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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
グレートジャーニー(玉葱とクラリオン after story)
410/418

NY探訪編⑫

「1・2・3・4! 5・6・7・8!」


 今日もトレーナーの手拍子に合わせてブリジットはダンスレッスンに明け暮れていた。額から汗が飛び散って、それが照明に当たってキラキラ輝く。もう何時間、こうして踊り続けているだろうか。彼女の息は上がり、トレーナーが叩く手も怠そうだ。


 それもこれも年明けのデビューを成功させるためだが、いくら続けていても彼女の不安が消えることはなかった。トレーナーに言わせればもう彼女の動きは完成され尽くしていて改善の余地はなく、後はデビューを待つばかりなのだが、じっとしていることが出来ないのだ。


 既にCMが決まりテレビにイベントに引っ張りだこで、街は彼女のポスターで溢れかえっているというのに、何がそんなに不安なのだろうか? 彼女にもそれは分からなかったが、ただ胸の中になにかぽっかり穴が開いているような、そんな気がした。だからこうして1ヶ月以上も苦しいレッスンを続けているのだが……


 1ヶ月? ブリジットは首を傾げた。自分たちはクリスマスイブにこの地へやって来たはずだった。教会のミサに参加したからよく覚えている。まだ年は明けてないのだから、あれから1週間も経ってないはずだが、どうして1ヶ月も続けているなんて思っているのだろうか。


 それだけ疲れているということかな? そんなことを考えてると、プロデューサーの但馬がレッスン場へ入ってきた。


「ブリジット! 精が出るな」

「はい! 但馬さん、ありがとうございます!」


 但馬はこのニューヨークで知り合った敏腕音楽プロデューサーで、ブリジットの才能を見出してくれた恩人だった。路頭に迷っていた彼らの面倒も見てくれている、その恩に報いるためにも、何が何でもデビューを成功させなければと彼女は気合を入れていた。彼はそんなブリジットのおっぱいをデレデレ見ながら、


「まあ、楽にしてくれたまえ。今日は君にオーディション番組の話を持ってきたぞ」

「テレビのオーディションですか?」

「いや、番組に出るためのオーディションじゃない。オーディション番組だ」


 聞くところによれば、今アメリカでは素人による勝ち抜き戦のオーディション番組が流行しているらしい。まだプロデビューしていないアーティストたちが集まってパフォーマンスを競い合い、そこで審査員に気に入られたら、晴れて全米デビューが約束されるという、アマチュアの登竜門のような番組だそうである。


「幸い、君はまだデビュー前で、番組の参加資格がある。しかも既にパフォーマンスは完成されていて、成功は間違いない。ここで目立てば一躍スターの仲間入りだぞ!」

「本当ですか、凄い!」


 ブリジットはついに念願かなってデビューが決まったと小躍りしている。但馬はそんな彼女の揺れるおっぱいを目で追いながら、


「本当に凄いぞ、こんなに期待ができるアーティストを抱えたのは初めてだ。君には期待しているぞ」

「はい! 私、頑張ります!!」


 ブリジットは元気いっぱい返事をすると、またレッスンへ戻っていった。気合が入る彼女に対し、トレーナーの方はまだやるの? と、いかにも怠そうにしている。但馬はそんなブリジットの姿をおたふくみたいに目を細めて眺めながら、オーディション番組で披露する楽曲のことを考え始めた。


 確かにブリジットのスター性は素晴らしく、彼女のダンスが観客や審査員たちを魅了するのも間違いないだろう。ただ彼女には1つだけ欠点があり、歌に関してはまるで壊滅的だった。


 どうせ口パクするから問題ないと思っていたが、そうやって避けてきたせいか、実はまだ彼女のための楽曲は用意していなかった。オーディション番組の前に、彼女を売り出すための優れた楽曲を用意しなければ。彼はスカウトや知り合いのアーティストたちを頼って、彼女のデビュー曲を探し始めた。


***


 地上100メートルのゴンドラの上で、二人の男たちがビルの窓をせっせと拭いていた。不安定な足場は風が吹く度にグラグラ揺れたが、どんなに激しく揺れても二人はちょっと手を止めるくらいで、特に気にする様子もなかった。ビルの中にはそんな二人を指さしながら、馬鹿にするような目つきで通り過ぎるサラリーマンの姿が見えた。でももうそんな屈辱にも慣れてしまった。二人は何事もなかったように洗浄液を窓に吹きかけると、手際よく窓を拭いて次のフロアへと下りていった。


 ハルと耳長リーダーの二人は高層ビルの窓拭きを終えると、日当を貰って近くのラーメン屋へと向かった。この耳長族は最近ラーメンにはまっているらしく、仕事終わりにこうしてよく誘われるのだ。彼の故郷にはこんなに滋味の深い料理はなかったらしく、それを一口食べただけで気に入り、


