2. すれ違い
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目の前の男は、いつも利用している酒場のマスター・セウイチの中の人だった。確かに言われて見れば、すこし色あせた茶髪こそ見慣れないが、糸を引いたような細い目つきはセウイチにそっくりだ。
隣にいた女性もまた名乗り出る。
「ちなみに私はセリスね。坂本翠佳です」
「あ……セリスさん」
惚けるようにつぶやいた莉世を見て、翠佳はくすくすと笑ってみせた。
「この人らはウチの卒業生だ。ナインスオンラインで出会った後、知り合ったんだけどな」
「へぇ」
和人が説明すると、莉世は興味津々と言った顔で、和人と下村、翠佳の顔を順番に見渡していた。
「それで、何しに来たんだよ」
「柳楽ー。それはご挨拶だな。可愛い後輩が働いてるから、売り上げに貢献してやろうとしてきたのに」
「嘘つけ。面白半分だろうが」
「あはは! よくわかったな」
「柳楽君、意外と真面目に働いてるんだね。さっき博と驚いてたんだよ」
翠佳が感心した様に言うと、和人は迷惑そうに吐き捨てた。
「一応実行委員だからな。めんどくさいが、仕事は仕事だ」
「柳楽君は頑張ってますよ。クレープ焼くの凄く速いんですから!」
なぜか莉世が自慢げに話すと、下村は愉快そうに笑った。
「あはは! まあ、ルーチンワークはこいつの得意技だからな」
「うるせぇですよ、先輩。冷やかしならさっさと帰ってくれ」
「まあまあ、冷やかしに来たってのは間違いじゃないんだが、もう一つ用事があってな」
「用事?」
和人が怪訝そうに聞き返すと、下村は一度頷いてから続けた。
「あぁ。莉世ちゃんにも関係があるから、一緒に聞いてほしいんだけど。今度シオンの奴が主催で、オフ会をしようって話があってな」
「えっと、オフ会?」
莉世が首をかしげる。翠佳が優しげに微笑みながら説明した。
「オフ会っていうのは、ネットの知り合い同士が現実世界で集う会の事よ」
「えっと、中の人たちと会えるんですか?」
「そういう事」
下村が答えると、和人があまり興味なさげな様子で言った。
「オフ会とか、あまり趣味じゃないんだが」
「いやいや。今回はメンバーが変わってるんだよ。声をかけてるのはガルガン、キャスカ、ヴォル、アクライ、それにニキータとかドクロとか――」
「いやに懐かしい面子だな」
和人が感想を言うと、下村は大笑いしながら答える。
「あはは! そうだろ? なんか、古参を集めて昔話でもしようっていうノリらしいぜ」
「そりゃまた年寄り臭い発想をしたもんだ、シオンの奴も」
和人は口ではそんな事を言っていたが、よく見ると顔をほころばせている。その表情を見て、下村は脈ありと踏んだ。
「まだ日程は決まってないが、たぶん夏休みに入ってからだと思う。で、恐らく都内のほうでやるはずだから、俺が送っていってやるよ」
「先輩、免許持ってたっけ?」
「今取りに行ってるんだよ。こいつがうるさくてさ」
そういって、隣の翠佳を小さく指差す。彼女はいたずらっぽく微笑みながら言った。
「どうせ授業もサボって、一日中ナインスオンラインしてるだけだから、いま取らせてるのよ。ま、最近はほぼ全部VR機で取れちゃうからね」
「そそ。まあもうちょっとで終わりだから、一緒に行こうぜ」
「……まあ、別にかまわねーよ」
「よし、決定!」
セウイチが嬉しげに手を打つ。そして視線を、話の流れを見守っていた莉世に向けた。
「それで、莉世ちゃんはどうする?」
「え、でも。私は古参じゃないから……」
突然の話に、遠慮気味に答える莉世。下村が軽い様子で続ける。
「大丈夫でしょ。キャスカとかアクライとか、よく一緒に遊んでるじゃん」
「私も行くしねー。ライトユーザーの仲間が欲しいわ」
「えっと……」
莉世が少し困ったように和人を見た。彼はあまり興味なさげにアドバイスする。
「まあ、シオンに聞いてみれば良いじゃねーの? たぶん構わないとは思うが」
「あ、うん。聞いてみる……もし良かったたら、一緒に行っても良い?」
「別に、俺はどっちでも」
無表情に答える和人を、下村がニヤニヤ顔で見つめていた。和人がそれに気がつき、頭を押さえつけてしまう。「おい、俺は客だぞ」と下村が笑いながらそれを振り払っていた。
「話は終わりか?」
和人が肩を払いながらに聞く。下村はそれに手を振って答えた。
「あぁ。今日来たのは直接言いたかっただけだからな。今日はインするのか?」
「パッチ入るのは深夜だろ。今日はこの後片付けもあるし、明日から代休だから、朝からインするよ」
「りょーかい」
そこまで話して、和人は二人から離れた。莉世はしばらく二人に捕まって、色々と楽しげに談笑していたが、彼には早く裏方に戻らなければならない理由があった。
「柳楽ー! 早く代わってくれよー」
