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022

 定刻通りに現れた神官の一人は、既知の人物だった。

 ふっくらした顔つきの神殿主幹技師だ。さすがに笑顔こそないものの、穏和で平静な印象は変わらず揺るぎない。彼女は壁際に立つユラを見て、意外そうに目を瞬かせた。


「まあ、驚いた。ここで知っている顔に会うとは思わなかったわ」


 護衛にも見まがうような厳つい部下を連れたところを見るに、彼女はどうやら、随行者ではなく主要人物のようだった。

 ニッツフェンが如才ないタイミングで口を挟んだ。


「実は偶然、我々の小さな令嬢を助けていただいたのですよ。両手の軽い炎症だけで済んだのは、彼女のおかげです」

「あらあらあら、まあ」

「非常に幸運でした。何しろ、彼女は今回の問題の専門技術者だ。なぜこのような惨事が引き起こされてしまったのか、我々に適切な助言を与えてくれるでしょう」

「あらあら。彼女が優秀な魔工技師であることは否定しないけれど……その役割に適任かという点では、どうお考えかしら?」


 棘のある口振りではなかったが、その目には、相手に見せるための警戒が覗いていた。

 かつて禁術に関わっていた人間を側に置こうというのだ。他意を疑われても仕方がない。

 ニッツフェンは動じることなく、平然と返答を口にした。


「我々はこの惨事を最小限に押さえ、速やかに原因を特定し、排除し、再発を防がねばなりません。ただ、もちろんその責任は我々にある。彼女に求めるのは、あくまでそのために必要な『説得力』です」

「なるほど。では、彼女の意志に任せましょう」


 神官は穏やかに微笑んだ。

 どんなものが来ようと小揺るぎもしないかのような泰然――それはおそらく、今彼女が背負っているものが、神殿そのものであるためなのだろう。


「さあ、そろそろ始めましょうか。いつにもまして時間が貴重な時のことですからね」


 にこやかながら緊張感のある前置きを終え、各々が席に着く。

 そこから始まった会談は、神殿側の独壇場と言ってもよかった。用意されていた題目は、本日の主眼はそこにないのだとばかりに手早く畳みかけていく。可も不可も、決めるのは神殿であると、その態度が告げていた。

 意見の摺り合わせと言うより、もはや口頭の通達だ。

 ニッツフェンは終始苦い顔だったが、時折二、三の確認をするだけで、強く食い下がる様子は見せない。


 実際、話題が《傘》の話に入るまで、ユラが退屈するほどの時間はかからなかった。


 ニッツフェンはユラにしたのと同じ説明を、淀みなく告げた。驚いたことに、慎重に表現を選びながらも、そこには一切の嘘や誤魔化しがなかった。

 見た目とは違い、冷静な交渉事のできる人材のようだと、ユラは半ば呆れ混じりの感想を抱いた。


(……それにしても……ここまで、随分と一方的よね。わざとなのかしら……?)


 ユラにとって、政治は異分野だ。やりとりの意図も目的点もその経路も、今ひとつ理解できない。

 少し気が散っていたところに、神官の声が響いた。


「お話はよく分かりました。……さしあたり、あなた方の望みは、早急な《傘》の再構成。それでよろしいですね?」


 ひやりと背中が冷たくなる。ユラは息を呑み、目線を上げた。

 低い声でも、声を荒げているわけでもない。だというのに、場の空気を一掃するような力が、その声にはあった。

 漂う空気の緊張感がいや増す中、ニッツフェンはわずかな沈黙だけで口を開いた。


「仰る通りです。こちらに非がある事は重々承知の上ですが、このままではどれだけの被害が――」

「バルガネス卿。二度目はないのです。おわかりですね」


 ただ人の好いばかりだった神官の笑顔が、底知れぬ深みを帯びた。

 反論の言葉を喉の奥に押し込み、ニッツフェンが奥歯を軋ませた。神官は、ゆったりとした口調で続けた。


「五年前、《神殿》は強権を発動してまでガンプリシオに進駐しています。各国の反発や警戒を考慮した上で、被害を最小限に抑えるためにそうしたのです。……その保護を自ら拒んでおきながら、再び寛恕を求めるというのは、あまりに虫のいい話ではありませんか?」


