NY探訪編⑰
ミュージックホールのドアを押し開け会場に入ると、ちょうどブリジットの演技が始まったところだった。彼女はシオンが作曲した歌を歌い、圧巻のダンスを見せつけて聴衆を魅了して止まなかった。その最高のパフォーマンスを目撃した観衆が割れんばかりの拍手喝采を送っている。シオンとアンナの二人は、観客席の通路で呆然とそれを見ている以外にやれることは何も無かった。
やがて舞台袖から司会者が出てきて、演技者にもう一度拍手をと観衆を煽った。彼は自分で煽った拍手が鳴り止むのを待たねばならなかったが、ようやく収まってくると番組進行のために、彼女を発掘したプロデューサーを紹介し始めた。
会場を埋め尽くす観客から拍手に迎えられた但馬は、満面に笑みを浮かべ手を振りながらステージの中央へと進み出た。司会者がそんな彼のプロフィールを読み上げて、さっきブリジットが歌ったのは彼が手掛けたオリジナル曲であると紹介した。
その言葉を聞いた瞬間、シオンは絶望に駆られ、その顔は真っ青になった。そんな大嘘は今すぐ否定したかったが、でもそんなことをしたら、あの悪魔のような男が何をするか知れたもんじゃなかった。彼はきっとシオンのことを不法滞在者として告発し、息子のハリーを取り上げてしまうだろう。そうなったら、もうアメリカで音楽を続けていくことは出来なくなり、彼女は異国の地にいる息子を思いながら、一生日本に閉じ込められて暮らすしかないのだ。
そんなの絶対嫌だ……耐えられない!!
彼女は恐怖にブルブルと怯えながら、隣で憤っているアンナに、もういいから帰ろうと言おうとした。だが、その時だった。
「……!? ふんぬらばっ!!?」
突然、スピーカーから情けない悲鳴が聞こえてきて、何事かと振り返れば、ステージ上の但馬が何故か宙を舞っていた。
司会者に紹介されながらステージの中央に進み出てきた彼は、ブリジットの肩を馴れ馴れしく抱こうとした瞬間、腰の入った良いボディーブローを食らったのだ。
彼女よりもずっと大きな成人男性が、まるで漫画みたいにクルクル回転しながら飛んでいく。聴衆はそれもまたパフォーマンスの一貫だと思って笑っていたが、何も知らない司会者が驚いて但馬の下へ駆けつけると、ブリジットはその隙にバックバンドに合図して、もう一度曲をかけてくれと頼んだ。
さっき流れたばかりの新曲がまた流れ出すと、観客たちはまた彼女のパフォーマンスが始まるんだと沸き立った。進行役の司会者やスタッフ、審査員たちは戸惑っていたが、盛り上がる会場を見て制止できずにいると、ブリジットの歌が始まった。
観客はそんな彼女の暴走を、最初は手を叩いて喜んでいた。だが……
暫くするとさざ波のように、どよめきが会場内を伝播していった。それもそのはず、ついさっき聞いたばかりの彼女の歌声と、今聞いている声がまったく別物だったのだ。
さっき聞いたはずの美しいソプラノが、今は音程を外しまくった掠れ声に変わっていた。ブリジットは顔を真っ赤にして高音を必死にがなり立てている。そのせいかダンスにも切れがなくなり、彼女の動きはギクシャクしていた。間もなく、歌よりも呼吸の方が大きくなって、聞いたもんじゃなくってくると、ついに観客から不満が漏れ始めて、客席はブーイングで埋め尽くされ、バックバンドは演奏を止めてしまった。
審査員たちは、何のつもりかと不満げにブリジットの顔を窺っている。彼女は会場のブーイングを浴びながらも堂々とステージの中央まで進み出ると、
「さっきのパフォーマンスは口パクでした、ごめんなさい」
と、あっさり種明かしをした。その瞬間、会場内に怒号が起こり、
「ブリジット! 早まるな! そんなことをすれば君はもうこの世界でやっていけなくなるぞ!?」
と、但馬が慌てて止めてきたが、ブリジットはそんな彼をゲシゲシ蹴り飛ばすと、尻餅をついて涙目で見上げている彼のことを指さしながら、
「この曲を作ったのがプロデューサーだというも大嘘です! 彼はアーティストデビューを餌に、この曲の本来の持ち主を騙して、権利を奪い取ったんです! 契約書があるからもう自分のものだと言い張っていますが、でも私にはそんなこと許せません! だからこの場を借りて彼の悪質な行為を公表させていただきました!」
