NY探訪編⑱
母アナスタシアが魔王を説得するためにビテュニア宮殿を出ていってから、アンナはずっと孤独だった。聖女と呼ばれた母とは違って、特に魔法が使えるわけでもない彼女にシンパはなく、アスタクス方伯と宮廷魔術師サリエラの二人が気にかけてくれていたが、それがかえって孤立を招いた。
方伯には3人の息子が居たが既に全員が早逝し、宮中ではたくさんいる孫たちが王位継承権を巡って争っていた。そんな中で祖父に目をかけられているアンナの存在は目障りだったのだ。
まだ年端もいかないアンナは、孫の腰巾着の貴族たちから嫌がらせを受け、恨みを買うことを恐れた使用人たちは近づいてこなかった。方伯が直々に面倒を見てくれると言っても、忙しい彼がいつも付きっきりというわけにはいかなかった。それもこれも、アンナの父である魔王のせいだった。
だからアンナは5歳という若さで宮殿を飛び出したのだ。
NYのハリーと同じくらいの年齢であったが、こっちにはフードバンクも無ければ助けてくれる教会もない。普通に考えればすぐに野垂れ死んでいただろうが、それでも彼女が立派に成長したのにはもちろんカラクリがあった。
宮殿から飛び出した彼女に最初に声を掛けてきたのは、他人の目には映らない不思議なイルカだった。そんな得体の知れない生物の登場に、アンナは最初こそ怖がっていたが、そのうち慣れた。キュリオはアンナを怖がらせないよう、不用意に近づいてはこなかったし、それなのに彼女が困っていたらすぐに助けてくれた。彼女が寝ている間は周囲を警戒し、外敵が出れば倒してくれて、朝起きたらどこからか食料を運んできてくれた。そんなイルカに彼女が懐くのも時間の問題だった。
仲良くなった後、彼は様々なことを教えてくれるようになった。原野を安全に旅する方法。野を駆けて獲物を狩り、食料を得る方法。火の起こし方、料理の仕方、薬の処方、そして外敵から身を守るための方法と、ギター。
ギターは宮殿に居た時、方伯から貰った誕生日プレゼントだった。どうして年端もいかない子供にこんなものをプレゼントしたのか、当時は全く分からなかったが、今にして思えば祖父は魔王に共感していたところもあって、きっと彼の血を受け継いだアンナには音楽の才能があると思っていたのだろう。
アンナが宮殿から抜け出してくる時、ギターだけを持って来たのは、そんな祖父からの贈り物だったというのもあったが、ギターを弾いてお金をもらえば色んな物が買えると思っていたからだった。無論そんなのは他愛もない子供の願望で、ろくに楽器を弾けないアンナがいくらギターをジャカジャカやったところで、誰も寄ってきてはくれなかっただろう。キュリオはそんな彼女にギターの弾き方を教えてくれたのだ。
イルカのフリッパーじゃコードを押さえることが出来なかったけど、彼は言葉を駆使して弦の押さえ方を一つ一つ丁寧に解説してくれた。それでもFコードは難しかったけど、なんとか弾けるようになって、それからコード進行の大切さや作曲法など、全部彼から学んだのだ。
練習曲をいくつか弾けるようになったら、弾き語りでも少しは稼げるようになってきて、すると彼女の噂を聞いて宮殿から迎えが来るようになったから、二人は生活の場を前線へと移した。前線には凶悪なエルフがやって来るけど、代わりに宮殿の使いは近寄れなかった。でも彼女にはキュリオから貰ったハバキリがあったからエルフなど敵ではなく、いつしか彼女は戦場のギタリストとして有名になっていった。
そうやって各地を転々としているうちに二人はどんどん似てくるようになった。喋り方や考え方、行動、そして魔王に対する憎悪も……この時期の彼女は憎しみの対象を得ることで、生きる活力を得ていた。魔王こそ母の仇と憎むことで、彼女には生きていく理由が生まれたのだ。だから二人は血は繋がっていなかったけれど、いつしか彼女はそのイルカのことを、本当の父のように慕うようになっていた。
