01.伯爵家との決別
「オリビア・フローレンス!」
赤い絨毯が敷かれた豪華なエントランスにて、50歳ほどの威厳のある男性が怒りをにじませ、声を高らかに上げる。
「魔法が使えない能無しのうえに、大切な妹への極悪非道な行い! お前はもう我が伯爵家の娘ではない!」
彼は、私が転生してからできた……この世界での父親という立場だ。
確か、名前はヘンリー・フローレンスだった気がする。そして私は、彼が言う……極悪非道な伯爵家の悪女――オリビア・フローレンス。
(たった今、娘ではないという宣言されてしまったけれど……ね)
ヘンリーが語気を荒げながら、私を糾弾する。
そして彼の隣には、彼と同じく忌々しそうにこちらを睨む兄のミシェルがいた。
兄も父も顔の造形は整っており……彼らと遺伝子的に似ている私もまた、整っている部類なのだろう。
赤い髪に青い瞳が、親子であり、兄妹なのだと感じさせてくる。違うのは、私の髪が腰上まである長髪なことくらいだろうか。
(前世でやっていた乙女ゲーム世界だから……とか最初は少し距離を感じていたけれど、すっかりこの世界にも、慣れて来たわね)
こうした非難轟轟で、冷たい彼らの態度によって――だいぶこの世界での私への扱いが身に染みてわかった。
彼らが大事なのは、私ではなく……ミシェルに肩を抱かれて、えんえんと泣きまねをしている義妹のリアーナだけなのだ。
「ぐす……私がつたないせいで、お姉様を不愉快にさせてしまったわ……」
「リアーナ……君は、何も悪くない。僕の可愛い妹は、君だけだよ」
「お兄様……!」
ミシェルに慰められて、少し機嫌が良くなったのか、リアーナは可憐な振る舞いをしていた。
しかしもうすでに私は知っているが――彼女の振る舞いはすべて演技なのだ。
(まさかハマっていた乙女ゲームの主人公がこうも……性悪だったなんて、知りもしなかったわ……)
父と兄からしたら可憐な妹だと見えるのかもしれないが……行動すべてが極悪すぎた。
ヘンリーが声を荒げた原因である「私への糾弾」も、彼女がでっちあげたものなのだから。
(けれど、真っ向から異を唱えても……私の声なんて聞かれもしない。もう、こんなのはこりごり……)
私の頭の中で、フローレンス伯爵家で起きた……数々の思い出がよぎっていくが、そのどれも――暗いものばかりだった。
そんな中、ヘンリーはリアーナの声を聞いてさらに怒りのボルテージが上がってしまったのか、私を指さして、鋭い目つきで声をあげた。
「お前を許すことなど到底できない! お前を破門にする!」
彼は私にそう宣言した。
その言葉を聞いた私は、俯きながら――ニヤッと笑みを浮かべた。
ずっと待ち望んでいた言葉を、ようやくもらえたことへの笑みだった。そして私は口を開いて、言葉を紡ぐ。
「ええ、望み通り――私は…この伯爵家から、出て行きましょう!」
「なっ…」
私がそう言うと、ヘンリーは驚いたと言わんばかりの様子になった。
きっと私が、自分に縋りついて許しを請うと思っていたのだろう。
しかしそんな「オリビア」は、もういない。
ゲーム内の「いじわるな姉」に転生したその日から……ヘンリーもミシェルも……当然リアーナのことも「家族」だとは思えていない。
だからずっと、この家から出ることを待ち望んでいたのだ。
(オリビアは……いじわるな存在ではなく、被害者だったけれどね)
今は、現代社会を生きていた自分という意識とオリビアの記憶が混じって……どっちがどっちという境界はない。
だから、オリビアとして――自分の人生を一番に、自由に幸せに生きることが第一だと思っている。
ヘンリーに「出ていく」宣言をしたのち、私はスタスタと伯爵家の出口へと向かう。
私の口から出た言葉に、ヘンリーは理解が追い付かない中。ミシェルが、怒りを露わにしながら、言葉を投げかけてくる。
「お前のような人間は、どうせ一人では生きていけない! その態度、後悔するぞ!」
(私を虐げ続けてきた家族とやっと離れられるんですもの、後悔なんてないわ!)
