陽編 人間という生き物が陥った誤謬
<命>に<意味>があることを求めようとするのは、
<人間という生き物が陥った誤謬>
だと俺は感じたよ。萌花と錬慈が楽し気に遊んでいるのを傍らに見ながら陽と和は麗を伴って今日もパトロールに出掛けた。
その振る舞いに無理に意味を見出す必要なんて何もない。ただ陽も和も自分達の穏やかな暮らしを守りたいから、守れる自分でいたいから、それをしてるだけにすぎない。<役目>とか<仕事>とかそんな単純な言葉で言い表せるものじゃないんだ。
俺達は生きてる。生きて自らの人生を生きてる。その中で自分にできることをして自分達のこの幸せを守ろうとしてる。それ以上でもそれ以下でもない。
朋群人は地球人以上の力を持ち地球人にできないことをしてみせるかもしれないが、してみせているが、それは決して『地球人よりも優れている』ことを意味しない。
『自分にできることをしている』
だけなんだ。そして地球人はいくつもの惑星を生存圏として拡大し、繁栄を続けている。対して朋群人はまだまだ<社会>すら確立していない。<生物>として成功しているのはどちらだろうな?
まあ、朋群人の方はようやくハイハイをし始めた赤ん坊のようなものなのかもしれないが。これから成長していくところなのかもしれないが。
地球人は<生きる意味>なんてものに拘って危うく袋小路に陥るところだった。<生きる意味>に拘り過ぎた結果、
『こんな世界に子供を生みだすとか残酷で無責任すぎる』
という結論に至り、絶滅するところだった。<人口爆縮>だ。その<意味と価値観の袋小路>から抜け出す切っ掛けになったのが、
『地球から飛び出すこと』
だったんだ。まあそれすら単なる<原因の一つ><理由の一つ>でしかないんだろうけどな。実際にはもっと複雑な諸々が絡み合って結果としてそうなっただけだと思うよ。
いずれにせよ、今の地球人がいるのも実に際どい<綱渡り>の先だったんだろう。そしてそんな先人達の経験を基に俺達は生きている。だからわざわざ同じ轍を踏む必要もないはずだ。
<生きる意味>に囚われ過ぎず、<命の価値>に拘り過ぎず、ただ<生きているという事実>のみに目を向けて、それぞれが自分にできることをする。同じ<人間>を害し傷付けるのでもない限りどんな生き方をしようとも構わない。その生き方の意味も価値も当人が決めればいい。
その点で言えば俺の<家族>は実によくやってくれてるよ。しっかりと自分の命を生き切ってくれたし生きてくれてる。