「この間食べたカレーもそうだが、おまえの国は本当にグレートだ」


 と尊敬の眼差しを向けてきた。


 いや、ラーメンもカレーも元々は日本料理じゃないのだが……しかしオリジナルの原型ももはや留めていないから説明が難しく、そうだねと適当に相槌しておいた。


 故郷と言えば、日本にはもう何年も帰っていない。東京はこのニューヨークにも引けを取らない大都市で、今ごろは表参道のイルミネーションが綺麗な頃だが、相変わらず渋谷は人でごった返しているのだろうか。


 そんな懐かしい光景を思い出していると、ふと脳裏にジャングルみたいな森が過った。大都会と原生林が重なって見える。何故か最近、日本のどこかでそんな景色を見たような気がする……なんでそう思うんだろう? と考えていたら、いつの間にか丼の中身が無くなっていた。せっかくのご馳走なのに、味が全然しなかった。


 この街の物価は殺人的で、たったラーメン一杯で今日の日当が吹き飛んでしまった。それでも食べる価値があるんだと力説するリーダーは、今度はフードデリバリーだと言って自転車用ヘルメットの紐を締めていた。まったく、働き者のエルフである。


「そういうお前だって、このあと本社に呼ばれてるんだろ」

「まあね」

「いいなあ。あっちは金払いもいいし、俺もあやかりたいもんだよ」


 彼はそう言いながら自転車に跨って颯爽と去っていった。


 あのクリスマスのチャリティーイベントの後、ブリジットがプロダクションに所属した縁もあって、ハルたちもまた但馬の世話になっていた。根無し草だった彼らは、但馬の事務所の関連企業に雇用してもらい、その寮で暮らしつつ、ビルの清掃をしたり、ライブイベントの設営などをして過ごしていた。


 元々器用だったハルはそこで頭角を表し、最近では本社(プロダクション)の仕事も任されるようになっていた。所属タレントの使い走りやファンの誘導などが主な仕事だったが、たまに事務職の手伝いや、今はスカウトの真似事なんかもやらされていた。


 スカウトとは、要は飛び込み営業みたいなもので、ニューヨーク中のライブハウスを回って、もし才能ある若者を見つけたら事務所に報告しろ、という仕事である。自分以外にもスカウトはいるし、ノルマがあるわけでもないのだが、推薦したタレントが事務所と契約まで行けばボーナスが貰えるらしいから、割と気合を入れてあちこち回っている。


 とはいえ、才能がある若者はだいたい既にどこかに目を付けられているし、焦って力不足のタレントを推薦したら信用を無くしてしまうのでなかなか難しい。最近はブロードウェイの周りを回っていたが、残念ながらめぼしい才能は見つからず、今日はハーレム地区まで足を運ぼうかと考えていた。


「王様、王様、王様ー!!」


 そんなわけで地下鉄駅へ向かっていると、背後から声を掛けられた。最初は、自分が呼ばれているとは思わず無視してしまったが、よく聞けば聞き覚えがある声に振り返ると、遠くの方から獣人のエルフが駆けてきた。


「やあ、エルフちゃんじゃないか。なんか随分久しぶりの気もするが……元気だった? あと、その呼び方いい加減やめてくれないかな。ここだと誤解を生みそうだから」

「王様、大変なの!」

「聞いちゃいねぇ……」


 溜め息をついているハルの前で、エルフはハアハアと呼吸を整えると切羽詰まった感じに、


「あのね、リオンくんが居なくなっちゃったんだよ!」

「リオンが……?」


 そういえば、彼とも長らく会っていなかった。確か彼はこの街のことを調べると言って、自分たちとは別行動を取っていたはずだが……


「二人で図書館にいたんだけど、ウトウトしてたらいつの間にか居なくなっちゃってて、トイレだと思ってずっと待ってたんだけど、図書館が閉まっても帰ってこなかったの。教会に戻っても神父さんは帰ってきてないって言うし、それからずっと街中を探してるんだけど、どこにもリオンくんが居ないんだよ!」


 彼女はそう言うと目に涙をいっぱいに溜めながら、


「私、捨てられちゃったのかなあ……」


 と言ってしくしく泣き出した。通行人の冷たい視線が突き刺さる。ハルは慌てて彼女にハンカチを差し出しながら、


「わあ! 泣かないで! リオンが君を捨ててどこかに行ったりするわけないだろ。なにか事情があるんだよ、きっと」


 彼女はハンカチを受け取ると、チーンと鼻をかみながら、


「うん……」

「しかし何かあったのは間違いないな。あいつはしっかりしてるから一人でも大丈夫だと思うけど、一応、警察にも届けておいたほうが良いだろう」


 尤も、ここの警察が失踪者をまともに探してくれるとは思えなかったが……それは不安がっている少女に言うべきことじゃないだろう。彼はその言葉を飲み込むと、彼女を落ち着かせるために一緒に警察署へと向かった。


