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陽編 生き物としては当然の習性

生身の人間の場合、自身を守るために厄介事には関わらないようにする傾向があるよな。だがそれ自体は、


<生き物としては当然の習性>


だ。特に<個>というものが存在する生き物の場合には。


群れをつくる昆虫なんかの場合だと、その群れ自体が実は<個>であって群れを構築する個体群はいわば<細胞>のようなものだと考えることができるらしい。<細胞>には自我もなく、肉体を守るためには犠牲になることさえ厭わない。群れをつくるハチやアリなんかはそれこそ個々が死を恐れているような様子は基本的に見えない。


もちろんそれこそ無駄死にするようなことはわざわざしないにしても、群れが存続するためなら進んで命を投げ出すような振る舞いもする。だがそれらも<群れという肉体を構成する細胞>だと考えればなるほどと思えてしまう。


しかし人間は、種全体で<群体>を思わせる振る舞いをすると同時にあくまでそれは<個の集合体>であって、それぞれの<個>には自我があり自身の命を何より優先したりもする。中には<自己犠牲>に喜びを見出してしまう人間もいたりするものの決して一般的じゃない。基本的には『自分が大事』じゃないのか?


だからこそ他者同士で揉めていてもいちいち首を突っ込んで面倒事に巻き込まれたくないと考えたりもする。学校や職場でのイジメを見て見ぬふりするのも珍しいことじゃないだろう?


だが、AIとAIによって制御されるロボットは違う。ネットワークで繋がっているAIとAIによって制御されるロボットには<個という概念>が希薄なんだ。何しろデータは常にバックアップがとられて、筐体や機体が破壊されても修理や交換によって復帰が容易だからな。これまでにも何度も触れてきたようにロボットは<全体で一体のロボット>だったりもする。ゆえに<個を守る必要>がないからリスクを冒すことに躊躇いがない。


かつて考えられていた<ロボット三原則>の中には、


『自己を守る』


という項目があったそうだが、現在の解釈において<自己>は<自機>のことじゃない。自身の筐体や機体のことじゃない。<AIとAIによって制御されるロボットそのもの>のことなんだ。となれば、『人間の幸福に資するために』それぞれの筐体や機体は躊躇なく投げ出すこともできるし、する。それがAIでありAIによって制御されるロボットという存在なんだ。


人間同士で衝突し犠牲が出る可能性があると判断すればAIやAIによって制御されるロボットは迷うことなく動くんだよ。



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