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未来編 エピローグ

なんてことを延々と語ってきたが、そんな俺にはまったくお構いなしに未来(みらい)達は自らの生をただただ謳歌していた。<生きる意味>とか<生きる上でのメリット・デメリット>とか彼らにとっては何の関係もなく関心もなく毎日を楽しく生きてるんだ。


村の外に一歩出た途端に死の臭いがまとわりついてくるようなこの世界でも、彼らにとってはそれ自体が粗末な問題だった。そこにあって当たり前の話でしかないんだ。それを承知した上ですべてを楽しんでる。


家族同士仲間同士で傷付け合う理由がまったくないからな。地球人社会のように。ここの<危険>にはちゃんと必然性があるんだよ。意味なく傷付けてきたり命を奪いにくる者はいない。ひたすら生きるためにそうしているだけだ。その中で遅れを取れば命を落とすこともある。それだけでしかない。


もちろんそこもただ無策に放置しているわけじゃなく事前に対処はしているからそこまで切羽詰まった状況でもない。笑顔を忘れるほどの極限状態というわけでもない。俺達大人がその辺りについては頭を絞っているし、その姿を手本として子供達に示して、彼らが<大人>になった時に同じことができるように学んでいってもらう。


イザベラやキャサリンには理屈としてはそういうものを理解できないかもしれないが、家族や仲間に対して危害を加えなきゃいけない理由さえ生じなきゃそれでいい。それ以上のものは求めない。素戔嗚(すさのお)についてもそうだ。


<人間>と<人間以外>の線引きはまだまだはっきりさせられないにせよ、<家族>や<仲間>についてはそもそも無理に線引きをする必要もない概念だよな。


畑仕事を終えて、未来(みらい)黎明(れいあ)とイザベラと蒼穹(そら)は一緒に家に帰っていく。ただただ微笑ましい光景だ。するとキャサリンが自分の<(いえ)>にちょうど帰ってきたのが見えた。その傍らにはドウ(ドーベルマンMPM十六号機)の姿もある。キャサリンにとっては家族であり仲間でもあるんだろう。本当に当たり前のようにそうしているし、誰もそれを否定したり嘲笑ったりもしない。だからキャサリンの方も家族や仲間を敵視する必要がない。


『子供ができない』ことについては多少残念ではあるものの、


「そこはキャサリンの好きにすればいいしね」


「ああ、僕達としては彼女に何かを強いるつもりはないんだ」


ビアンカと久利生(くりう)もそう言っている。ビアンカはともかく久利生(くりう)の方は『家のために』幼い頃から決められた婚約者までいるような境遇だったが、それを自分の子供達にまで押し付けるつもりはまったくないそうだ。


ただ自身の生をまっとうしてもらえればそれでいいと。


俺もそう思う。



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