 警察署へ行って事情を話すと、一応ちゃんと受理はしてくれた。もしも彼を見つけたら教会に連絡してくれるそうだが、あまり期待は出来ないだろう。その後エルフは、またリオンを探すと行って街のどこかへと駆けていった。


 ハルは自分の方でも探してみると請け合い、ブリジットとリーダーにも連絡して情報共有しておいたが、しかし探すと行ってもどこを探せば良いのやら、皆目見当がつかなかった。失踪前、彼が何をしていたのかが分からなければ手のつけようもないだろう。


 そう言えば、彼はこの街を調べるために、自分たちとは別行動を取っていたのだ。不思議なのだが、自分たちと違って彼は最後までこの街に不審を抱いていた。こんなに快適な街なのに、何が気に入らなかったのだろうか……?


「快適……?」


 何と比べて快適だったんだっけ? 何かと言えば、それは自分の以前の暮らしと比べてだろうが、そういえば自分はどこからこの街へとやって来たんだったか。そうだそうだ、耳長リーダーも言っていたように、ラーメンの国日本からやって来たのだった。でも本当にそうだったろうか? もっと違う場所じゃなかったか?


 そんなことを考えていたら、何故だか急に胸のあたりがソワソワしてきた。別に激しい運動をしていたわけじゃないのに息が苦しくなり、動悸に目眩を感じて気分が悪くなってくる。良くわからないが、これ以上このことについて考えていると、取り返しのつかないことが起こりそうな気がした。なんとなく直感がそう囁いて、彼は考えるのをやめた。


 ふと……気がつけば乗っていた地下鉄が減速を始めて駅に到着しそうになっていた。踏ん張っていると降車予定の看板が目に飛び込んできて、列車のドアがプシューッと開いた。考え事に没頭するあまり、途中の記憶が無くなっている。気をつけないと事故を起こすぞと、彼は考えを振り払うように首を振ってホームへ降り立った。


 駅から目的のライブハウスまではすぐのはずだった。今日はそのライブハウスで最近頭角を現してきたと噂のバンドを視察しようとしていたところ、エルフがやって来たのだ。寄り道したせいで開演時間が迫っていたから、ちょっと急がねばならない。


 地上へ出るとそこにはブロードウェイとは違って、古い建物が並ぶ落ち着いた雰囲気の町並みが広がっていた。いかにも上品そうに見えるが、前世紀には犯罪が多発する、世界で最も危険な街と呼ばれていたそうだから分からないものである。


 そんな町並みを、リオンが居ないかと探しながら歩いていくと、ウォールアートで彩られた目的のロックバーが見えてきた。周りには今日の出演者目当てに集まってきた若者たちが屯していたが、とてもリオンがいる雰囲気には見えなかった。


 まあ、思いつきでキョロキョロしてても無駄だろう。とりあえず開演時間まで、中で酒でも飲んでいようか、それとも周囲を探索でもしようか。


 そういえば、失踪といえばリオンの他にも、この街に来たその日にすぐ逸れてしまったアンナがいたはずだ。最初のうちは心配して探していたが、そのうち考えるのも忘れてしまっていたが、彼女の方も元気にしているのだろうか。まあ、あっちはあっちでリオンと違って荒事には慣れているから心配ないと思うのだが……


 本当に心配じゃないのか? そもそもどうして、彼女のことを探さなくなってしまっていたのだろうか。普通に考えればそんなの有り得ないはずなのに……彼女と別れてからもう1ヶ月近くが経過しているはずである。しっかりしてると言ってもまだ10代の子供だ。今ごろ彼女はどこで何をしているのだろうかと、段々不安になってきた時だった。


 と、ハルは視界の片隅に、たった今考えてたその彼女の姿を捉えたような気がした。


 え? っと思ってバーの前に屯する若者たちの中を覗き込んでみたが、どこにも彼女の姿は見つからなかった。


 気のせいだったかな……と思っていると、見られているのに気づいた若者の一人が、何見てんだよとメンチを切ってきたので、彼は慌てて視線を逸らした。


 まあ、彼女の性格上、若者とつるんでこんな場所で屯してたりはしないだろう。彼はそう結論づけると、それ以上考えるのは止めて、若者から逃げるように目的のロックバーへと向かった。


 だが、それは気のせいではなかった。


 彼が店の入口に足を向けると、そのすぐ隣の掲示板には、今日演奏予定のアーティストの写真が飾られていた。そのうちの1つに、なんとアンナの姿が写っていたのだ。


 演奏中の写真でアンプに足を乗っけて、どこか取り憑かれたような目で一心不乱にギターを爪弾いている。ハルシオンというバンドで、出演順からしてかなり人気もありそうだ。


 まさかこんなところで彼女と再会するとは思わず、ハルはこの偶然に驚きながら店のドアをくぐると、まだ営業が始まって間もないフロアで彼女の姿を探した。


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