 決して険を含ませない声だったが、その響きには有無を言わせないものがあった。

 事態が明らかにならないうちから動けば、各国からいらぬ疑惑を招くだろう。《神殿》がそうまでして手をさしのべてやる理由など、どこにもない。

 原因を作ったのはガルフォールトだ。

 ――たとえ《神殿》に、それ以上の目論見があったとしても。


「ここで一つ、ご意見を伺おうかしら。……そこの貴公子さん? あなたはどう思いますか」


 ガルフォールト側の人間が緊張に身を固める中、金髪の青年はおどけた仕草で肩をすくめた。


「筋違いだというのは同感です。面目次第もない。……ただ、支配者のしでかしたことで被害を受けるのは、いつだって何の責任もない人間ばかりだ。虫がいい話だとは承知の上で、縋れるものには縋りたいのが人情ってものです。責任を負うのは、もっと上の人間であるべきだ」

「ガルフォールトには、その覚悟がおありかしら」

「それは、これから証明するしかないですね」


 神官は、にこりと笑みを浮かべた。


「あなたのご意見には、個人的には同感です。ですが、政治の問題上、現状で《神殿》が動くことはできません。――ガルフォールト王より、公式に依願を。それが絶対条件です。そのために、あなた方はもう動いておいででしょう?」


 沈黙を守るニッツフェンに、ユラは苦々しい思いでため息を飲み込んだ。

 反論を封じられた形だ。交渉者が白旗を上げている以上、発展はないだろう。

 人好きのする笑顔でとりつく島もない空気を作るという、この上なく矛盾した事をしてのけた神官は、あくまでその笑顔を保ったまま、部下に目配せをした。


「《神殿》はいつでも動けるよう準備をしています。可能な限り早急に、《傘》の再建を行いましょう。そのために必要なものを、一日でも一時間でも早く我々に提示してくださることを、心から願っています」


 告げるべきは告げたという態度で《神殿》からの使者たちが引き上げ始める。

 身構えるユラの前で立ち止まり、神官は穏やかな声で言った。


「あなたも災難続きね、ユラ」

「いえ。身から出た錆ですから」

「あなたから情報を得ていたにもかかわらず、この有様ですもの。信用を損ねてしまったかしら」

「いいえ。……ただの、成り行きです」


 ユラは視線を落とした。

 責任があるとしたら、それは、ユラこそが負うべきものだ。平然としていられるほど冷血にはなれない。


「……一つ、確認させてください」

「何かしら」

「元第六研の人間で、今、《神殿》の監視下にないのは――」

「セシロトの第二王子、クランヘルム・ゼスト・アーネル氏、ただ一人だけです」


 ユラは唇を結んだ。

 どうしてだろう、と内心に問いかけた。どうしてこんなことになってしまうのだろうかと。事が起きてから、何度もそうしてきたように。

 いつになく沈んだユラを見て、ガルフォールトにおける臨時最高責任者は、別の懸念を覚えたようだった。


「あなたがそれを選ぶのなら、それでいいでしょう。ただ……過去が追いかけてきたとき、それはもう、あなただけの問題ではありません。わかりますね?」

「……いやと言うほど承知しています」

「そう。では、私から言うことはありません。覚えておいてくださいね、ユラ。正しい選択だけが、あなたを守ります」


 ユラは苦々しい気持ちで、神官を見送った。

 二年前にとった選択は、自分を守りたくて選んだ訳ではない。だが、それを口にしたところで空しいばかりだ。

 絶対的に正しい選択などどこにもない。

 後悔をしないためには、ただ、後悔すると思う道を潰していくほかないのだ。

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