未来編 彼女の存在価値
ちなみにイザベラは、言葉自体の発音がいささか怪しい点からも察せられてしまうかもしれないが、<勉強>というものについてはまるで適性を持たないようだ。彼女も頭の回転は速く何かを判断する際はほとんど躊躇わない一方で『関心のないことを覚える』のは非常に苦手らしく地球人の同じ年頃の子供に比べても明らかに<知識量>は劣っているだろう。
これも現実は現実として受け止めつつもビクキアテグ村で暮らす上で最低限必要な<心得>については理解してくれているし、なにより<家族>に対して攻撃性を向けないでいてくれてる。それだけで十分だよ。
現在の地球人社会では医療技術ももはや<魔法>のように進歩して、<遺伝子疾患>の類もほとんどが<治療>ないし<日常生活に支障ないくらいにまで緩和>できるほどになった。だからそれに伴う<他者と関わる上で問題とされてきた諸々の特質>についても大幅に解消されてきたそうだ。まあ、いわゆる<コミュ障>と呼ばれるような得手不得手まではいまだに解決されてないものの『単純に性格の問題』とされるような部分まではさすがに干渉するのは憚られるんだろうな。そこまでいくともはや<コーディネート>になってしまうだろうし。
<遺伝子コーディネート>が推し進められそうになった時期もあったみたいだが、それ以上に、
『人間という種の未来に絶望して子供自体を生まなくなっていった』
ことでなんかうやむやになったらしい。
『遺伝子コーディネートにより完璧な人間が作られるようになる』
ことも<少子化>には勝てなかったというわけか。
『優秀な美男美女ばかりの世界になれば幸せになれる。とは限らない』
と見透かされてしまったのかもな。まあ、外見でも経済面でも凡人よりははるかに優れてるはずの芸能人でさえ<生き難さ>を感じて自ら命を絶つようなこともあったんだ。それを考えれば<生き難さの解消>に直接効果があるものでもないんだろう。もちろん多少は有利になるんだろうが、『誰も彼もが優秀な美男美女なった』らその時点でアドバンテージもなくなるしな。
そんなことよりも結局は、
『自分のままで生きられる』
方がずっと健全なんだろうさ。今のイザベラのように。
別に『勉強には不向き』であっても『彼女の存在価値がなくなる』わけじゃない。ビクキアテグ村で暮らす者は誰もそんなことで彼女の価値がなくなるとは思わない。イザベラはイザベラだ。他の何ものでもないんだ。
その当たり前が通用してるだけなんだよ。




