NY探訪編⑬
アンナとシオンがコンビを結成してから、結構な時が流れていた。2人はあの時のロックバーでその後も順調に活動を続けており、今やハーレム地区ではそこそこ名の知れたバンドとして受け入れられるようになっていた。
初ライブではチケットノルマをクリアするのがやっとで、パフォーマンスのことまで頭が回らず、ほぼぶっつけ本番でステージに上ったアンナは、なんというかアウェイの洗礼を受けた。自分たちがトップバッターでまだ暖まっていない会場は人もまばらで、フロアには人がパラパラいるだけで、ただ棒立ちのままの自分たちが歌ったところで全然盛り上がらなかった。
チケットを買ってくれた人たちも当日になったら面倒くさくなったのかあまり来てくれなくて、客はみんな自分たちの後に出演するバンドが目当てで、彼女らのことを見に来たわけじゃないから当然と言えば当然だったが、これでやっていけるのかなと不安になった。
それでも一生懸命演奏したお陰で拍手はもらえたが、その日は家に帰ると二人で反省会を朝まで続けることとなった。
とはいえ、酷かったのも最初だけで、それからも毎日タイムズ・スクエアで弾き語りを続けたお陰か、路上のアンナに会いに来てくれる人も徐々に増えていき、割とすぐチケットノルマには苦労しなくなった。彼らがSNSで宣伝してくれるお陰で、ネット経由でやって来る当日客も増え、そうして人気が出てくると出演順も徐々にあとの方になってきて、ついにトリを任されるようにまでなった。
今日はその初めてのライブで、彼女らがステージに上がった時には、既にパフォーマンスを終えた他のバンドや、彼女目当てに集まったファンらでフロアはぎっしり埋まっていた。二人の登場を今か今かと待っている観客の前にアンナが現れるや歓声が上がり、演奏が始まる前から盛り上がりは最高潮を迎えた。
そして彼女らの演奏が始まると飛び跳ねる観客の足音で建物全体が揺れ動き、地鳴りのような歓声がフロアに響き渡った。アンナのまだ荒削りだが魅せるギターと、シオンの伸びやかな歌声が、二人が出会ってからライフワークのように続けてきた曲に乗ってフロアに届くと、観客たちはまるで魔法にでもかかったように踊り始めた。その振動が、鼓動が、いくつも重なって、洪水のようにフロア全体をかき混ぜた。
最初の頃の初々しさはどこへやら、これまでいくつもの場数を踏んできたアンナは既にベテランのような落ち着いたピックさばきで観客を魅了し、彼女のギターソロが始まると彼らはうっとりと聞き惚れていた。彼女のギターは今では界隈でも有名となり、客の中にはプロのスカウトも混じってるとはもっぱらの噂だった。
そんなこんなで2人の演奏が終わっても、客はその余韻に浸るかのようにいつまで経ってもその場から離れず、店の看板が近づいているのにこの客をどうやって追い出せばいいのかと、オーナーは嬉しい悲鳴を上げるのだった。
演奏を終えて楽屋に戻ったアンナは軽く汗を拭いて休憩すると、ギターをケースにしまってフロアに出た。すると彼女が来るのを待っていたファンに囲まれ、即席のファン交流会が始まった。
店に出演者用の楽屋はあったが、出演者ごとの使いまわしなので演奏が終わったらすぐ撤収しなければならなかった。もちろん、そのまま帰ってもいいが、普通は客席に混じって他のバンドを見ていくのが常であり、アンナはいつも路上に聴きに来てくれるファンと一緒に、他のバンドの演奏を聞くのを楽しみにしていた。
今日は自分たちがトリだったので他の演奏は聴けなかったが、代わりに落ち着いてファンと交流が出来たので彼女は満足だった。店のバイトは早く出ていって欲しそうにしていたが、シオンの方も楽しそうにしており、この時間がいつまでも続けばいいのにと、そう思った。
と、そんな時だった。
アンナが何気なくカウンターの方を向いたら、いつもなら常連客が管を巻いているその席に、見知った顔が座っていた。ハルはアンナが自分に気づいたことに気づくと、ホッとした表情をしてから、祝杯をあげるようにビール瓶を掲げて見せた。アンナはまさか知り合いが見に来ているとは思わず、ファンに挨拶を済ませ、シオンに先に帰っていてくれと伝えてから、彼の元へと駆け寄っていった。
***
店を出た二人は地下鉄駅とは反対の川の方まで歩いていくと、遊歩道を渡って川沿いの公園へとやってきた。既に深夜にも関わらず少年たちがスケボーで遊んでる横を通り過ぎ、欄干にもたれかかると、冷たい冬の夜風が通り過ぎていった。
狭い川幅の向こう岸にはサウスブロンクスの町並みが見えていて、その明かりが川に反射してキラキラと輝いている。こんな川でも魚はいるのか、時折水面からぱしゃぱしゃと音が鳴っていた。
「なんだか随分久しぶりの気もするけど、元気そうで良かったよ」
なんとなく話す言葉が見つからなくて、川の中を覗き込んでいたら、同じように手持ち無沙汰にしていたハルが徐に声を掛けてきた。
「あの日、君が居なくなってからずっと探してはいたんだけど、全然見つからなくってさ。こんなとこに居たんだな」
「ごめん。私もあんたたちのことは気になってはいたんだけど……」
「俺の方こそゴメン、すぐに見つけられなくて。どうしてるかなって心配してたけど、でも、いい縁に恵まれたようで良かったよ。今はあのキーボードの彼女と暮らしているの?」
「うん。シオンと息子のハリーと三人で。狭いアパートだけど、毎日充実してる」
「そっか」
ハルは満足そうに頷くと、今度は自分の近況を話した。
