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第45話 千恵子の想い(閑話)

 私は、自分の掌に目を落とした。

 そう、私の掌は実は血に塗れている。


 ファネットの反応を無視して、私は語り続けた。

「お父さんも知らないでしょうね。私は実際に銃を撃って、敵を殺したことが、少なくとも2度ある。軍医なら戦闘に参加しなくて済む、というのは、戦場を知らない者の考えよ。実際には、野戦病院と言えど、容赦なく敵兵は攻撃を仕掛けてくるものなの」

 私の言葉に、ファネットは硬直した。


 本当は3度かもしれない。

 私は、中国戦線で1度、ソ連本土の戦線で2度、実際に銃を撃たざるを得ない状況に陥った。

 そして、ソ連本土の戦線の1度は、私の撃った銃弾は敵兵を貫かったかもしれないからだ。

 だが、それ以外の2度は、確かに私の撃った銃弾は敵兵を貫き、その命を奪った。

 私はそれを自分の目で確認している。


 そして、それを私は周囲から隠されてしまった。

 軍医士官が、戦場で銃を持ち、指揮を取って、敵兵と戦うことはあってはならないことだから。

 だから、父にさえ、私は面と向かって、そのことを言ったことはない。

 だが、妹の進路を決める大事な話だ。

 少しボカシて話すことは赦されるだろう。


「だから、私は今は禁酒している。酒を呑むと悪夢を見るのよ。戦場の悪夢を。悪夢を見ないために、私は禁酒生活を送っているの」

 私は、ファネットから、敢えて目を逸らして話を続けた。


「戦場生活から来る神経症の発症割合は、統計の表面上は男女間で有意差はない、とされている。でも、実際には戦場生活を送った女性への偏見はまだまだ根強い。ソ連の女性兵で「スターリングラードの白バラ」と謳われたリディア・リトヴァクでさえ、第二次世界大戦後に偏見の目に晒された末、ロシアを去って、イスラエル空軍に志願する羽目になったわ。幸いなことに、イスラエルが安住の地になったけど、彼女は独身を貫いている。多くの男性が、血に塗れた女性を嫌悪するの。そして、女性兵士は、その男性の嫌悪もあって、独身を貫き、更にそのためもあって、神経症を患う人が多い。私自身が神経症を患っているせいか、尚更、そう思われてならないの」

 私は、半ば独り言を貫き、ファネットは、いつか私の言葉を傾聴していた。


「姪のアラナが、スペイン空軍に志願し、戦闘機パイロットになりたい、というのを素直に伯母として祝福すべきかもしれないけど、実際に戦場に赴いて、人を殺したら、絶対に周囲から偏見の目に晒される。そんなことがない社会にするのが、本来なのでしょうけど。私には、そんな力は無い。だから、せめてもの努力として、現実をアラナに教えて、戦場に赴かないようにしたいの。私のような身にならないためにね」

 私が、そこで言葉を切ったら、ファネットは私の言葉に肯いてくれた。


「ともかく、戦場では綺麗ごとは済まないことが溢れているわ。だから、貴方が軍医になりたい、と言うのを私は止めないけれど、軍医になるのなら、それなりどころではない覚悟を持って、貴方は軍医になりなさい。戦場の兵士の心身を診る、というのはそれだけの覚悟がいることなの。分かった」

「分かりました」

 妹から姉への言葉というより、新人軍医からベテラン軍医への言葉のように、ファネットは私に対して、半ば敬礼するかのように、背筋を伸ばして、私に言い、私はその答えに満足した。


 私は、あらためてスペインにいる姪のアラナを想った。

 父から、アラナが空軍に志願しようとしている、お前からも止めてくれ、という手紙は受け取った。

 だが、私が話したからと言って、アラナが止まるだろうか。

 突っ走ったら止まらないのが、父の血筋の宿命の気がする。

 それを想うと、私が止めてもアラナが止まるとは、私には思えなかった。

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