陽編 人間(地球人)ならではの苦労
そうだ。人間(地球人)として地球人社会で生きていくには、それこそ途方もない<約束事>や<ルール>や<法>や<しがらみ>と上手く付き合っていく必要がある。それに適応するためには優先度が高くない能力については切り捨てていかなきゃいけなかったんだろうな。
<生身での攻撃力>を。
生身での攻撃力を捨てても<武器>があれば手軽に高い攻撃力を得ることができるし。
さらに<高い知能>を活かせば<作戦>によって攻撃の効果を高めることもできる。
半面、地球人社会で生きていくための煩雑な諸々を理解し習熟しなきゃならなくなったわけだ。
これは、<人間として生きるためには必要なことなんだが実は必ずしも必須というわけでもないしがらみと呼ばれる面倒事>まで蓄積してきてしまったりもしたよな。
久利生が縛られていた<家>についてもそういうものの一つだろう。そこまでしなくても生きていられる人間が大半である時点でそれは明白だ。
しかし<しがらみ>というヤツは、それを是とする人間にとってはそれこそ<絶対>ですらある。それを否定するのは<自己否定>そのものにさえ繋がるんだろう。だからこそオリジナルの久利生はそこから逃れることができなかった。久利生自身はそこまで必要だと感じていなかったにしても、両親をはじめとした<家族>を否定することを是とは考えられなかったわけだな。
メイトギアが実用化されて地球人社会における<過剰な負担>の多くは解消されたもののさすがにその辺りについては難しいようだ。
それでも、
『家督を継ぐ人間の能力が低くてもメイトギアをサポートに付けることで補う』
ということも行われていたりで、上手く取り入れてる事例もあるそうだけどな。<事務能力>はそれこそメイトギアの独壇場とさえ言える部分だし。
<他者との折衝>も、感情に囚われることのないメイトギアなら実に効率よくこなしてくれる。人間自身がしなきゃならない場合でもサポートという形で力になってくれるわけで。
しかしだからこそ、
『家督を継ぐ適性に欠けるからその責を免れよう』
としてもできない事例が増えたという皮肉な一面もあるらしい。まあその場合はそれこそ面倒なことはメイトギアに任せてしまって当人はただの<お飾り>に徹するという割り切りができれば案外気楽なものだったりもするらしいが。
しかし野生の生き物であればそんなことに煩わされることがそもそもないから、人間(地球人)ならではの苦労ではあるか。




