未来編 存在意義を疑う必要
とにかく、未来達の<勉強>は単に知識や教養を得るためのものじゃなく、
『自分以外の者がすぐ傍に存在しそれが自分にとってどういう存在であるかを実地で学ぶ』
ためのものでもあるんだ。で、最初は集中して臨めてても十五分もするとそれも途切れてくる。
すると最初はただルコアの説明を聞いていただけだった未来が、
「なあこれってどういう意味だ?」
とタブレットをルコアに向かってかざしながら尋ねてきた。そこには、
『人生万事塞翁が馬』
という諺が記されていた。もっともその意味についてはすでにルコアが説明していたが集中力が切れた未来には頭に入らなかったようだ。
すると黎明が、
「何言ってんのお兄ちゃん。今さっきルコアが教えてくれたじゃん」
少し呆れたようにそう口にする。だがルコアは、
「これは、噛み砕いて言えば『人生は何が幸いするか分からない』という意味だね。その時は<よくないこと>だと感じても後になってみたらそのおかげで別の<いいこと>が起こったりするし」
と丁寧に説明する。
『さっきも言ったでしょ』
みたいな言い方はしない。その上で、
「私は今のこの姿に生まれて最初はすごくショックだったけど、でもそのおかげで未来や黎明やイザベラや蒼穹にも出逢えた。だから幸せだよ。こういうのを『人生万事塞翁が馬』って言うんだ」
未来が理解できるまで何度でも 丁寧に説明してくれる。しかし未来は、
「ん? なんで今の姿がショックなんだ? すげえキレイじゃん」
まったくピンと来ていないかのように不思議そうにそう口にした。
当然だな。今のルコアの姿を異形だと感じるのはあくまで<地球人の感覚>だ。生まれた時からルコアやビアンカを見てきた未来にとってはそれがルコアでありビアンカなんだ。自分とは違っていても『違っていることが当たり前』だから今の自分の姿をショックに感じるというのが未来には分からない。
もちろん『見た目が好みか否か』は重要だ。『造形が整っているか否か』はそれぞれの好みの違いによって変わるからそこまで重要じゃないにせよ、<好みの見た目>というのは『親しくなろうと思えるかどうか』に大きく影響する。『内面を見ようと思ってもらえるかどうか』にも影響する。
その点、ルコアの見た目は未来にとっては十分に<好み>だったんだろう。その上で<命の恩人という事実>が彼の脳に強烈に焼き付いてるんだろうな。彼にとってルコアという存在はあまりに大きい。存在意義を疑う必要なんて微塵もないくらいに。




