NY探訪編⑪
「1・2・3・4! 5・6・7・8!」
トレーナーの手拍子に合わせてくるくると回る。ブリジットは今日も全身から汗の滴をしたたらせながら、レッスンに明け暮れていた。
あの日、偽但馬と契約を交わしてアーティストデビューを目指し始めたブリジットは、今では街のあちこちに彼女のポスターが貼られ、テレビにイベントに引っ張りだこだ。そんな彼女のレッスン場に、プロデューサーの偽但馬が入ってきた。
「ブリジット! 精が出るな」
「はい! 但馬さん、ありがとうございます!」
その瞬間までレッスンに集中していたブリジットは、彼が入ってくるなりぱっと気をつけの姿勢をとって挨拶をした。トレーナーも手を叩くのを止めて無言でお辞儀している。偽但馬はそんな二人に軽く手を挙げて挨拶を返しながら、
「いいからいいから、楽にして聞いてくれ。実はさっき会議で決定した極秘事項なんだが……ブリジットのCMが決まったぞ!」
「本当ですか!?」
「本当だとも! グーグルとアップルとフェイスブックとアマゾンとマイクロソフトがスポンサーになってくれるそうだ。年が明ければ君の顔が全世界のあらゆる電波をジャックすることになるぞ!」
「凄い!」
ブリジットは小躍りするようにくるくる回った。偽但馬はそんな彼女の特におっぱいをデレデレした目で追いながら、
「本当に、こんなに凄いアーティストを抱えたのは初めてだ。我が社の命運は君に掛かっている、これからも期待しているぞ!」
「はい! 私、頑張りますッ!!」
***
ブリジットがスターダムにのし上がる一方で、彼女にデビューを勧めたリオンはと言えば、彼女らとは別れてマンハッタン島の調査を地道に続けていた。
何しろ本人と瓜二つなのだから、そのうち尻尾を出すだろうと思っていた偽但馬は、その後も変わることなく音楽プロデューサーの仕事を続けており、ロディーナ大陸のことやリディア王国、アナスタシアや昔の仲間達に言及することは一度もなかった。それはわざと避けているという感じではなく、本当に何も知らないようだった。
となると最初の直感通り、彼は但馬にそっくりな赤の他人で間違いないようだ。だが、それにしたって似すぎているから切り捨てるわけにもいかず、ブリジットにそのまま所属タレントとして見張って貰ってる間に、リオンは別行動してこの島の秘密を探ろうと動き出した。
そして教会を拠点に街を探索し始めたところ、異変はすぐに見つかった。
調査を始めてまず気になったのは、川の向こう岸がどうなっているかということだった。この島に不時着する前、自分たちは無人の荒野の上を飛行していたはずだった。それが気がつけば、いつの間にか人で埋め尽くされたメガロポリスの上を飛んでいて、大都会は川の向こうの地平線のずっと先まで続いていたのだ。
これがどこまで続いているのかと考えるのは自然だろう。そう思って川の対岸に渡ろうと思ったのだが、まるで上手く行かないのだ。
何がと言えば、順に説明した方が手っ取り早いだろうか。リオンはまず川の向こうに渡る橋を探したのだが、これが全然見つからなかった。これだけの大都会なら、少なくとも数100メートル置きには有りそうなものだが、歩いても歩いても見つからない。ならばと思ってフェリー乗り場を探してもみたがこれも見つからず、唯一見つかったブルックリン橋は何故かいつも通行止めにされていて、対岸へ渡らせてもらえないのだ。
もちろん地下鉄も試してみた。この街に来る切っ掛けとなったA列車に乗ってブルックリンを目指したのだが、ところが何が起きているのやら、乗っていたらいつの間にか元の駅に戻ってきてしまったのだ。環状線だったっけと路線図を確かめてみたが、そんなはずもなく、列車はちゃんとブルックリン区の駅に停車するようになっていた。なのに絶対たどり着けないのだ。
物理的にこんな現象は有りえないから、こうなってくると何らかの魔法が働いている考えるのが良さそうだが、しかし問題はこの街にはマナが存在しないということだった。
