未来編 優れた才能
地球人社会には、
<恵まれない境遇にいたからこそそこから這い上がるために死に物狂いの努力をして自身の才能を開花させた者>
がいたのも事実だと思う。それが地球人社会に大変な貢献をもたらした事例も少なからずあるのは事実なんだろう。
だがそれを実現できたのはおそらく<そういう境遇>にいた人間の中のごくごく限られた存在だけというのも事実のはずなんだ。そしてそのごくごく限られた事例の陰にはとんでもない地獄もあったはずなんだよ。それ自体も実際に記録されている。<事件>という形で表沙汰になったものだけじゃなく、メイトギアが<日常の記録>として残してくれていたものも。
それが浮き彫りになると、さすがにごく一部の特異な事例において称賛を浴びるようなものがあるとしてもそれを理由に<苛烈な環境>を正当化しようという考えについてはブレーキがかかるようになったそうだ。
これにより、
『<ハングリー精神>が失われあらゆるジャンルが先細りになっていく』
と考えた者達もいたそうだが、しかし実際には逆にパフォーマンスは向上し、特にスポーツの世界では、
<人間という生物が実現可能な限界のパフォーマンス>
に至れているという話もある。
それにそもそも、
<恵まれた環境にいながらも途轍もなく強い気持ちで自身の目標に挑める人間>
も現にいるんだ。理解のある両親の下に生まれ、経済的にも恵まれ、サポートを買って出てくれる人材にも恵まれているにも拘らず、いや、だからこそ<並外れた勝利への執念>を見せて活躍したアスリートもいるとのこと。
加えて、
『才能のある選手に対してきちんと適切で根拠のあるアプローチによる練習を重ねて結果を出す』
というのが本来の姿であるはずだ。
『窮鼠猫を噛む』
的に、
『追い詰められた者がその一瞬だけ限界を超えた力を発揮する』
のを意図的に引き出そうとするのは『それは正しいのか?』と俺も思う。感じる。特に自分の子供達のことを思えばこそ。
『たまたまそういう境遇に陥ってる者が這い上がるための手段として特別な手法に頼る』
のは分かる。そういう方法もあると思う。だがわざと追い込もうとするのは本当に好ましいことなのか? <才能を持つ者>がいるなら、
『あくまで真っ当な方法でその才能を引き出す』
のが<正道>というものじゃないのか? だから今の地球人社会では、
<才能を持つ者に対するサポート体制>
も充実している。だからこそ結果が出る。多くの<優れた才能>が世に出たんだ。