でも……そうして何もかもを与えてくれていたのが、まさかその魔王本人だったなんて。
何も知らなかった彼女は魔王を倒した後……キュリオが去ってしまった後……どうしてあんな安直に、憎しみになんて飛びついてしまったのかと後悔した。
事情も知らずに一方的に、よく知りもしない赤の他人から母の仇と聞かされて、世界中の誰も彼もが魔王を倒して欲しいと願っていたから、目の前で仲間が死にそうになっていたから、殺さなければ自分が殺されると思ったから……言い訳はいくらでも出てきたけど、そうした自分のことが許せなかった。
本当は、魔王に恨みなんて抱いていなかったのだ。父が母を殺したなんて、信じていなかったのだ。単に育ての親と話を合わせていただけだった。なのに、いつしかそれが自分の思考に凝り固まっていて、そこから抜け出せなくなっていたのだ。
魔王を討伐し、太陽を取り戻し、勇者として凱旋した自分たちのことを世界中が祝福してくれても、彼女は全然うれしくなかった。
そんなことより、出来ることなら、あの懐かしい日々を取り戻したかった。そして、今まで育ててくれてありがとうと伝えたかった。でもそのチャンスは永久にやってこない。キュリオはもう、この世にいないのだ……
そう思っていたら、日本に彼がやって来た。キュリオは生きていたのだ。
本当はすぐ飛んでいって彼のことを抱きしめたかった。でもそうしようと思っても、足が竦んで動けなかった。彼を殺したのは、他ならぬ自分だったのだ。あの時の感触は、今でも覚えている。そんな彼は、再会してからいつも後ろめたそうにしていた。だからアンナも素直になれなかった。彼の気持ちを考えれば当然だろう。ずっとアンナに、恨め恨めと言い聞かせてきた張本人なのだから。
「でも、もう何も言わずにさよならなんてゴメンよ!」
アンナはステージの上でギターを掻き鳴らしながら、ありったけの声を振り絞って叫んだ。今となっては声援を送る観客もおらず、静まり返ったミュージックホールに、その声は高々と反響した。
「私はあなたにまだ何も返せていない。なのに勝手に居なくならないでよ。私がちゃんと大人になるまで……お父さんありがとうって素直にそう言えるようになるまで……最後まで責任持って見守っててよ!」
彼女はこの街に来てから覚えたあらゆる技を披露した。それはあのロックバーでオーナーに受けたオーディションに似ていた。でも、そのオーディションは今回ばかりは絶対に失敗出来なかった。隣にはもうシオンもいない。一人っきりだ。だけどもう、絶対に後悔はしたくないから。彼女は叫んだ。
「Fコードだってちゃんと弾けるようになったよ! この街に来て、色んな人に出会って、新しいことだっていっぱい覚えたんだ! 一緒にバンドをやる友達も、私に会いに来てくれるファンも出来た! 少しは他人に認められるギタリストになれたかなあ? それもこれも、全部キュリオが教えてくれたお陰なんだよ! あなたがいたから、今の私がいる……なのにあなたが居なくなったら、私はどこへ行けばいいのよ!」
この世界を作った本人が消えようとしている影響か、ミュージックホールは光に包まれ、もはや輪郭さえ留めていなかった。そんな真っ白い空間でアンナは一人、ギターを弾き続けていた。光は世界を白く染め上げ、何もかもを消し去っていく。そんな中で彼女の音だけが、いつまでもいつまでもこだましていた。
この街に初めてやって来た日、シオンの家でセッションしたあの曲は、子供の頃に戦場で子守唄代わりに聞いていた、アンナと、そして父との思い出の曲だった。この街に来てからシオンと二人で作り上げた曲は全部、誰かの思い出の曲だったのだ。