この街の上空を飛んでいた時、突然、耳長族の杖が機能しなくなって、ブリジットがそれはマナが無いせいだと言っていた。リオンはマナの気配とやらが分からないが、実際に杖が機能しないからにはマナは存在していないのだろう。
そして杖が機能しないということは、グライダーを使ってこの街から脱出することも出来ないわけで、つまりリオンたちは全員この街に閉じ込められている状態だった。
それでも焦りを感じないのは、この街のセーフティーネットが思った以上に強力なお陰だろうか。リオンはブリジットたちとは別行動をしているわけだが、偽但馬の世話にならずとも教会にいれば住むには困らなかったし、なんならこの街にはフードバンクというシステムが存在するので餓死することもなさそうだった。
そして何より驚きなのは、スマホの存在だ。どこへ行っても街の人々が操作しているのを見かけるから、あれはなんだ? と思っていたが、実際に手に入れてみて目玉が飛び出そうになった。この手のひらに収まるくらい小さな機械は、これだけで世界樹の遺跡が丸ごと入っているような凄いものだったのだ。
スマホにはAIが搭載されていて、音声入力で何でも答えてくれる。たとえ道に迷ったとしてもすぐに地図を表示してくれるし、例えば花の写真を撮ったらなんという名前の花かを瞬時に教えてくれる。お金が欲しいと思えば、アプリを登録すればいつでも入れるアルバイトが見つかり、ボタン一つで欲しい商品が届いてしまう。
ところで、こうしてスマホを弄っている時に気づいたのだが、奇妙なことがいくつかあった。
街にはあらゆる娯楽の他に、マーケットもあって、潤沢な商品が供給され続けている。一体、これだけの経済をどうやって生み出しているのか謎だったが、AIに聞いても答えてくれない。それでも突っ込んで調べていくと、どうもここには街はあるが、政府は存在しないようなのだ。
どういうことかと言えば、この街に住んでいる住人は、みんな自分たちがアメリカ合衆国の国民だと答え、首都はワシントンDCにあると認識しているようなのだが、そのワシントンDCはどこにあるのかと尋ねると、みんな曖昧にしか答えられないのだ。スマホで確認すれば世界地図はちゃんと表示されるのに、彼らは地理を調べようともしない。ただ、首都はどこかにあるさと答えるだけで、一向に気にしていないようなのだ。
一度そうやって違和感に気づいたら、この曖昧さは国や地理だけではなく、実は時間に関しても曖昧だと分かった。自分たちがこの街に辿り着いた日は、確かクリスマスイブだったはずだが、あれから1ヶ月以上経過した今も、何故かまだ年が明けていないのだ。
街は未だにクリスマスムードで、ダンスレッスンに明け暮れているブリジットは、年明けのアーティストデビューに向けて余念がない。既に仕事をいくつもこなして、街には彼女のポスターが貼られているのに、何故か彼女はいつまで経っても、来年のデビューを目指しているのだ。
その点について話し合ってみたこともあったが、彼女はすぐにその違和感に気づいて、もう流されないように気をつけると言うのだが、翌日にはもう忘れて同じことを繰り返している。
実を言うとリオンも同じように、自分がいま何をしているのか、どうしてこの街を訪れたのかを忘れそうになることがあるから、どうもこの街には人間の精神に作用する変な力が働いているようだ。
精神面に一番変調を来しているのはエルフで、彼女はここへ来てからずっと借りてきた猫みたいに大人しくなっていた。今までのことを考えれば一番はしゃぎそうなものなのに、彼女はいつまで経ってもこの街の雰囲気に慣れず、いつもリオンの背後に隠れるようについてきた。やたら眠いようで、いつもウトウトしていて、気づけばどこでも横になって寝てしまう。起きている時もずっとぼーっとしていて、まるで赤ん坊に戻ってしまったかのようだった。
思えば、耳長族のリーダーと突然話が通じるようになったのも謎である。自分たちは今、どんな言語で会話をしているのか、自分でもよく分かっていないのだ。そんなことが有り得るだろうか?