――ガチャッ!
暴言を吐き続けるミシェルを無視して、私は外へ繋がる……玄関口の扉を開けて、出ていく。
そして、数歩外へ出ていけば――玄関扉は勝手に閉じていき、うるさかったミシェルの暴言を遮ってくれる。
やっと出られたことに、安心のため息を吐く。
「ふぅ……」
「あの愚か者どもを……一掃しましょうか?」
「!」
声がした方へ視線を向けると、上空に高身長の男性がいた。
彼はニコッとこちらに笑みを向けたのち、魔法陣を起動しながら、ふわふわとこちらへ近づいてくる。そして彼は首を傾げながら、口を開く。
「あなたの憂いはなんとしても払いたい――いかがでしょうか?」
透き通る白髪が肩につかないほどで整えられていて、エメラルドグリーンの瞳を持ったイケメン――そんな彼の美のオーラに、私は眩しさを感じつつも、彼の物騒な物言いに思わず声をあげる。
(レイン・エヴァンス公爵――……)
彼の名はレイン。このゲームの世界では、悪役であり……ラスボスとして君臨していた男だ。
しかし、今は――いろいろあって、こうして迎えに来てくれた。
「こ、公爵様……気遣いをありがとうございます。けれど、そんなことはしなくていいんです」
「……そうですか?」
「ええ、あなたに手を汚してほしくないですし……元家族のことで時間を使うのは――もったいないと思いませんか?」
「! 時間がもったいない……ですか。素敵な考えですね」
「そ、そうでしょうか?」
「はい、とっても……確かに、時間は有効に活用すべきですよね。例えば――あなたを隣でずっと見つめたりする時間の方が有意義なのだから」
「ズ、ズット……?」
(きっと冗談なのよね……? 彼の言葉には振り回されっぱなしだわ)
彼は私に手を差し伸べながら、余裕を持った笑みを向けてくる。
「さぁ、行きましょうか……僕の――最愛の人」
腹の底が読めない彼に、焦りを感じつつも――私はレインの手をそっと取る。
もう絶対に、家族に振り回され続ける人生にはしないと心に誓った。
レインの逞しい手に支えられながら、私は宙へ浮かんでいく。つい彼との出会いを思い出して、少しだけ現実味が感じられなくなってしまった。
レインは私の“前世の知識”では、この乙女ゲームの世界を滅ぼすラスボスだった。
しかしこうして――そんな彼の婚約者になるなんて。
(本当に……いろいろありすぎたわね……)
苦笑を浮かべつつ、私は彼との出会い……ひいては今までのことが、頭の中で再生されていくのであった。
◆◇◆
私がこの世界……前世にハマっていた乙女ゲーム『ユリの愛をあなたに』の中に転生したのは、数週間前のことだった。
きっかけは、自室で父のヘンリーに強く頬をぶたれたことによって。
――パシンッ。
「なぜ、17歳にもなって魔法がろくに使えないんだ! お前は私の娘ではない!」
強くぶたれたため、脳震盪も起こしたのか――身体がよろけてしまう。
加えてズキズキした痛みさえも併発していた。
私は床に手をつきながらも、「早くお父様に謝らなければ」という気持ちでいっぱいだった。
「申し訳ございません…おと…う…さ、ま……?」
しかしそれと同時に、痛む頭の中では身に覚えのない記憶がよぎった。
四角い箱と――側には大きな黒い画面を持つ何か……これはいったい。
しかも脳内には、四角い箱を見つめる自分の手。初めて見たはずなのに、これがゲームのパッケージだということに、段々と理解がいく。
そしてゲームのタイトルは『ユリの愛をあなたに』……そこに描かれている人物たちには、見覚えのある顔ぶれだった。
記憶の中の私は、ゲームの電源をオフにしてPCを片手に、大学の教材を持って出かけようとしていたことを思い出す。
(私はいったい……? 確か、今日は朝早くから大学の講義があって…)
頭の中にあるこの記憶と、知識の意味に理解が追い付かず――困惑してしまう。
そのせいで、いつもなら平謝りをして許しを乞うはずのタイミングを逃してしまい……父であるヘンリーをイラつかせてしまった。
「おい!」
「っ!」
鎮まらない怒りに、ヘンリーは顔を歪ませてこちらを見下ろしてくる。
