第26話 アラン、そして、ジャンヌと再会しました。
事実上の第3部になります。
少なからず話が前後してしまうが、ともかくアランと僕が交流していたことから、アランを、幸恵や千恵子、総司が自分達の末弟として認め、自分達もアランとの交流を、独自に始めたことは、忠子のへそを完全に曲げてしまった。
(なお、アランとの手紙のやり取りは、僕も含めて日本語で基本的にしていた。
ジャンヌは、海兵隊の野戦病院で雑役婦で働いていた際に、小学校の低学年レベルながら、日本語の読み書きができるようになっており、アランにも教えていた。
そして、手紙のやり取りを繰り返すうちに、アランの日本語能力も向上し、ジャンヌを凌ぎ、僕と再会したときには、中学校卒業レベルにまで、日本語の読み書き能力がアランは向上していた)
僕としては、総司が小学校の中学年になった頃には、5人目の子が欲しい、と思っていた。
それだけ兄弟の歳を離せば、5人目の子の学費等も何とか工面できるのでは、と皮算用していたのだ。
そして、妻の忠子にも、そのことを話していたのだが。
アランと僕が交流するだけではなく、アランと総司まで交流を始めたことは、忠子のへそを曲げて。
アランと僕や総司が交流を続けるのなら、あなたの子どもなんて絶対に産みたくない、と忠子は口走るようになり、偶々、僕との間にできた二人目の子の堕胎まで、忠子はしてしまったのだ。
そこまで言うのなら、僕と離婚すればいいのに、と僕は想うのだが。
僕には理解できない、忠子には忠子なりのプライド、理屈があり、僕との離婚に応じないのだ。
(なお、この堕胎の件に関しては、流石に義両親も忠子を叱りつけた)
そんなことから、仮面夫婦に近い関係に、僕と忠子は総司が中学生になった頃以降はなっていた。
そして、話を戻すが、総司が海軍兵学校に入り、千恵子が医学生になった後の1936年9月、僕はスペイン内戦に日本等が介入したために、名目上は義勇兵の一員として、実際は日本政府、軍からの秘密命令を受けて、土方勇志伯爵の総指揮の下、スペインに赴く羽目になった。
この頃、僕は海兵隊大佐に昇進したばかりと言ってよかったが、海兵隊有数の歴戦の士官として周囲に知られていたことから、スペイン行きを命ぜられたのだ。
何しろ、総司が中学生、千恵子が女学校生だった1931年から1932年に掛けては、満州事変が起きており、海兵隊は当然のことながら、満州に赴いていたのだ。
その際、海兵隊中佐になっていた僕も戦場で指揮を執ることになり、またも名誉の戦傷を負った。
第一次世界大戦の時から考えれば、3度目の名誉の戦傷だ。
もっとも、傷跡こそ増えたが、後遺症はまたしても残らずに済んだ。
なお、このことが千恵子に軍医になる決意を最終的に固めさせた。
できることなら、父や弟を軍医として護りたい、と千恵子に想わせたのだ。
ともかく第一次世界大戦以来、ここまで戦場に立ち、戦車も扱えるし、山岳部隊の経験もある士官となると、世界的にも希少になってくる。
また、転生前の記憶もあることから、作戦術等、最新の軍事理論も、僕は自らの血肉にしている。
こうしたことから、高級参謀としても、現場の旅団長としても使える人材として、土方伯爵から僕は半ば乞われて、スペインに行くことになった。
だが、その前に義勇兵に訓練を施す必要がある。
それはイタリアのとある場所ということになり、僕がそこに赴いたら、思わぬ人がそこにいた。
アラン=ダヴーが、スペイン内戦に参加するための義勇兵に志願して、そこにいた。
更に、ジャンヌまでが、義勇兵訓練の手助けを名目に来ていたのだ。
ジャンヌに逢った瞬間、僕は内心から溢れる想いがこらえ難く、思わずジャンヌを抱きしめた。
ジャンヌも僕を抱きしめ返した。
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