第29話 この世界のスペイン内戦は早期に終結しました。
ともかくスペイン内戦を早期に終結させ、出産までにジャンヌの下に赴きたい。
そして、スペインの国民の犠牲を減らし、恨みを軽減したい。
邪念が相当混じっている、と言われても仕方ないけれど、僕はそう考えて謀略を巡らせることにした。
それこそ、事実上は「白い国際旅団」の参謀長を務めた石原莞爾大佐から、
「岸大佐は、心底、腸が腐れた奴だ。会津藩出身とは思えない。流石に謀略をやり過ぎだ」
と面と向かって罵倒される羽目になったが。
(僕に言わせれば、
「石原大佐、貴方がそう言われても、説得力皆無です。貴方こそ、庄内藩出身ですか」
と反論したい話だった。
僕が第2代徳川将軍の徳川秀忠の庶子、保科正之を藩祖とする会津藩出身に対し、石原大佐は「徳川四天王、徳川十六神将の筆頭」と謳われる酒井忠次を事実上の藩祖とする庄内藩出身になる。
五十歩百歩の話かもしれないが、石原大佐に罵倒されては、僕は内心で反論せざるを得なかった)
それは、ともかくとして。
僕が着目したのは、スペインの共和派政府内部が、完全に寄り合い所帯であることだった。
更に、僕の未来知識(?)もある。
僕は、それこそ、この年、1936年に発布されたばかりの「赤軍野外教令」が、ソ連からスペインに派遣されたソ連軍事顧問団長のトハチェフスキー元帥の手によって、日本軍に漏出されたかのように、それとなくスペインの共和派政府、更にバックにいるソ連共産党に伝えた。
更に、バスク民族派、カタルーニャ民族派等が、後々のことを考えて、フランコ率いる国粋派に通じているという情報も、それとなくスペインの共和派政府に流した。
スペインの共和派政府のバックにいるソ連共産党は、僕のこれらの情報に震撼した。
史実では起こらなかった赤軍大粛清が、ソ連共産党の主導によって起きた。
更に、スペインの共和派政府は、内ゲバ、内部弾圧にむしろ注力する事態が起きた。
こんな事態が起きた中で、スペインの共和派政府が、まともに抗戦できる筈がなかった。
土方勇志伯爵からも、
「岸、お前は親友の義理の息子に相応しくない。本多正信でさえ裸足で逃げ出す謀略家だ。神君家康公といえど、お前を家臣としては養えない、と召し放つだろう。岸は、松永久秀や斎藤道三らに匹敵する。スペイン人同士を殺し合わせていいものか」
と流石に呆れ返られてしまったが。
僕にしてみれば、少しでもスペイン内戦で、スペインの国民の犠牲を少なくし、内戦を早く終わらせたい、と心から願って行動しただけだ。
(ジャンヌの下に早く駆け付けたい、という邪心が、僕の心の中にあったのは、否定しないけれど)
ともかく、この結果、1937年末どころか、1937年の半ばにはスペイン内戦は、フランコ率いる国粋派政権側の勝利に終わる事態がもたらされた。
そのために、僕はジャンヌの出産に立ち会え、末娘のファネットの誕生を見れる事態が起きた。
だが、その一方で、一部の歴史までは完全には僕は変えられなかった。
アランの上官ピエール=ドゼーは、史実通り(?)スペイン内戦中に名誉の戦死を遂げ、アランに自分の妻、カトリーヌと息子ピエール(父子同名)を託した。
また、アランは、バレンシアの娼館「饗宴」に赴き、カサンドラ=ハポンと関係を結んだ。
この世界でも、何れはアラナが産まれてくるのか、と僕は諦念を抱く一方、少しでもアラナを幸せにせねば、と僕は思った。
そんな想いをしながら、1937年の年末に僕は日本に帰国することが出来た。
帰国すると、僕にしてみれば完全に思わぬことが待っていた。
息子の総司が、義妹(?)の村山美子と結婚して、出征する決意を固めていて、妻の忠子と喧嘩をしている真っ最中だったのだ。
念のために申し上げますが、この世界は、拙作の「サムライー日本海兵隊史」の外伝なので、本来は史実で起きた赤軍大粛清は起きていません。
しかし、主人公が謀略を巡らせたことにより、史実通りの赤軍大粛清が起きたということです。
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