NY探訪編⑮
全米デビューを賭けたオーディション番組に出演するはずが、何故か自分たちの楽曲を奪われてしまったアンナとシオン。彼女らはふざけるんじゃないとステージに殴り込みをかけようとしたが、なんとそこに現れたのは行方不明のはずの但馬波瑠だった。アンナは何が起きたのかと呆然としてしまったが……
驚いたのはそれだけではなく、シオンは自分たちを嵌めたプロデューサーの正体が但馬だと気づくと、何故か怯えるように背を向けて諦めようと言い出した。会場に背を向ける彼女に対し、納得がいかないアンナは大分迷ったが、結局は但馬への怒りが勝ってガードマンたちを振りほどくと、ブリジットの楽屋がある舞台裏を目指して駆け出した。
会場を出てホールをぐるりと回り込むように通路を駆けていくと、スタッフオンリーの張り紙が貼られた柵が行く手を遮ってきた。彼女はそれをハードル競技みたいに飛び越え、驚いて制止しようとするガードマンの腕をくぐり抜けて、出演者の楽屋が並ぶ舞台裏まで辿り着いた。
追いかけてくるガードマンを気にしながら、ブリジットの楽屋はどこだと探していると、行く手にちょうど楽屋へ戻ってきたばかりの彼女の姿が見えた。アンナは「待て!」と叫んで彼女を止めようとスピードを上げたが、その手が届くよりも前にガードマンたちがアンナのことを捕らえてしまった。アンナは後少しだったのにと落胆したが……
しかしそれは杞憂に終わった。流石に楽屋の前で誰かが騒いでいたら中にいる人も気になるだろう。まだ帰ってきたばかりでドアのそばにいたブリジットは、騒ぎに気づくとひょいと顔を覗かせ、
「え!? アンナさん?? すみません、その人は私の知り合いでして。放してもらえませんか?」
と、彼女の拘束を解くようにガードマンに言った。解放されたアンナは乱れた髪を煩わしそうにワシャワシャかき上げながら楽屋の中へ飛び込むと、すぐさまブリジットに掴みかかって、
「あんた一体なんのつもりであんなことしたのよ!」
懐かしい再会のつもりが、突然掴みかかってこられたブリジットは目を丸くして、
「い、いきなり、どうしたんですか? アンナさん」
「とぼけないでよ! さっきあんたが歌ってたあれはなに!?」
「なにと言われましても……」
ブリジットは本気で意味がわからないといった感じに首を傾げている。アンナは殴ってやりたい衝動を抑えながら懸命に言葉を選ぶと、
「あんたが歌っていたあの曲は、私たちが作った曲なのよ。ずっと前から色んなところで演奏してたし、動画サイトにもアップロードされてるわ。それがどうしてあんたのオリジナル曲なんてことになるのよ!」
「ええ!? 何の話ですか? 私は何も知らなくって……」
ブリジットはびっくりして目を見開くと、睨みつけてくるアンナの後ろの方へ目をやった。その視線の先を追ってみれば、気がつけば彼女の背後に一人の男が立っていた。
「あんたは……但馬波瑠!」
「ん? 君とはどこかで会ったことがあったかね……?」
但馬はアンナの全身を舐め回すように見つめている。その気持ち悪い視線にゾッとしていると、
「ふむ……キュートなヒップ、魅惑的なボディライン、顔も中々、おっぱいが小さいのを除けば素材としては申し分ない。どうかね、君。うちの事務所からデビューしてみないかね?」
「ふざけんじゃないわよっ!!」
アンナはまさか父親からそんな気持ち悪いセリフが飛び出てくるとは思わず、込み上げてくる吐き気を振り払うようにブリジットのことを突き飛ばすと、今度は但馬の胸ぐらを絞り上げた。
但馬は両手を挙げて降参のポーズをしてみせる。
「おっと、暴力は反対だ。あまりおいたが過ぎると今すぐここから追い出すぞ……警備員に頼んで」
「そう言えば、ハルが魔王にそっくりだって言ってたけど……あんたが私たちの曲を盗んだプロデューサーね!?」
「うん? 盗んだだと……?」
但馬は一瞬だけ心外だと言わんばかりに目を丸くして見せたが、すぐに何かを思い出したかのようにぽんと手を叩くと、
「そうか、君はシオンのバンドの片割れのほうだな。盗用とは人聞きが悪い。あの楽曲は、確かに私のものだ。契約書だってちゃんとここにある。秘書君、持ってきたまえ」
