第41話 第二次世界大戦終結後の状況について。
そうは言っても、というか。
全く反省していないだろう、と言われそうだが。
僕は、忠子と離婚した後、ジャンヌとすぐに再婚した。
その際、皮肉なことに僕は、野村姓に復姓したというか、野村家に戻ることになった。
何故、そんな事態になったのか、というと。
アランが日本国籍を取得した際に、僕が廃家にした野村家(厳密に言えば分家)を、アランは再興して野村の名字を、日本国籍上は名乗っていた。
(もっとも、フランスでの日常生活上は、アランは母のジャンヌと同様にダヴー姓しか名乗らなかった)
そして、僕がスペイン内戦に義勇兵名目で赴いて、ジャンヌと再会し、ファネットが産まれたことで。
ファネットは、僕の認知に伴い、アランの妹として野村家に入った。
そして、20歳を過ぎ、フランス陸軍士官に任官したことを機に、アランはフランス国籍を選択し、日本国籍から離脱した。
そうなると、半ば必然的に、ファネットが家督相続し、野村家の女戸主になる。
そこに僕が、忠子と離婚したことで、婿養子縁組が解消され、岸家から追い出されたのだ。
こうなった場合、僕がどの家に入るのが順当か、といえば、本来的には野村家(本家)に僕が戻るのが相当、ということにはなるのだが。
皮肉なことに、僕は結婚の際に分家までしている。
そうしたことからすれば、野村家(分家)に入るのが、僕は相当で。
ファネット(実際は親権者のジャンヌ)の考えもあり、僕は野村家(分家)に戻ることになったのだ。
もっとも、こんな手品というか、家制度に翻弄される事態が日本で起きたのは、僕がほぼ最後の年代ということになった。
何故かと言えば、二度の世界大戦は、日本の家制度に致命傷を与え、新民法制定に至ったからだ。
二度の世界大戦は、女性の社会進出を日本でも急激に進めざるを得なかった。
何しろ、流石にソ連に及ばないとはいえ、後方(医療、輸送等)任務とはいえ、女性の軍人が稀でない事態を日本に引き起こしたのだ。
民間の産業現場等では、もっと深刻で、事務部門では女性が過半数を占めることさえ、稀でない事態が日本では招来されてしまった。
更に、欧州に赴いた日本軍の将兵は、欧州の女性運動に肌で触れることになり、男女平等運動に理解を示すどころか、賛同するようになった。
こうなると、結婚したら妻は無能力になるという民法規定等は、雇用者にしてみれば、害悪にしかならない事態が生じてしまう。
何しろ、既婚の従業員についての雇用契約を、夫がいつでも同意を取り消して、妻を辞めさせた、と主張できるのでは、既婚女性の雇用等出来る訳が無い。
更に言えば、既婚女性を解雇等していては、会社経営が成り立たないのだし、世論でも男女平等にすべきだという声が高まる一方なのだ。
こうなると、雇用者側から、男女平等への民法改正の要望が高まるのは当然の話になる。
勿論、労働者側も、民法改正を拒む理由はない。
こうした背景もあり、日本の女性運動の高まりも相まって、1940年代中に日本では民法が改正されて、家制度が崩壊する事態が起きたのだ。
戸籍制度こそ何とか残ったが、妻の無能力は廃止され、国政の選挙権や被選挙権についても、男女が完全に平等になる等、男女平等に大きく日本の社会は動いた。
こうなった時、皮肉にも僕はジャンヌと共にフランスにずっといたので、日本国内の細かな動きについては分からなかった。
でも、外からでも日本では男女平等が大きく進んだのが分かったのだ。
そうした中、僕は実質的なダヴー家の家長になっていた。
何故かと言えば、アランがインドシナへ、北アフリカへと転戦を余儀なくされていたからだ。
僕は他の家族と共に、アランのことを心配するしかなかった。
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