未来編 尊敬に値する
自分じゃない人間はどこまでいっても常に自分の思い通りに都合よく動いてくれるわけじゃない。存在してくれるわけじゃない。
冷静に考えればあまりにも当たり前すぎる話なんだ。これまでにも何度も語ってきたと思うが、自分自身が自分以外の誰かにとって常に都合よくいられるかと言えばまったくそんなことはない事実と向き合うだけでそれが分かるはずなんだよ。自分自身を省みるだけでそれが分かるはずなんだ。
なのに人間というのは、自分以外の誰かに対して勝手に期待してその通りにならなかったからといって勝手に憤るなんて理不尽な真似をすることがある。対して野生の生き物の場合はもしそこでキレたとしても影響は実に限定的だ。あくまでもその場の行動が攻撃的なものになったりするだけでその場さえ凌いでしまえばすぐに忘れて落ち着きを取り戻したりするだろう。
しかし人間というのは変に知能が高いからこそ憤りを忘れず恨みを忘れず憎しみを忘れずそれを晴らそうと自身の知能を使う。さらには<力のアウトソーシング>を利用して自身の能力を超えた結果を得ようとする。
『ネットを利用して他者を攻撃する』
なんてのもまさしくその典型だと思うんだ。人間以外の生き物にはそんなことできないわけで。
ゆえに人間は『自らを省みる』ことで、
『自身の振る舞いがどのような結果をもたらすかを想像する』
必要があるはずなんだよ。それをすればこそ地球人類は破滅を回避してこれたはずなんだ。
たとえ自分が親から『自らを省みるというのはどういうことか?』を教わっていなくても何らかの形でそれを獲得してきたからこそ<致命的な短慮>は起こさずにいられたんだろう。
『親がそれを教えてくれなかったんだから仕方ないだろ!』
などと甘えたことを言わずに。それをできる人間が結構いたということだ。だからこそネット辺りで自身の振る舞いの影響を考えることもせず目先の感情にばかり従って他者への攻撃を繰り返す奴は『甘えてる』という印象しかないんだ。
ビアンカや久利生も決して『両親に恵まれた』わけではなかったにせよそれを理由に自分以外の誰かに対して攻撃的であることを是とせずなるべく鷹揚でいようとしてくれてる。その結果が今のルコアであり未来であり蒼穹でありイザベラなんだと思う。みんな本来は激しい気性を備えているはずなのに他者を傷付けることを当たり前だとは考えていない。そういう人間に育つことができている。育てることができている。
本当に尊敬に値するよ。




