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 空き部屋は当分空気を入れ換えていないようで、冷え込んだ埃っぽい空気が喉をつついた。ユラの持つ改造ランプはずいぶんと明るく、作業をするのに問題はなさそうだ。

 ログイットが水道管に手を掛けたところで、ユラが声を掛けた。


「あ、待って。凍結してるところは分かるから」

「え?」

「適当に術式組んでみたの」


 水道管内部の圧と温度を検出した魔法術式は、言葉通りあっという間にその位置を特定した。

 ログイットが「へえ」と感心したような声を零す。ただ、その内訳は、感心と呆れが半々といったところだ。

 微妙なニュアンスを感じ取り、ユラが目を眇めた。


「……何よ」

「いや、すごいのはすごいんだが……魔法を使うほどのことかな、と」

「別にいいじゃない。時間の節約になるわよ」


 ユラは横を向いて返した。

 実のところ、言われて初めて正論だと言うことに気付いたのだ。

 何をするにもまず術式構成を考えてしまうのだから、これはもはや職業病だ。人生そのものはともかく職歴的には温室育ちだったせいで、経費という概念が薄いのも一因か。

 自分の世間ずれを今更ながらに自覚していると、ログイットが殺しきれなかった笑い声を零した。


「……何笑ってるのよ」

「いや。姪っ子のことを思い出したんだ」


 点検口の蓋を外しながら、ログイットは笑い混じりに答えた。

 水道管に布を巻き付け、ぬるま湯を注げば、余熱も助けてすんなり水が通るようになる。


「あの時計の子?」

「ああ。兄の娘で……ティティっていうんだけど。あの時計、その子がくれたんだ。お守りだって言って」

「それ、自分の写真を入れて?」

「そう。俺が寂しいだろうから、寂しくないようにってさ」

「ずいぶんな自信家ね」

「可愛いだろ?」


 無邪気を絵に描いたような話だ。恋人同士のそれとは違い、本当に何の含みもなく決めた贈り物だったのだろう。

 そして、幼い子どもがそれだけの自信を持てるのは、有り余るほどの愛情を注がれているからだ。疑問も不安もない幸福がどれだけ得難いものかを、知らない無垢さ。

 ユラは知らないものばかりだったが、子供のそんな笑顔は、嫌いではなかった。


「叔父馬鹿なのね」

「……まあ、生まれたときから世話をみてるから。歳の離れた妹みたいなものだよ」


 茶化しながらも、ログイットの表情は穏やかだ。

 ユラはそれを眺めながら、彼の十代の頃を想像した。小さな家族の面倒を、きっと試行錯誤しながらやってきたのだろう。

 だが、そんな微笑ましさは、ログイットの本題にかき消されることになった。


「まあ、そんな感じで、色々突拍子がない子なんだ。うちも水道管が凍ったことがあるんだけど……それが家の外でさ。なんて言ったと思う? 『そうだ、ここでたき火をしたらいいんだわ!』って、それはもう自信満々に」

「……方向性としては間違ってないじゃない」

「それはそうだけど。マッチの火をバケツで消すようなものだろ? さも名案って態度なのが、またおかしくて……」


 そこでようやく、ログイットはユラが居心地悪げに横を向いていることに気づいた。

 気づかれたことにユラも気づいたが、今さら顔を見る気にもなれない。

 魔法で凍結箇所を割り出せるなら、自分でそれを溶かすのも容易だ。むしろ前者の方が難しい。

 となると、後は簡単な話だ。


「もしかして、去年、やったのか」

「……うるさいわね。火なんて焚いてないわよ」

「魔法で水道管を温めようとしたとか? 危ないだろ」

「なんだっていいでしょ!? いいからさっさと仕事しなさいよ!」

「いたた、危ないって」


 腕を叩く手から逃れようとログイットが身をよじる。こみ上げた笑いをごまかせなかったせいで、ユラがよけにむきになった。

 ひとしきり騒いでようやく腕を引っ込め、ユラはふくれっ面で顔を背けた。

 子どもじみた態度だと分かってはいるが、どうにもならない。揶揄されることも、それを冷笑でへし折ることも慣れていたはずなのに、どうしてだかログイットにはそんな気分にならないのだ。

 故国の研究室には喧嘩仲間と呼べるような相手がいたが、もっとお互いに攻撃的だったし、徹底的だった。

 どうしてだろうとあれこれ考えているうちに、ログイットはてきぱきと作業を進めていく。

 その横顔を眺めながら、ふと、理由に思い至った。

 ログイットの言葉には、毒がないのだ。

 ほとんど反射的に棘を向けるユラに、棘で返してこない。時折ちょっとした揶揄を混ぜることはあっても、穏やかにくるんで終わらせてしまう。

 それは、彼の生来の質なのだろうか。

 それとも――生業のために、作りあげてきた処世術だろうか。


「……ねえ」

「ん?」

「あなた軍人? ……じゃ、ないわよね。それっぽくないもの」


 追われる身だったログイットが携帯していたのは、物々しい警棒と、刃渡り三十センチのダガーだ。普通の人間なら荒事を飯の種にしている人種だと判断するだろう。たとえ、本人に迫力や雰囲気と言ったものが欠けていたとしても。