このままでは自分もいつかこの街の魔力に絡め取られてしまうかも知れない……リオンは危機感を抱いていたが、しかしいつまで経っても但馬の行方はおろか、街から抜け出す方法すら見つからずにいた。
***
そんな感じで何もわからないまま、今日もリオンはエルフと二人で近所の図書館へと調べ物にやって来ていた。文献を当たったところで何か分かるとも思えなかったが、既に散々AIに質問した後では、他にやることも見つからなかったのだ。
因みにこれまでに分かったことはと言えば、自分たちはこの街から出られないこと、但馬と偽但馬はどうやら別人らしいこと、そして世界樹がどこにも存在しないことくらいだろうか。
欧州の世界樹で但馬が語った歴史が本当なら、この近辺に世界樹があることは間違いないはずだ。そして彼は北米の世界樹のAIであるプロメテウスに呼ばれて消えてしまったのだから、彼がこの街のどこかにいることも間違いないだろう。だが、あれから街中を探し回ってみたが、世界樹はどこにも見つからなかった。
一番可能性が高そうなセントラル・パークの中にはもちろん、もしかして高層ビルに擬態しているのではないかと思って片っ端から訪問してもみたが、どこにも不審な点は見つからなかった。
となると川の向こう岸が怪しいわけだが、渡れないから調べようもなかった。だが、リオンは多分川の向こうにも世界樹はないんじゃないかと思っていた。というのも、ブリジットが言うように、この街にはマナが存在しないからだ。
もしも世界樹があるならマナが存在しなければおかしい。そしてマナが存在するならブリジットが気づかないわけがない。仮に彼女が気づかなくても、耳長族の杖は使えるはずだ。それが使えないのであれば、やはりないと結論するのが妥当だろう。
しかし、それもおかしな話なのだ。今まで旅してきた中で、マナが薄い場所はあっても、全く存在しない場所はどこにもなかった。マナの再生産に必要な高木が存在しない、大洋のど真ん中でさえあるのに、この街に存在しないのは明らかに変だ。
つまり、ここにはマナが存在できない理由があるのだ。それが何かはわからないが、推測するくらいは出来る。マナが存在しないなら、それは魔法ではなく、科学の仕業なんじゃないか?
ついさっき、精神面に作用することや不可解な現象について魔法を疑ったばかりで、撤回するのは早すぎる気もするが、つまるところ魔法とは高度に発達した科学なのだ。
元々、マナというものは、但馬が生きていた古代の世界で科学者が作り出した、ナノマシンのことだった。そして但馬の正体は、人工衛星・天空のリリィに保存された遺伝子データ、つまり情報であり、彼の体はそれを元にティレニアの四賢者が無理やり作り出したクローンなのだ。
実を言えばその体は不安定で、うっかりするとバラバラになる可能性があった。それで魔法を使わないよう制限されていたのだが……逆に言えば、だから彼の体は世界樹を通じて転送できたとも考えられる。
プロメテウスは欧州の世界樹の中で但馬の遺伝子データをスキャンし、その情報だけを北米の世界樹へと転送した。そしてこちらで彼の体を再生したと考えれば、彼が欧州の世界樹で消えてしまった理由にもなる。というか恐らく、そうとしか考えられない。
ところで遺伝子とは生物固有のもので、但馬と同じようにリオンたちにもそれぞれ遺伝子が存在する。つまり、自分たちも彼と同じようにデータ化することが出来、もしプロメテウスが自分たちも但馬と同じ場所に転送しようと考えたなら?
プロメテウスの目的を思い出そう。彼はかつてこの地に存在した北米の王に、人類にとって快適な街を作り上げるよう命じられたAIだった。それが出来たから、古代人である但馬にその判定をして欲しいと願い、彼をこの地へ転送した。
その通り、この街は快適だ。人々は陽気で様々な娯楽に溢れ、スマホを使ってAIのサポートを受けられ、食べるにも住むにも困らない。唯一の欠点と言えば、街から出られないことだが……ところでもしそれは欠点ではなく、仕様だとしたら?
もう一度言う。この街は確かに快適だ。しかし、こんな街、本当に現実に存在するのだろうか?
この街の人々は、外の世界が滅びていることに気づいていない。街の外には今も自分たちの国が存在していて、そこにはちゃんと首都も存在すると思っている。でも、その場所はどこか知らない。これだけのテクノロジーを持っているくせに、外に出ていこうとしないし、こちらの話を真面目に聞いてもくれない。AIも都合が悪いことは分かりませんと返してくる。当たり前だ。この街の外に、彼らの思ってるような世界は存在しないのだから。
以上のことから推察するに、この街はまやかしだ。何故かは分からないが、自分たちはいつの間にか夢を見させられているのだろう。あのクリスマスイブよりも前に、どこかで、恐らく空を飛んでる最中か、キャンプ中かに、現実と虚構が入れ替わったのだ。
もしそうだとしたら、これは誰の夢なのだろうか? 考えうる一番の候補はやはり但馬だが……しかし、この街に彼は存在しない。
それは何故?
