お狐様、船に乗る
ライオン通信、新イメージキャラ「瀬尾ヒカル」の電撃登場から数日後。街のあちこちにライオン通信の広告が出されるようになり、前面に出されたのは、やはりイメージキャラのヒカルだった。結果として、色々な人がヒカルの顔をなんとなくでも記憶するようになったのは自然なことで。イナリへの注目度は一時的かもしれないが減っており、イナリは赤羽まで非常に快適なバス移動を楽しめていた。
そんなイナリが今どこにいるかといえば、赤羽港である。物流の中継基地と化している赤羽港には、埼玉に渡るための一般客向けの定期船も存在していた。
橋はモンスターに壊されると復旧に時間と手間とお金が非常にかかるということで、自然と川を渡る船が採用されたわけだが……当然のように覚醒者はカードの提示で無料である。
「はい、ご提示ありがとうございます。川口港行きの次の船は15分後に出航となります」
「うむ、ありがとうのう」
「良い旅を」
そんなやりとりをしながらチケットを受け取り船に向かえば、川口港に向かう船にはすでに何人かが乗り込んでいる。その中には覚醒者の姿は……あまり見受けられない。埼玉にもダンジョンはあるし予約もそれなりに入っているはずなのだが、これはどうしたことなのか?
「むう……?」
思わず首を傾げてしまうイナリだが、分からないことをそのまま放置しても気味が悪いだけだと、近くにいた覚醒者の袖を引いて声をかける。
「もし、すまないがちょっと良いかのう?」
「え? あ、フォックスフォンの」
「狐神イナリじゃ。見たところ覚醒者と見受けるが、間違いないかの?」
「ご丁寧にどうも。俺は三橋だ。なんだい、パーティーのお誘いかい?」
「ではなく。何故この船に覚醒者が少ないのかと思ってのう」
そのイナリの質問に三橋は「あー」と納得したような声をあげる。三橋にとっては常識のようなものだったのだが、知らない人もいるかもしれないと理解できたのだ。そして同時に話題の覚醒者であるイナリに恩を売るのもいいかもしれないと思い親切そうな表情を頑張って作る。
「それはね、この川が原因さ」
「川が……? 泳げないというわけでもあるまいに」
「泳げるとしても、水棲モンスターより泳げるのかって話さ」
そう、ダンジョンゲートは水中にも当然のように出現する。そして水中に出現したゲートは基本的に対処が遅れる傾向にある。たとえダンジョンの出現をある程度感知できるようになった今でも、水中への対応となると即時とはいかないのが現状だ。特に太平洋にある「第1太平洋ダンジョン」は未だ挑戦さえ許さぬ鉄壁の防衛網が敷かれ、今も水棲モンスターを吐きだしている。
そこからやってくるモンスターは現状では対処できているが、荒川の水底にダンジョンゲートが今この瞬間にも出没しないとも限らない。そして出没した場合、船に乗り合わせた覚醒者が対処することになる。なる、のだが。皆、これをやりたくないのである。
「船にある程度の水中用装備じゃ水棲モンスターの動きには敵わず、普段の実力を半分も出せず。非覚醒者の乗客には役立たずを見る目で見られる……そんな目にあいたい奴がどの程度いるかって話さ。遠回りでもバスで行った方がいいって考える奴が多いのは当然だろ?」
「ふうむ……その割にはお主は乗っとるようじゃが?」
「俺はいいのさ。元々そんなに強くねえからな、役立たず扱いされてるのは慣れてる」
それより時間が大切でね、と笑う三橋にイナリは「ふうむ」と複雑な感情を含んだ返事を返す。慣れたからといって平気なわけではないだろうに、それでも乗っているというのは単純に時間の話だけではないだろう。もしかすると、そんな状況が分かっているからこそ自分くらいは……という気持ちもあるのかもしれないとイナリは思う。だとすると、なんとも感心な話ではないだろうか?
「うむ。お主の心意気、中々に感じ入った。なあに、お主の善行、見とる者はしっかり見とる。報われる日も遠くは無かろうよ」
「なっ!? な、何か勘違いしてないか⁉」
「うむうむ、そうじゃのう」
そんな会話をしている間にも船は出発し、荒川をさほどの時間もかけずに渡り切る。モンスターが出てくることもダンジョンゲートが出現することもなかったが、平和なのは良いことだ。だというのに三橋はなんだか疲れてしまったが……まあこれも縁と川口港を一緒に出るイナリに声をかける。
「それで、狐神さんは何処のダンジョンに行くんだ?」
「埼玉第3ダンジョンじゃな。何やら面白い場所と聞いてのう」
「ああ、すぐそこのか」
埼玉第3ダンジョン。それは埼玉では恐らく1番有名なダンジョンだ。というのも埼玉で1番稼ぎの良いダンジョンであると同時に、一番死亡率の高いダンジョンでもあるからだ。一発大きく稼ごうという者でもなければ、中々埼玉第3ダンジョンには挑戦したがらない。そういう意味では「面白い場所」ではあるのだろう、其処に行く者は「俺なら出来る」と希望に満ちた目か、此処で人生を変えてやるという追い詰められた目をしているのだから。そういうのをわざわざ県外から見に来る趣味の悪い連中も……大規模攻略の際に追い払われても集まってくるという。
三橋の見たところ、イナリには気負った様子など全く見受けられないしニュースで見た限りだと相当強い、はずなのだが。
「……気を付けな。あそこはかなり危険だっていうぜ」
「おお、ありがとうのう。気を付けるとするよ」
そう言って手を振り去っていくイナリを、三橋は見送る。手伝うと言いたいところではあるが、三橋の実力ではあっさり死ぬだけだ。だから、後日嫌なニュースを見ることにならないといいな……などと思いながらも、三橋は自分の目的地へと向かっていくのだった。
イナリ「さてさて、頑張るとするかのう」