 答えを求めていたわけではなかったが、ログイットは手を止めて首を傾げた。


「軍人っぽいって、どんな感じだろう」

「どんなって……隙がないとか、威圧感があるとか。あと、筋骨隆々?」

「なるほど」


 ログイットはうなずき、作業を続けながら話を逸らした。


「ユラは、根っからの技術者に見えるな」

「……そうよね。多分、どこに行ったって、他の何かにはなれないのよ」

「やめたいのか?」

「さあ。ただ、そういうものでしょ。……人間がそれで食べていけるものなんて、普通はそんなに、いくつもないもの」


 氷が溶け、空気が漏れるような音とともに水が通り始めた。

 一度穴が開けば、あとは自然に周囲の凍結も溶けていく。作業を終えて腰を上げ、ログイットはユラに礼を言った。


「お疲れ。終わったよ」

「……ありがとう。面倒かけたわ」

「気にしなくていい。君も言ってただろ、仕事だから」


 気まずそうなユラに笑い、ログイットが部屋を出る。

 途端に吹き込んだ風に、ユラが小さなくしゃみをした。


「ごめん、病み上がりだったよな。寒かったか」

「平気よ」

「君の平気は信じるなって、ドクターに言われてるんだけど……」

「……しつこいわね」

「ちゃんと栄養を取ったほうがいい。何か、消化にいいものを作るよ」

「いらないってば。食事くらい自分で」

「助けると思って、頼むよ」


 ユラは黙り込んだ。

 どうして「助ける」で「頼む」なのだか、さっぱり理解できない。ただ、それが裏表のないただの好意なのだということだけは十分に伝わってきて、ユラの居心地を悪くする。

 こんな風に優しくされることには、慣れていないのだ。

 沈黙を肯定と取ったようで、ログイットが空き部屋の鍵を閉める。

 問いかけるような沈黙に間が持たなくなったころ、ユラはようやく口を開いた。


「……ユラ、よ」

「え?」

「私の名前」


 ログイットは目を見張り、ユラを見た。

 おそらく、知ってはいるだろう。名乗っていないから呼ばれないだけで、ドクターからとっくの昔に聞いているはずだ。

 居心地の悪さに目を合わせられなくなり、ユラは唇を結んで横を向く。

 ログイットが笑うように震わせた空気が、胸のどこかを引っ掻いた。


「……ログイットだ。改めて、よろしく、ユラ」


 呼ばれた名前は、不思議と耳に馴染んだ。

 二年経ってもしっくりこない気がしていたのに、ログイットが呼んだのは、確かに自分の名前だと感じた。

 腹の底をくすぐるような感覚に戸惑ったユラは、ふと、違和感に気づいて眉を寄せた。


「……ねえ。それ、まさか本名じゃないわよね」


 ログイットの苦笑は、肯定以外の何でもなかった。

 ユラは激しい頭痛を覚え、どやしつけるために大きく息を吸い込んだ。


「あー……。その、誠意を見せたいと思って……」

「そういうのいらないから! むしろ巻き込まないって言うなら、偽名使うくらいの配慮をしなさいよ!」

「え、えーと……じゃあ、何か適当な……」

「いまさら!?」


 ユラは猫の威嚇に似たため息を吐き、かぶりを振った。

 最初から偽名だったら許せるが、偽名だとわかった上で名乗られるのは何だか腹立たしい。


「……もういい、要は呼ばなきゃいいんだわ。あなたなんか二人称で十分よ」

「これでも色々、一応、悩んで決めてるつもりなんだが……」

「悩んでこれってどうなの」


 ログイットは困ったような苦笑で頬を掻いた。

 何らかの計算はあるのだろう。それでも理解に苦しんだ。どうにも落ち着かないし、据わりが悪くてうずうずする。

 ユラは憮然としたまま、ほとんど勢いで口を開いた。


「私は偽名じゃないわ」

「え? ああ、うん」

「正式に神殿で受理されてる。だから、『偽名』じゃないの」

「――ユラ」


 ログイットが咎めるように名前を呼んだ。

 焦るような、困り切ったログイットの顔に、心のどこかで安堵が浮かんだ。

 とても見せられるような感情ではない。ユラは努めて平静を装い、小憎たらしく首を傾げてみせた。


「一方的に弱みを押しつけられるのって、こんな気分なんだけど。どう、少しは伝わった?」

「そんな問題じゃ……どうして君が、弱みを晒し返す必要があるんだ」

「大したことじゃないわよ。あなたと違って後ろ暗いところはないんだし。こっちが訳ありだって知られても、別に困ることなんてないし。大体、あなたに何かできるとは思えないし」


 まさにとってつけたような内容だった。どうにも言い訳がましく聞こえてしまう。

 僅かばかりトーンダウンする語尾に、ログイットが呆れた顔をした。


「……ちょっと後悔してきてないか。勢いで喋ったんだな」

「別に」

「『やってしまった』って、顔に」

「書いてない」


 憤然とそっぽを向いたユラに、ログイットは手のひらで顔を押さえた。

 大きなため息が落ち、とうとう、頭を抱えてしゃがみ込んでしまう。


「……一体、何だってこんなことになるんだ……不毛すぎる」


 なんとなく勝った気分で胸がすく。

 ――だがしかし、そんな気分は、ログイットの発言ですぐに吹き飛ばされた。


「心配するにしても、怒るだけで止めておいて欲しかった……」

「心配って誰が! 誰をよ!」


 これ以上の言い合いが不毛だと理解していたログイットは、とても賢明なことに、沈黙を保ったのだった。

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