彼女が但馬の行いを暴露すると、会場からは怒声と称賛の入り混じった声が沸き起こった。ブリジットのことを応援していたのに騙されたと憤るものも居れば、不正を正そうと立ち上がった彼女のことを称える声も多かった。
「ぬわ~! もう終わりだあ~……」
当の但馬はステージの上で打ちひしがれていたが、もう彼のことなど気に留める人間などこの場には一人も居なかった。進行役の司会者はイレギュラーにどう対処すればいいのかと右往左往しており、審査員たちはただ困惑の表情を見せながら、
「ブリジットさん。もしそれが本当なら、私たちの投票も無効とさせていただきますが……これでもう、あなたのデビューは無くなってしまうけど、本当にいいんですか?」
審査員たちもそのパフォーマンスを推していたからか、彼女の突然の行いに戸惑っているようだった。ブリジットはそんな審査員たちにスッキリした顔を向けて、
「いいんです。こんな不正を許すくらいなら、私のアーティストデビューなど些細なことです。私は正しいことが、正しく行われればそれでいい。ですからこの曲は、本来の持ち主に返させていただきます」
彼女がそう宣言するなり、観客席の中から一人の少女が飛び出してきた。手に入れたばかりのエレキギターを抱えて、行く手を阻むガードマンの腕を掻い潜って、彼女はステージに飛び乗ると、手近なアンプにコードをぶっ刺し、おもむろにギターを掻き鳴らした。
ジャカジャカと突然流れだしたギターの音に、観客席がどよめいた。アンナは周囲の反応などお構い無しにギターを掻き鳴らし続けた。刺すような冷たい視線があちこちから突き刺さったが、誰にも見向きもされないステージなら、あのタイムズ・スクエアでいくらでも経験してきた。これくらいの逆境などものともせず、彼女はこの街に来てから培ってきたあらゆるギターの技を駆使して観客にアピールした。
次の瞬間、ギターが奏でるメロディが、さっきのブリジットの曲であるのに気づいたバックバンドが、ギターに食いついてきた。サウンドがホールに響き渡ると、戸惑っていた客の一部もノリ出した。イントロが終わってもブリジットはもう歌わなかった。彼女は手を叩いて場を盛り上げるだけに徹して、本来のボーカルが現れるのを待った。曲はAメロBメロと流れてサビを迎え、そしてアンナのギターソロが始まった。
あのコンサートホールで見た、ジミー・ペイジを思い出せ……ドラムのジョン・ボーナムとまるで対決するかのように、持てる力を存分に使って、あらゆるサウンドを観客にぶつけるのだ。そのねっとりとした音で観客を魅了した神のごとく、自分もここにいる全員の魂を鷲掴んで離さないギターを見せてやるんだ。
お誂え向きに会場は、あのコンサートホールに負けないくらいの客入りだった。全ての人の注目が集まる中で、アンナは持てる限りの力を駆使して客に挑んだ。その孤高のギターに、客も最初こそは戸惑っていたが、いつしか誰もが声援を送っていた。
怒号と歓声が入り交じる中、アンナはギターを掻き鳴らしながらステージの最前線まで歩いてくると、スピーカーに足を乗っけて、客席目掛けて叫ぶように名前を呼んだ。
「シオン!」
その声がブリジットのマイクを通して会場に轟き渡るや否や、スポットライトが客席のシオンを照らし出し、観客の目が一斉に彼女へ注がれた。
呆然とアンナを見上げながら観客席に一人取り残されていたシオンは、自分が注目されていることに気づくとハッと我に返った。
何が起きているのか分からないが、あの男に奪われてしまったはずの楽曲が無事に返ってきて、今アンナのギターでステージで演奏されている。彼女はまるで往年のロックスターのようなカリスマを見せつけ、観客を魅了しながらシオンが上がってくるのを待っているのだ。
顔を真っ赤にして必死にギターを掻き鳴らすアンナの代わりに、ブリジットが横から彼女に向かって手を差し伸べた。早くしないとアンナが繋いだ場が冷えてしまうぞと、その目が言っているようだった。そう思った瞬間、シオンは自然と駆け出していた。
