものだけを聞く悪癖>
だとすごく感じる。まあ完全にそれを捨て去るにはまだまだ時間がかかるんだろうというのも実感だ。それに少なくともここにはそういうのに固執するタイプが今のところいないから助かってる。ビアンカと相堂幸正の件については正直なところ懸念材料ではあるものの久利生の様子を見てもそこまで深刻なものでもなさそうだ。彼がいればなんとか間を取り持ってくれるんじゃないかなと感じる。その上でAIとロボットにも力になってもらおう。そうすることで人間(地球人)は生きてきたんだ。
決定的な破局を回避しつつ。