厨房エリアに戻ると、角谷達がクレープ生地を焼くのに四苦八苦していた。
◆
「いえーい。お疲れー」
「お疲れ様ー」
時刻は夕方となり、文化祭は大きな問題も無く終了した。和人達2年1組の売り上げはかなり良かったらしく、2年生の中での桜実賞なる賞をゲットしていた。
その為、残り物をみんなで食べながら片付けていると、誰からともなくクラスメイトが打ち上げ会に行こうという提案が挙がっていた。
「おーい。柳楽はどうする?」
クラスメイトである牧が、テンション高めに聞いてくる。背後から肩を組まれてしまい、和人は眉をひそめてしまう。
「俺はパス。残った材料を持って帰らないといけないしな」
「結構女子も行くみたいだぜー。いいのかー?」
ニヤニヤと聞いてくる牧の大柄な体にげんなりしながら、和人はため息をついた。クラスメイトとの打ち上げなど、彼にとっては全く興味の無いイベントだ。そんな事より、疲れたので彼はさっさと帰って休みたかった。
クラスの片づけが終わると、打ち上げ組がテンション高めに帰っていく。その中にはもう1人の文化祭実行委員である莉世も含まれていたが、彼女は和人が教室に残っている姿を見て、小さく驚いていた。
「あれ……」
「莉世,早くいこーよ!」
「え、あ、うん……」
クラスメイトを見送ると、和人は残った材料と、自分の家から持ってきていた調理器具をナップサックにまとめ、立ち上がった。
窓から見える校庭では、出店を出していた1年生達が片づけを続けている。時刻はすでに19時前だったが、夏至に近いこの時期はまだ日が長く、ようやく傾き始めた夕日が街を赤く染め始めていた。
「疲れたな……」
誰も居なくなった教室で、和人は一人呟いた。いつもゲームばかりしている彼は、どうせ興味が無いからと、昨日から他の出し物は回らずにひたすらクレープ生地を焼き上げていた。
クラスが売り上げ賞が取れた一つの要因が、彼の献身的な仕事振りだったのだが、そんな事を人からねぎらわれるよりも、彼にとってはようやく学校行事から解放された事の方が嬉しかった。
自由にナインスオンラインをプレイする時間が戻ってくる。彼にとって、それ以上の喜びは無かった。
「おつかれさま、柳楽君」
「……?」
突然掛けられた声に少し驚きながら顔を向けると、教室の入り口に先程打ち上げに出て行ったはずの莉世が、息を切らして立っていた。
何をしに戻ってきたのかと、和人がいぶかしむ。
「忘れ物か?」
「えっと、うん、そんな所」
「ふーん」
見たところ、特に探し物をするでもなく、廊下に出るドアをふさぐように立っている莉世に、和人は小さく首をかしげた。
沈黙する2人。外から見知らぬ生徒たちの声がさえずりのような音量で聞こえてくる。どうしたものかと和人が困っていると、莉世のほうから言ってきた。
「柳楽君、打ち上げ出ないの? 実行委員なのに」
「……俺がそういうの、好き好んで出るように見えるか?」
「うーん」
莉世が苦笑いで答える。確かに見えないと顔に書いてあるようだった。彼女は気を取り直して言う。
「それじゃあさ、途中まで一緒に行こうよ。みんな先に行っちゃったから、私1人なんだ」
和人が盗み聞きしていた限り、打ち上げは駅前のファミレスに行くという話だった。歩いて数十分の距離だが、莉世と一緒に歩いて行くとなると、和人は自身の自転車を押していかなければならない。
それは作業に疲れた彼にとって、あまり気の乗らない誘いだった。
「……よくわからんが、あまり気を使わなくていいぞ」
「えっ……?」
和人の答えに、莉世は驚いた様子で声を上げた。しかし彼は気にせず続ける。
「俺は現実の人付き合いは苦手だからな。俺なんかを気に掛けてると、普通の友達が離れていくぞ。気をつけろ」
和人は、気付いたら前々から思っていた事を口にしていた。莉世は人懐っこい、社交的な女子だ。今回の文化祭もまた、ほとんどが彼女の性格と人当たりのよさで成功したようなものだと和人は考えていた。そんな彼女に気を使われても、根暗な彼にとっていまいち落ち着かないのだ。
ただひたすらにゲームに没頭したい和人にとって、莉世は生きる世界が違う存在だった。彼女と現実に話しても、お互いにとって不利益だ――和人は前々からそんな事を考えていた。
「別に……構わないよ」
「は?」
少しうつむきながら、莉世は小さく呟いた。和人が意味が分からず聞き返すと、彼女はぶんぶんと顔を横に振った。
「ううん。なんでもない。なんかごめんね、無理強いして」
「ん。いや」
「それじゃまた、ナインスオンラインでね!」
莉世はそう言って、ぱあっと明るい笑顔を見せる。そしてクルリと振り返り、廊下をパタパタと足音を鳴らして去っていった。
教室に1人残された和人は、ゆっくりと時間をかけてから教室を後にした。