「契約書……?」
アンナが何のことだろうと当惑していると、楽屋の奥からまた別の者が出てきた。アンナはその顔に見覚えがあった。
「あんたは……確か店に来たスカウト?」
「当該グループ、ハルシオンとは12月✕✕日、楽曲提供についての覚書を交わしております。書面によるとハルシオンは当プロダクションに、全ての楽曲の権利を移譲する代わりに所属タレントとして月に○○ドルの支給を受けると書いてあります。ここに二人の署名もあります」
その書類には確かにアンナとシオンの署名が記されていた。彼女にそれを書いた記憶もあった。だがそれは、オーディション番組に出演するために必要だと言われたからだ。自分たちの楽曲を売り渡すような真似をするわけがない。
「そんなの無効よ! あんたたちが騙して私たちにそれを書かせたんじゃない!」
アンナは自分たちが嵌められたことに気づくと顔を真っ赤にして叫んだが、
「ふん、だが契約はこうして交わされている。ちゃんと書面として残っている以上、君たちにこの楽曲を使う権利はもうない。これは事務所のものになったんだから、ブリジットのオリジナル曲として発表しても構わないじゃないか」
「こんな紙切れ、こうして!」
アンナは但馬から契約書を奪い取るとビリビリに破り捨てたが、
「馬鹿だなあ。そんなのコピーに決まってるじゃないか。本物はちゃんと事務所に保管してある。だが君がこうして反社会的な行動を取ったことはばっちり記憶したぞ。これを裁判所に訴えたら君たちは終わりだ」
「ふざけないで! そっちこそ他人のものを盗んでおいて、タダで済むと思ってるの!? 裁判でもなんでも受けて立ってやろうじゃないの。あんたたちがいくら書類を盾にしても、私たちが今までにやって来た活動は無くならないわ。私たちが今までにアップロードした動画や、店の常連客、私たちを応援してくれたファンのみんなの力を借りて、絶対にあんたの悪事を暴いてやるから!」
アンナが目をギラギラさせてそう言い返すと、流石にそれは困るからだろうか、但馬は少々怯んだ様子を見せたが、すぐまた余裕の作り笑いを浮かべると、
「ふん、仮に君がそうしたところで、シオンはどう言うかな?」
「……どういう意味?」
「君が何をしようと無駄だ。彼女は喜んで僕ちんに曲を提供してくれるだろう」
「……どうしてそう思うの?」
アンナは反射的にそんなはず無いと返しそうになったが、ふとさっきのシオンの様子を思い出し、眼の前の男に問いただした。すると彼は勝ち誇ったように、
「何故なら、あいつの息子は俺の子供なんだ。せっかく彼女にしてやったのに、俺の子を産むとか言いやがるから捨てたんだが、まさか本当に一人で産んでいたとはね。もちろん認知するつもりなんてさらさら無かったが、利用価値があるというなら話は別だ。そうすればシオンは僕ちんの言う事を聞かざるを得なくなるだろう。
なんせ彼女は不法滞在者だからな。このアメリカに居てはいけない社会のクズだ。無職の不法滞在者と、社会的地位の高い僕とで、どっちが親に相応しいと思う? 裁判所に訴えれば、あいつは強制送還された上に息子を失う羽目になるだろう。だからシオンは僕ちんの言う事を聞くしか無いのさ。これで分かっただろう。君たちに打てる手はもうないんだ。観念したまえ。はっはっはっはっは!」
アンナは、身勝手な理由で勝ち誇っている自分の父親の姿をした怪物を前に、絶句していた。もちろん、この男が本物の但馬波瑠のわけはないだろう……が、しかし言ってることが本当なら、少なくとも彼はハリーの父親である。彼の言う通り、訴えられればハリーがどうなるかは分からない。裁判所が不法移民の言うことなんて聞くわけがないのだ。
だからさっき、シオンは真っ青になって逃げ出したのだ。もしもこの男に見つかれば、息子を取り上げられてしまうと思って。アンナはそれに気づくと、あまりに理不尽な仕打ちに、頭にきすぎて気が狂いそうになった。もはや堪忍袋の緒が切れた。彼女は絶対に許さないと拳を振り上げたが、
「はぎゃっ!? ひぎぃぃーーっ?!!?」
しかし、彼女が拳を振り下ろすよりも先に、眼の前の空間がゆらりと動くようなオーラを感じたかと思えば、金髪の悪魔の拳が但馬のみぞおちに突き刺さっていた。
