第40話 忠子から手紙と離婚届が届きました
千恵子からの電報が届いたことから、僕はフランスに残ることにした。
更に2月程経ってから、妻の忠子から、自分の署名と捺印を済ませた離婚届が、僕の下に長文の手紙と共に届いた。
後は僕が、その離婚届に署名捺印して、パリの日本大使館等に提出すれば、忠子との離婚が成立する。
だが、今更と言えば、今更だが、僕はこの離婚届への署名捺印を躊躇った。
何故かといえば、どうのこうの言っても、20年余りというより、30年近くの忠子との結婚生活の重みを感じざるを得なかったからだ。
この離婚届に署名捺印して、パリの日本大使館等に提出すれば、最愛のジャンヌと結婚できるのに。
そんな躊躇いを打ち砕いたのは、皮肉にも忠子からの長文の手紙だった。
「あなたへ。
考えて見れば、結婚式の時に既に自分でも分かっていたことかもしれません。
私は、あなたが大好きで、何としても結婚したい、と思っていました。
でも、結婚式の時のあなたの顔を見た際に、何となく分かってしまいました。
あなたにしてみれば、余り気の乗らない結婚だったということが。
だから、この結婚は上手く行かないかも、とその時に私は不安を覚えました。
でも、私の愛に、あなたは何時か応えてくれる、と私は想いこむことにしました。
そして、10日程の同居生活で、総司を妊娠して、あなたは欧州に出征して。
考えてみれば、私の幸せの絶頂はその時でした。
でも、総司が産まれた前後から、私の幸せは失われて行きました。
篠田りつが、千恵子が産まれた、責任を取れ、と怒鳴り込んできて、あなたは認知しました。
更に、ジャンヌ=ダヴーが、アランを産み、あなたは認知しました。
トドメを刺されるように、村山キクが幸恵を産んでいるのも知りました。
その時に、あなたが言うように、私から離婚すべきだったのかもしれません。
でも、私はへそを曲げた考えをしてしまいました。
私が一番、まともな女性なのだから、あなたは何時か目が覚める。
その時に、あなたは私の下に還ってくれる。
考えてみれば、独りよがりの考えにも程がありました。
そして、あなたは欧州から還ってきて、皮肉にも私からすれば、私の考えを肯定してくれました。
かつての女性3人と、あなたは別れてくれたのです。
でも、子どもの養育費は支払う、といい、あなたは支払い続けましたね。
私を愛している以上、何れは子どもへの養育費の支払いを止める、と私は想っていたのに。
10年以上前、私が独断で堕胎したのを、あなたは怒りましたね。
更に両親を始め、仲人の柴提督からも、私は叱られました。
私からすれば、そこまでのことをすれば、養育費の支払いを止めて、私達の生活にあなたは目を向けてくれる、と思ってしたのに、あなたは私のことを理解してくれませんでした。
もっと皮肉なのは、この堕胎のせいで、私がもう子どもを望めない体になったことでした。
私にとっては、二重の衝撃になり、半ば捨て鉢の想いをして生きるようになりました。
何で私の愛に、あなたは応えてくれなかったのか、あなたを見る度に、その想いが私にどうにも浮かんでなりませんでした。
そして、歳月が流れ、この(第二次)世界大戦が起こり、あなたは欧州に行きました。
3年余りの別居生活で、私自身が色々と考えました。
更に、今回のユニオン・コルスとの問題が起きて、嫁の美子に諭されました。
「いい加減にしたら」
と。
美子は何気なく言ったのでしょうが、それで、私も目が覚めました。
もう別れる時が来たようです。
それぞれ別の路を歩みましょう」
忠子の手紙の文言が、僕には重く感じられた。
今更だが、忠子からの愛に応えられなかった自分を恥じた。
でも手遅れだ。
僕は、忠子との離婚届を提出した。
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