「まったく……どんくさいな。お前は、本当に伯爵家の血を引いているのか! こんな劣等な娘しかいないなんて…」
ヘンリーの言葉を聞いて、本能的に身体を震わせる。これはずっと、自分がされ続けてきて、根付いてしまった反射のようなもので。
(え? でも私は大学に行く予定で……伯爵家……お父様……? 私は……)
知っているはずのことと、今知ったことで頭の記憶が混ざってしまい……私は混乱していた。
何が正解で、何をするべきだったのか、咄嗟のことができなくなる。
そんな私の姿を見たヘンリーは呆れのため息をつく。
「はぁ……見るだけで不快だ。魔法が使えるまで――部屋で謹慎していろ!」
そのまま彼は、荒々しく部屋の扉を閉めて出ていった。
ぶたれた頬に手をやりながら――私はそっと部屋の姿見に目が行く。
そこにいたのは、長い赤髪と青い瞳を持つ美しい女性だった。
年齢は、私とほぼ変わらない年齢の子で……。そこまで考えて、私はハッとなり――声を漏らした。
「私……乙女ゲームのいじわるな姉の……オリビアになってる……!?」
そう口にした瞬間、フラッシュバックのように――「前世」を思い出した。
◆◇◆
前世の私は、いたって普通の大学生だった。朝の講義に出るため急いで、大学へ向かっていたら…猛スピードのトラックにはねられ――呆気なく死んでしまったのだ。
(まだまだ、やりたいことはいっぱいあったけれど……死んでしまったのよね)
事実を認識するのと同時に、まだまだ人生の途中だったこと、やりたかったことを思い出して悲しくなった。
勉学に励むのと同時に――友達つくり、恋愛、青春といったキャンパスライフは、これからだった。
今が夢ではないことを確認するように、私は姿見に再度目を向かわせる。
すると先ほどと変わらず、赤髪の美人がこちらを向いていた。
「まさか…前世でプレイしていた乙女ゲームの――厚顔無恥な悪役令嬢・オリビアになっているなんて…!」
口に出さずにはいられないほどの衝撃を覚えながら、私は驚きながら鏡をじっと見つめた。
だって前世でプレイした乙女ゲームの世界に転生するなんて、あまりにも信じがたかったから。
ここは『ユリの愛をあなたに』という乙女ゲームの世界だ。
魔法によって、水や火を扱え、魔法の力が強ければ強いほど、偉くなる。
そんな世界を舞台に貴族同士の交流をしながら、恋愛を楽しむゲーム…なのだが…。
(オリビアは魔法が上手く扱えないばかりか、義妹になったゲームのヒロインを虐め倒すのよね…そして最期は――処刑されてしまう。でも、なんだか…)
自分が悪役令嬢になったことに驚きつつも、先ほどのヘンリーの様子を思い出し、違和感を覚えた。
「オリビアは、甘やかされて育ったからこそ――他人を蹴落とすことに躊躇がない令嬢…だって…」
ゲーム設定では確かにそう書かれていた――けれど。
(さっきのお父様……ヘンリーの反応を見るに…甘やかされているなんて、到底…)
今世での父という存在に、まだ違和感を持ちつつも……彼を父以外として見るのもおかしいため。
少しでも冷静になるべく、いったん自分が置かれている状況を飲み込んでみることにした。
前世は、現代社会で女子大学生をしていて……今世は前世の自分がハマっていた乙女ゲームに転生してしまったということ。
しかし理解しようとしたところで、やっぱり冷静になれるものではなく、次から次へと混乱が生まれてしまい……ぐるぐると考え込んでしまう。
あまりに脳を酷使したせいか……立ち上がろうとすると、眩暈を感じる。
(一気に色んなことを思い出して…なんだか頭が痛いわ…少し休もう…)
知恵熱が出てしまったのか……私はふらふらな状態でベッドに寝転び――休息を取ろうとする。
そんな中、自室の部屋が乱雑に――「バン!」と開け放たれた。
「ちょっと~お荷物なお嬢様は、どうしてこんなに手がかかるんですかぁ?」
「は……?」
伯爵家の侍女がバケツを持って――私の部屋へやってきたのだ。
侍女はオリビアを見てあざ笑うように、言い放つ。
「旦那様からのご命令です――ほら!」
――バシャーン!