「あれ、いつの間に閉館時間に……エルフちゃん?」
気がつけばリオンは薄暗闇の中に座っていた。周囲を見渡せば、いつの間にか図書館は閉館を迎え、利用客も職員もみんな居なくなっていた。ずっとここで本を読んでいたのに、どうして誰も声を掛けてくれなかったんだろうか。慌てて周囲を見渡せば、一緒にいるはずのエルフの姿も見当たらなかった。
子供じゃないから一人でどこかへ行っても心配ないのだが、今の彼女は精彩を欠いている。どこかで寝落ちしてはいないだろうかと、薄暗い図書館のフロアを探し回った。
静まり返った図書館はまるで迷宮のようだった。本棚が壁のように立ちふさがり、視線を遮ってしまう。一つ一つの通路を確認しながら歩いていくと、やがて彼は全ての通路を見終えて非常階段のところまで来てしまった。玄関が閉じている以上、ここから外に出るしかないが、まだエルフの姿が見つかってないのに帰ってしまってもいいのだろうか……
非常階段を示す赤い誘導灯が周辺を不気味に照らしている。その黄昏時のような色合いが早く帰れと言っているようで、なんとも居心地が悪かった。
と、非常階段を覗き込めば、上階の方から明かりが漏れてくるのに気づいた。外に出るなら下へおりる必要があるが、上には何があるのだろうか。もしかしたら、まだ職員が残っているかも知れないし、ちょっと行って聞いてみよう。彼はそう思って非常階段へと足を踏み入れた。
通常、この手のビルの階段は中階にある踊り場をUターンし、一つ上の階へ向かうのが一般的だ。しかしこの非常階段は踊り場を過ぎると、またその先も中階に繋がっていた。あれ? おかしいぞ……と思いもしたが、中にはそういう作りの建物もあるから気にせず通り過ぎたら、またその先にも踊り場が待ち構えていた。
図書館は別段変わった建物ではなく、特に1フロアが高いという印象はなかった。なのにこの作りはおかしいと思いながら連続する中階をいくつもいくつも通り過ぎていくと、上階から差し込む光がだんだんと強くなってきた。
この先に進むのは、なんだか嫌な予感がする……しかし、この先に何があるのか、調べなければ後悔するのも目に見えていた。リオンは勇気を振り絞って、警戒しながら一歩一歩階段を上り続けた。
そうしていくつかの踊り場を通り過ぎた後、不意に目の前に、今までとは比べ物にならないくらい長い階段が現れ、その先から眩い光が差し込んできた。その光の中に何かが浮かんでいるのだが、逆光のせいで輪郭がぼやけてよく見えない。周辺は強い光で光沢を放っており、まるで天国へ続く階段みたいにキラキラしていた。
その階段を、光に歯向かいながら進んでいくと、徐々に輪郭がくっきりしてきた。さっき光の中に浮かんで見えたのは、それは人間のシルエットだった。光の中に、誰か見知らぬ人が立っている。いや……宙に浮いている?
それは天井から吊り下げられたロープに首を括られた縊死体だった。階段の先に、見知らぬ女性の首吊り死体がぶらぶらと風に揺れている。その瞳はこの世の全てを呪うかのようにカッと見開かれ、リオンのことを睨みつけていた。
これはどういうことだろうか? あれは誰の死体なのだ? 唐突過ぎる不可解現象に戸惑っていると、その時、彼は背筋にブルブルと悪寒が走るような気配を感じ、慌てて振り返れば、いま上ってきたはずの階段が消えて、すぐ背後に暗闇が迫ってきていた。
暗闇は、まるで巨大な魚が口を開けて突き進むように、階段を飲み込みながらどんどん彼の方へと近づいてくる。あまりの出来事に呆けてしまい、まずいと思ったときにはもう手遅れで、間もなく彼の立っている階段が闇に飲み込まれると、彼は重力を失い、奈落の底へと落っこちていった。