「あの後、俺達は名前もズバリ但馬波瑠って人を見つけてさ、きっと大将と関係あると思うんだけど、その人のところでお世話になってるんだよ。ブリジットも耳長のリーダーもそこにいるから、良かったら君もこっちに合流しないか? そこなら住む場所もお金も心配しなくて良い」
するとアンナは少し躊躇するように間をおいてから、
「……ゴメン。私はこっちに残ろうかと思う」
「そうなの? まあ、本物の大将が見つかるまでは好きにしてていいけど。それじゃ、旅立ちの時が来たらまた迎えに来るから、連絡先を教えてくれないか」
「ううん、そうじゃなくって。私はもうお母さんのいる日本には戻らず、この街で暮らしていこうかと思ってるんだ……」
それはどういう意味だろうか? ハルがアンナの真意を読み取れずに困惑してると、彼女は水面を見ながら淡々とした口調で話し始めた。
「……知ってると思うけど、私は子供の頃アスタクス方伯の庇護の下、ビテュニアの宮殿に住んでたの。お母さんが居なくなった後も、おじいちゃんが面倒見てくれて、何不自由無い暮らしをしていたんだけど……でも宮殿にはお父さんとお母さんの悪口を言う人がいっぱいいてね、おじいちゃんの目を盗んで嫌がらせをしてきたの。私はそれが嫌で宮殿を飛び出し、魔王を倒した後も国には帰らなかったわ。
でもそれって単に宮殿に戻りたくなかっただけで、特に何がしたいってわけでもなかったのよ。お母さんと一緒に日本に行ったのはいいけれど、あっちで私は何もすることがなくって、いつも毎日ぼーっとしてた。お母さんは医者として、アトラスはみんなのお父さんとして、みんな頑張ってたけど、私には何もなかった。結局、私はあそこにも居場所が無かったのよ。
でもね、この街に来て私はやりたいことを見つけたの。ここには自分が今まで知らなかった、まったく新しい音楽があって、私はそこに自分が本当にやりたいものを見つけた。
最初は分からないことだらけだったけど、でも分からないってことが嬉しくて、一つ一つ攻略して、毎日が充実してて、どんどん新しいものが身についていって、そしてこの街のみんなもそんな私のことを受け入れてくれた。日本では何もやることがなかった私にも、ここではやることが出来たのよ。
だから、私はこのままこの街で音楽を続けたい。シオンと二人で、この街の人達に伝えたい、そんな音楽を作りたいって、今は思ってるんだ」
アンナは一度もこっちを見ること無く、どこか罪悪感にも似たような横顔で、じっと水面を見つめたままそんな言葉を口にした。あの日本で再会したときから、ずっと彼女はイライラしているような感じがしていた。それは父への反発ではなく、この苛立ちをずっと胸の内に抱えていたからだったのだろう。
言ってしまえば、それは年相応の女の子の悩みなのかも知れないけれども、だからこそ彼女の歳では抗うことが難しい。例えるなら、鳥が羽ばたくにはまず自分の世界を破壊しなければならない。彼女は今その殻を破ろうとしているのだ。
ハルはそんな娘の言葉を聞きながら、もしかしてこれが巣立ちの時というやつなのかもなと、そんな風に思った。
「そっか……」
彼は彼女の横に並ぶと、同じように欄干に肘を乗っけて頬杖をついて、水面を見つめながら話し始めた。
「実は最近、その但馬さんとこでスカウトみたいなことやっててさ。今日は最近話題になってるアーティストが居るって噂を聞いて、こっそり視察に来たんだよ。そしたらアンナちゃんだったから驚いた」
「……そうなんだ」
「びっくりしたのはそれだけじゃなくってさ、その演奏もロディーナ大陸にいた時や、船の上でセッションした時とかなり違ってて、何ていうか……凄い本気なんだろうなって、さっきの演奏聞いてそう思ったよ。きっと君はこの街に来たことで、かなりいい影響を受けたんだろう。それは絶対、日本に居たままじゃ得られない体験だったんだ。今後どうなっていくかは分からないけど、君がこのままここに残りたいって言うんなら、俺としては賛成したいと思ってる」
「本当……?」
「ああ。君のことを応援するよ」
ハルは頷くと、頬杖をついたまま彼女の方を振り向いて、
「でも、旅立つ時には挨拶くらいはしたいから、やっぱり連絡先は教えておいてくれ。それから、お母さんには俺から事情を話しておくけど、落ち着いたらちゃんと自分の口で説明した方が良いと思う。そういうことも考えておいてくれ」
「うん」
その後二人は特に語ることもなく、並んでじっと川の流れを見つめていた。人もこの川の流れのように、いつかはどこかへ流れていかなければならない。彼女にもついにその時が来たんだなと、ハルはキラキラ光る水面を見ながらそう思った。
***
翌朝、ハルは但馬のオフィスへ行くと、有望な新人を見つけたとして、昨日撮っておいたライブの映像を共有フォルダにアップロードした。オーナーから預かったアンナたちのデモテープも置いておいたら、出社してきたプロダクションの人々にもかなり好評だった。
ハルはその後、清掃業務のために事務所を出たので、但馬の反応は見られなかったが……その但馬は午後になって重役出勤してくると、一通りの仕事を片付けた後で、話題となっているその映像に目を通した。
彼は最初のうちは退屈そうに頬杖をついてそれを眺めていたが……そのうち、何かに気づいたように驚いた表情をしてみせると、慌てるように動画を巻き戻して何度も確認しはじめた。それは彼女らのパフォーマンスが素晴らしかったというわけではなさそうで……
「よし! ブリジットのデビュー曲が決まったぞ!」
彼は事務所のみんなにも聞こえるように大声でそう言うと、何故かほくそ笑むようないやらしい笑みを浮かべるのだった。