ブリジットのボディブローを食らった但馬は紙切れのように吹き飛び、楽屋の壁にぶつかってカエルみたいな悲鳴を上げた。それを間近に見ていた秘書が腰を抜かして、四つん這いになってシャカシャカ逃げていった。
「見下げ果てたクズですね。こんなゴミを1ミリでも先生かも知れないと信じていた自分を殺してやりたい気分ですよ」
ブリジットは両の拳をポキポキ鳴らしながら、壁に叩きつけられ鼻血をたれ流す但馬のもとへつかつかと歩み寄ると、怯えている彼の胸ぐらをぐいと掴み上げ、オラオラオラオラ! っと物凄い連打を浴びせた。
「ぴぎぃぃぃーーーっ!!」
顔面が変わるくらい殴打された但馬は最初は子豚みたいに可愛い悲鳴を上げていたが、そのうちぐったり動かなくなった。ブリジットはピクピクと四肢を痙攣させて倒れている但馬に背を向けると、その背後でどん引きしているアンナに頭を下げた。
「ごめんなさい、アンナさん。事情も知らずに、私はとんでもないことをしでかしてしまったみたいです。謹んで謝罪します」
「え、うん……」
「あなた達の楽曲はもちろんお返しします。司会者の方にお願いして、このことを包み隠さず会場で説明すればよろしいでしょうか?」
「だ、駄目だ、ブリジット君! そんなことをしてしまったら、うちの事務所の評判が……!」
「黙れゴミが喋るな」
ブリジットは縋り付いてくる但馬に容赦なくヤクザキックをお見舞いしている。アンナは顔を引き攣らせながら、
「それも大事だけど、まずはシオンを追いかけなきゃ。多分、いま一番落ち込んでるのは彼女よ」
「わかりました、お供します」
賞レースなど端から眼中になかったのか、彼女は衣装の上からコートを羽織った。
「戻るんだ、ブリジット君! 君なら優勝を狙えるのに!」
但馬がまだ未練がましく叫んでいたが、二人はもう振り返ることもせずに、騒ぎに駆けつけたガードマンたちが驚いている中を、悠然と走り抜けて会場を後にした。
***
勝ち抜いている最中のアーティストがロビーに現れたので、たまたまそれを目撃した観客が驚いていたが、特に騒がれることもなく二人は会場から外に出ると、そこに停まっていたタクシーに乗り込んだ。
シオンがどこへ行ったかは分からなかったが、但馬の脅しが効いているなら、きっとハリーが待つ家に帰ったんだろう。アンナは運転手に行き先を告げたが、ニューヨークの慢性的な交通渋滞に捕まって、車は遅々として進まなかった。二人はセントラル・パークの辺りで諦めて徒歩に切り替えると、車を降りて歩道を駆け出した。ブリジットの衣装を見た通行人たちが、なんだなんだ? と振り返る。
「シオンさんという方は、どういう人なんですか?」
アンナが息せき切って駆けているとブリジットが尋ねてきた。体力馬鹿の彼女は息一つ乱していない。アンナは内心こんちくしょうと思いながら、息も絶え絶え、
「私がこの街に来てから知り合った友達よ。出会ったその日にバンドを組んで、今日までずっと一緒にやってきたの。その音楽活動も軌道に乗ってきて、デビューが決まったって喜んでたんだけど……」
「それはあの男の奸計だったわけですね。度し難い畜生です。でもまだ遅くありませんよ、彼女を連れ戻したら会場に取って返して、全てを白日の元にさらけ出してやりましょう」
ブリジットは腕を振り上げ、鼻息荒くいきり立っている。シオンがどう言うか分からなかったが、アンナも絶対そうした方が良いと思った。
あの男が言うように、事務所と揉めたら彼女が不法滞在者だということがバレてしまって、母子の立場が危うくなる危険性はあった。だが、あの人でなしの言うことなど、真に受ける必要などないのだ。
仮に奴がハリーの親権を主張したとしても、あんな鬼畜の話を裁判所が認めるはずもない。そもそも、認知するのを嫌がって女を捨てた男が、本気で子供を育てるはずがないではないか。きっと本当に引き取らなければならなくなったら、手のひらを返してしらばっくれるに決まっているだろう。
