未来編 人生ってのは本当に不思議だよな
『相手の存在自体を否定するような言い方自体がストレスになる』
それは確かだと俺も思う。俺にもその実感がある。言われる方ももちろんそうだが、実は、
『それを言う側も相手の反発を招くことで結局はストレスを受ける』
のも確かにあるんだ。
『ストレスを転嫁しようとして、解消しようとして、余計にストレスを受ける』
いやはや実に無意味な話だよ。情けない限りだ。なのにその<情けない振る舞い>をやめられない人間(地球人)は多くいた。メイトギアがすぐ傍でケアしてくれるってのにそれすら振り切ってそんな真似をするんだから。
でもまあ、かつての俺自身を思い出すだけでもピンときてしまうが、それを敢えて拒む人間(地球人)もいるからなあ。全体から見ればそれこそ<例外でしかないごく少数>であってもネット上だと無闇に声の大きい奴が悪目立ちするからまるでそういうのが当たり前にその辺にいるような気もしてしまう。
実に厄介な話だ。人間(地球人)というのがいかに『印象だけで物事を判断しようとする生き物か』ってのを思い知らされる。それは本当に危険なことなのにな。リスクの高いことなのにな。でもまあ危ういところではあっても何とか致命的な状況には陥らなかったから今がある。
それだけでも安易に人間(地球人)を見限るのは浅慮ってものだと感じるよ。かつて自分自身が人間(地球人)を見限った経験があるからこそ。まあ当時の俺はそこまで考えられるような状態になかったのも実感としてありつつだが。
同時に、だからこそもし子供達がかつての俺のような状況に陥っても見限ろうとは思わない。
俺の親戚は俺も光莉のことも見限ったけどな。それを恨んでも仕方ないから基本的に思い出さないようにもしてる感じだ。その手の<恨み>に囚われてちゃそのこと自体がストレスを生み続けるし、自分自身を痛めつけることにしかならないさ。
いくら血が繋がっていてもあの人達は<別の人間>であり<事実上の他人>だ。だったら期待する方がどうかしていると思う。それに、
『遠くの親類より近くの他人』
という言葉もあるし。まあ俺の場合はその<近くの他人>さえ信用してなかったから意味がなかったが。
だからこそ俺の傍にいてくれたエレクシアに感謝せずにいられないというのもある。彼女がいなければ俺は本当にどこかで野垂れ死んでいただろう。当時はそれでもいいと思ってたが、結果として生きていたからこそ今があるのもまた事実。
人生ってのは本当に不思議だよな。