もう彼女を引き止めるガードマンはどこにもいなくて、逆に彼女に触れようとするファンから守るように道を作ってくれている。シオンはその花道を駆け抜け、ブリジットにぐいっとステージに引っ張り上げられると、手渡されたマイクに向かってシャウトした。
シオンがステージに上がると客席の盛り上がりはピークに達した。まだ3回しか演奏されていない曲なのに、観客らはもう歌詞をおぼえて大合唱を始めていた。審査員たちはそんな会場の雰囲気に、やれやれとお手上げのポーズをしながらも、満更でも表情を見せていた。舞台袖では司会者がディレクターと真剣な表情で今後の進行について打ち合わせしてた。そんな中で但馬だけがメソメソしながら、秘書に首根っこを掴まれて会場を後にしていった。
その場に集まったすべての人々が、ステージの上の母に向かって歓声を上げている。アンナのギターがその母の歌を支えて、ブリジットが盛り上げる。
まるで夢のような光景だった。
ハリーはそんな幸せいっぱいの母の姿を、観客席の中からじっと見つめていた。何度繰り返しても、いつも最後は悪夢が襲ってくるこの世界で、ついに母は救われたのだ。
アンナが、ブリジットが、自分には救うことが出来なかった彼女のことを見事に助けてくれたのだ。本当に、信じられない光景だった。夢みたいだった。こんなに、簡単に、母のことを救うことが出来るなんて……
「大将、ここに居たのか」
ステージの上から幸せそうに手を振っている母を見上げて涙を流しているハリーの肩に、ハルの手が乗せられる。
「ずっと探してたんだけど、ついに見つけられなかったよ。まさかそんなちんちくりんになってるなんて思わないじゃないか。それにあの偽物……あいつに随分惑わされた。あの紛らわしいのは、大将の父親のイメージだったんだな」
ハルはそう言って、会場から逃げるように去っていく偽但馬にちっと舌打ちした。
振り返りもせずにハリーが言う。
「ずっと……心残りだったんだ」
「え?」
彼が聞き返した途端、回転していたレコードがギュンと動きを止めたかのように、世界から音が消え去った。消え去ったのは音だけではなく、さっきまで大歓声を上げていた客席の人々も、アンナのギターに合わせて演奏をしていたバックバンドも、みんな一時停止をしたビデオみたいに固まっている。
突然の静寂にハルが戸惑っていると、小さなハリーの声が空間に響いた。
「母を助けられなかった……そう思う気持ちが、この街を作り出していたようだ。俺はいつからかこの街に捕らえられて、ずっと母を助けようと藻掻いていたんだ。そんな俺の執着に、みんなを巻き込んで済まなかった。今回も駄目だと思っていたけど……でも、みんなのお陰で母を救うことが出来た」
「そうか……よかったな」
「ああ、本当によかった……だからもう思い残すことは何もない」
ハリーがそう呟いた瞬間、彼の体が淡く光りだし、スーッと色を失うように透き通っていった。今にも消えそうなハリーを前に、ハルが慌てて引き留めようとする。
「ちょっと待て。大将、あんたどこに行くつもりだ!?」
「俺が消えることでこの世界も消え、おまえたちは現実に戻れるはずだ」
「そんなこと聞いてるんじゃない! 俺たちが何のためにこの街に来たと思ってるんだ!?」
ハリーは子供らしからぬ達観した笑みを浮かべると、
「もう疲れたんだ……休ませてくれよ」
「疲れたって、何に?」
「おまえも知っているはずだ。本当の但馬波瑠は、ずっと昔にとっくに死んでて、俺はただ奴のデータから作り出された人格でしかないんだよ。世界を救うなんて大層な理由で、何百年もこの世に縛り付けられてきたけど、それももう終わりだ。そろそろ解放してくれ」
「それは……もちろん知ってるけど。でも、君のお陰でやっと世界は平和を取り戻したんだぞ? その君が居なくなってどうするんだよ!」
ハルは必死に彼のことを引き止めようとしたが、ハリーは薄く笑うだけで返事もしなかった。その時、ハルはステージの上から黙ってこっちを見ているブリジットの姿を捉えて、慌てて叫んだ。