ベッドで休むオリビアに、侍女はバカにするようにバケツに入っていた冷水を私に浴びせたのだ。身体だけでなく、ベッドも水浸しになる。
「この水で一週間耐え忍ぶように……とのことですよぉ~」
冷水を浴びせられた瞬間、この身体の中にあった――鮮烈な記憶が脳内に再生された。
それは、オリビアがどうしてこんなにも虐げられているのか……その疑問に思っていたことの答えのようなもので。
思い出したのは、幼い頃の記憶だった。
お母様の名前が書かれたお墓の前にいる私と――そんな私と距離をとって相対する父・ヘンリーと兄・ミシェル。二人とも、冷たい目でこちらを見ていた。
ヘンリーが鬱憤を吐き出すように、言葉を口に出す。
『お前を生んだせいで、私の妻は死んだ! この疫病神が!』
そしてその言葉に追従するように、ミシェルも怒りを露わにするのだ。
『僕のお母様を返せ! お前なんか墓参りの資格なんてないっ!』
先ほどよりも若い父親の姿と――未だ対面していない兄の姿を思い出した。
(これは――オリビア……私の昔の記憶……)
忘れたくても忘れられない、暗い過去の記憶だ。オリビアの気持ちが記憶と共に、自分の中で思い出されていく。
――どうしてお父様とお兄様は私のことが嫌いなの?
――私が疫病神だから?
――お母様が私を産んですぐに亡くなってしまったから……。
――だから私は疫病神で、いけない子なんだ。
――お父様とお兄様に認められるには、もっといい子にならないと……。
ずっとオリビアが感じていた気持ちが、記憶と共に胸の中に溢れていく。
(そうか…オリビアのお母様が亡くなって…お父様とお兄様が私に対してあたりがきつくなっていて…でも家族だから…お父様とお兄様に認められたくて…)
前世の意識と今の意識の境目が見えなくなっていくような……不思議な感覚だった。
それと同時に、言葉を失ってしまう。
無言で記憶の濁流にのまれていれば、部屋にいた侍女は、私が大人しくしていることに気を良くしたのか――。
「では、お荷物令嬢様。ごゆっくり~」
「……」
バタンと大きな音を立てて、侍女は部屋から出て行った。
扉が閉められ――部屋の中で一人になったのと同時に、私はキュッと奥歯を噛みしめる。
前世で、このゲームをプレイしていた時には……オリビアがこんなに不遇な人生を送っていたとは知らなかった。
今だからこそ分かるのは……確かに乙女ゲームの物語がはじまり、主人公を虐めてしまう展開は悪いが……その前のオリビアの過去では――オリビア自身が被害者だったということ。
母親が死んだのは、オリビアのせいではないのに――こんな扱いを受けるなんて。
(そんなのって、あんまりじゃない……!)
侍女によって、水をぶっかけられた身体は冷たく感じる中、それよりも理不尽な扱いに怒りを感じて、私は両手に力を入れて掛け布団をキュッと握った。
その瞬間――身体が燃えるように熱くなる。
「え……!?」
その熱は感覚だけではなく、実際に目で見えるように――オレンジ色の炎が自分の周囲に現れたのだ。
――ボウッ。
その炎は、熱くはあるものの……なぜだか自分を害するものではない、と本能的に感じた。
そしてハッと気づけば――侍女によって濡らされた身体は乾き、ベッドさえも、綺麗に乾いていた。