だから心配する必要はないと、アンナはシオンに言ってやろうと思っていた。強制送還なんてなろうものなら、最後まで一緒に戦ってやる。シオンもハリーも二人とも、自分が絶対守ってやるから任しておけと、そう伝えるつもりだった。
でもその機会は未来永劫やってくることはなかった。この時もう、シオンにアンナの言葉は届かなくなっていたのだ。
三人の家がある倉庫街まで戻って来ると、突然雲行きが怪しくなってきた。空が急に暗くなって、ゴロゴロと遠くの方で地鳴りのような音がした。間もなく、ぽつぽつと雨が降ってきて、あっという間に大粒の土砂降りに変わり、二人は全身ぐしょ濡れになった。水分を含んだ服が纏わりついて走りづらくて仕方がない。
そうして気ばかり焦っていると、すぐ近くにビシャンッ!! っと、雷が落ちて二人は吹き飛ばされるような衝撃を受けた。閃光が走り、目がチカチカなって、遅れてやって来た大音響に三半規管が揺さぶられてくらくらした。
「きゃあああああーーーーーーーっっ!!!」
まだキーンという耳鳴りが残っていたが、どうにかこうにか正気を取り戻すと、二人はよろけながら先を急いだ。
まるで墨汁が降ってるかのような黒い雨が地面を濡らし、街は水墨画のように色を失っていた。黄昏時にはまだ早すぎて街灯はついておらず、暗闇の中を手探りするように二人はノロノロと進んだ。
ようやくアパートが見えてきたと思ったら、何故かそこだけ明かりが漏れていて、他の水墨画みたいな建物とコントラストを描いて浮かび上がって見えた。
「きゃあああああーーーーーーーっっ!!!」
とその時、アパートの方から声が聞こえてきて、ずっと耳鳴りだと思っていたのは、どうやら誰かの悲鳴だと気付いた。アパートの階段に足をかけると、随分前にもこんなことがあったような、妙な既視感を覚えた。嫌な予感をさせながら一歩一歩階段を上っていると、アンナは段々その時のことを思い出してきた。
それは最初の日、ギターを盗んだハリーと追いかけっこした時、どこまでも続く階段を上り続けた時と同じだった。あの時もどこからか、ずっと悲鳴のような声が聞こえてきてて、なんなんだろうと思っていたら上り詰めた階段の席に、あれが見えてきたのだ。
その時のことを思い出し、胸が抉られるような息苦しさを感じながら、アンナは階段を上り終えると、三人の家があるフロアに躍り出た。三人が鍋をつついた。三人が笑いあった。三人がごろ寝した、あの家が……
と、その廊下の途中に、小さな人影を見つけた。目的地であるシオンの部屋の前に、息子のハリーが佇んでいる。
ブリジットがそんな彼の元へ駆け寄ろうとしたが、アンナは咄嗟にその手を掴んで制止した。驚いたブリジットが、どうしたの? と言った感じに振り返る。アンナは黙って首を振ると、彼のところには自分が行かなきゃいけないと覚悟を決めて歩き始めた。
ハリーは壊れた機械みたいな抑揚のない悲鳴をあげながら、まるでこの世の終わりみたいな目で部屋の中を凝視していた。その瞳孔は黒く滲んでいて何も映し出していなかった。彼はショックのあまり表情を失っており、人間らしさを失ったその顔は深海の生き物みたいに色がなかった。
アンナはそんな彼のもとへとたどり着くと、その肩に手を置いて、後ろから抱きしめ、彼と目の高さを合わせて、そしてその視線の先を確かめた。
シオンの狭い部屋の中には、リビングの天井の梁に無理やりロープを通して、その部屋の主がぶら下がっていた。首だけが天井と繋がって、ゆらゆら揺れるシオンの体がクルクル周って、一回転してアンナの目を捉えた。その瞬間、彼女はデジャブを覚えた。目の前のシオンの死体と、あの日見た首吊り死体が重なって見えた。
そのシオンの瞳が、どうして? と訴えかけてくる。
ビシャアアアアーーーーンッッッ!!
と背後に落雷があって、グラグラと地面が揺れ動く。閃光が周囲を照らし、世界は白黒で埋め尽くされた。
それが収まってくると今度は地面が真っ黒に染まり、壁が黒く染まり、シオンの死体を隠し、世界は虫食いみたいにどんどん黒く染まっていき、ついに何も見えなくなってしまった。
一面の黒の中で幼い子供の悲鳴だけが聞こえてくる。崩れ落ちていく世界の中で、その子供の声だけが、いつまでもいつまでもアンナの耳に残響していた。