「ブリジット! 君からもなんとか言ってくれ! このままじゃ大将が消えちまう!」
しかし、そう言えば慌てだすと思ったブリジットは、意外にも表情一つ変えずに冷静なまま、黙って首を振った。
「どうして!?」
ハルがその姿に驚いていると、彼女は表情こそ変えなかったが涙を流しながら、
「先生が本心ではお眠りになりたがっているのは、本当はずっと前から分かっていたんです。私たちが無理やり復活させたせいで、実はそのお体は最初からボロボロでした。だからこの探検航海は、最初で最後のハネムーンのつもりだったんですけど……
この街に来て確信しました。先生は、私たちの時代に生きているような人じゃないんです。これだけテクノロジーに差がある世界から来たあなたのことを、いつまでも私のわがままで引き止めてしまって……本当に、ごめんなさい。もしあなたがそれを望むのであれば、私から言うことは何もありません」
ブリジットはとっくに覚悟が決まっていたようだった。ハルはその殊勝な姿を見て、掛ける言葉を失ってしまった。
「ありがとう、ブリジット。そして、ごめんな」
「いいえ……愛しておりました」
ハリーの体はますます薄れていく。このままでは本当にこれが今生の別れになってしまう。ハルは涙を流すブリジットの隣で、不貞腐れるように俯いているアンナの姿を見つけて咄嗟に叫んだ。
「アンナちゃん! 君も黙ってないでお父さんのことを引き止めろよ!」
しかし、アンナは何も答えなかった。ただ下を向いてギターの弦を爪弾きながら、何やら口ずさんでいる。その声は小さすぎて聞こえない。ハルはもどかしくなって叫んだ。
「いいのか!? こんな悲しい別れが、お父さんとの最後だなんて!」
「良いんだ。ハル……これで良い」
そんなハルの叫びに応えたのはハリーの方だった。振り返ると彼の体はいよいよ薄くなってきて、その体は重力を失ったかのように空へ向かって昇っていこうとしていた。
「アンナはもちろん俺の子だけど、なによりまず君の子供でもあるじゃないか。君が俺に遠慮して、彼女と距離を置いていたのには気づいていた。なのに何も言えなかったことが心苦しかったんだ」
「それは……」
ハルが返事に困っていると、ハリーは続けて、
「君の人生を台無しにしてしまった俺がいうのもなんだが……後のことは任せたぞ。セレスティアに帰ったら農場をよろしく。サリエラが君の下へ馳せ参じるはずだ。トーも君に友情を感じているようだ。あの男はああ見えてとても優秀だから、きっと君の力になってくれるだろう。それから……大丈夫だと思うが、日本に行ったアナスタシアのことも気にかけてくれ。あとは……自分の娘と幸せにな」
「そんなの全部、あんたが自分でやればいいじゃないか……」
ハルは涙目になりながら尚も食い下がろうとしたが、ハリーの決心は固いようだった。その小さな体はいよいよ薄れてきて、もう殆ど見えなくなっていた。ハルは、このままでは本当に最後になってしまうのにこんな別れ方で良いのかと、ついに諦めて、今にも消えそうな彼に贈る言葉を探したが……
「……くなって……でって……」
と、その時、ステージの上でギターを爪弾いていたアンナの声が微かに聞こえてきた。さっきからブツブツ何かを言っているように見えたが、彼女のその呟きと比例するように、ギターの音も大きくなって聞き取れなかった。
多分、彼女は今、消えようとしている父親に向かって何かを言おうとしているのだけど、彼女の性格上、素直には言えないでいるのだろう。
一体、彼女は何を訴えようとしているのだろうか。耳を傾けていると、そのうちどんどん彼女のギターは大きくなっていき、終いにはまるで癇癪を起こすかのような力強いストロークを繰り返し始めた。
「だから……私を置いて行くなって……言ってんでしょっ!」
彼女は顔を真っ赤にして叫ぶようにギターを掻き鳴らしている。ハルが、ブリジットが、唖然と見守っている中で、そして彼女はその名を呼んだ。
「キュリオーーッ!!!!!」






