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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
グレートジャーニー(玉葱とクラリオン after story)
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NY探訪編⑨

 アンナがシオンの家に転がり込んでから数日が過ぎた。あれから二人は毎晩、眠くなるまで曲作りに勤しんでいた。アンナがギターを爪弾きメロディーを口ずさむのを、シオンがキーボードで譜面に起こしてアレンジしていく。アンナには良くわからなかったが、シオンはDTMとかいう不思議な箱で、キーボードから色んな音色を出してみせたり、それを組み合わせて音楽作りをしていた。


 一度触らせてもらったが、何がなんだかわけが分からず、壊してしまいそうだったのでそれ以来近づかないようにしていた。シオンはそんなアンナのことを笑って見ていた。話によればその音色には全部電気を使っているらしく、あのジミー・ペイジも実はエレキギターとかいう電気の楽器を使っていたらしい。


 ところでアンナがあの時の衝撃が忘れられず、食事の時よく話題にしていたら、ある時シオンからジミヘンは見たのかと言われた。分からないので首を振ると、ギターの神様と呼ばれてるような人だから是非見ておけと、例のDTMを使って映像を見せてくれた。


 その演奏たるや……なんと表現すればいいのだろうか。アンナはあまりにも凄すぎて息をするのも忘れてしまった。その指先から紡ぎ出されるメロディーは、とても自分と同じ楽器を使っているとは思えなかった。体にまとわりつくようなねっとりとしたギターは、まるで実態を伴っているかのように響いてきた。


 ジミーというのは人の名前じゃなくて称号なのではないかと真剣に議論していると、それを面白がったシオンが他にもあるよと色々見せてくれた。ビートルズにクイーンにガンズ・アンド・ローゼズ、ニルヴァーナ、オアシス、レッド・ツェッペリンはもちろん、エルビス・プレスリー、そしてマイケル・ジャクソン。次々出てくるスターを前に、アンナはいつしか言葉を失っていた。


 自分もロディーナ大陸ではそこそこ名の知れた音楽家のつもりだった。だが、それはごく狭い世界での話に過ぎなかったのだ。


 世界はこんなにも広かった。まだ知らない音楽が、ここでは探せばいくらでも見つかるのだ。


 子供の頃、和音(コード)とは一つ飛ばしの音階のことだと教えられた。ドレミファソラシの音階の中で、ドミソやレファラの組み合わせは心地良く聞こえるが、ドレミやソラシのような続き音は凄く耳障りで気持ち悪い。


 それは神様が人間をそういう風にお作りになられたからであり、つまり一つ飛ばしの音階は、神によってプログラムされた(コード)であると神学では考えられてきた。だから教会では讃美歌が重要視され、スコラ学では音楽もリベラルアーツに加えられたのだ。


 しかし17世紀になるとその神の法則を乱すコードが多用されるようになった。いわゆるセブンスコードである。


 セブンスコードも考え方は同じで一つ飛ばしの音階だが、3つ重ねるか4つ重ねるかの違いがある。だが、7つしかない音階を一つ飛ばしで4つ重ねればどうなるかはお分かりだろう。例えばドミソシという音階を作ったとしたら、低音のドと高音のシが1オクターブ先で繋がってしまう。この場合でもやはり不協和音が生まれるから、それは悪魔の音であると神学者は忌み嫌った。


 ところが音楽家たちはこのコードが生み出す緊張(ドミナント)が、曲の進行上では非常に有益であると実体験として気づいていた。だから教会に逆らうこととは分かっていても、こっそり宮廷音楽などで使われ始め、論争はそのうちなし崩しになってしまった。


 いつだって新しいものが生まれるときには破壊がつきものなのである。アンナも新しい音楽に触れた今、常識という殻を打ち破って外に出ていかなければならないという焦りを感じていた。


***


 シオンとの曲作りは最初夜に始まったが、一晩中ズンドコズンドコやってりゃそりゃ苦情も来るというもので、暫くすると昼間にやるように変わっていった。


 彼女は仕事の関係上、いつもは朝に寝て夕方頃に起きる生活をしていたが、半日ずらして昼頃起きるようになり、朝食兼昼食を済ませたら二人で曲作りを始めるといった感じだ。しかしこのルーティーンだと、ちょうど興に乗って来たところで出勤時間が来てしまうから、なんとも消化不良な毎日が続いていた。


 お金を稼がなければ家賃を払えないという彼女が慌ただしく出ていくのを見送ったあと、アンナはギターを持って一人公園まで出かけていくのが日課となっていた。


 この街に初めて来た時、グライダーで降り立ったあの公園であるが、そこはセントラルパークといって、マンハッタンで一番広い街の象徴みたいな場所だった。特にイベントがなくてもいつも人で賑わっており、この寒いのに日光浴をする人までいるほどだった。


 そんな場所にいきなり降りたわけだから、きっと相当目立っていただろうが、その後ブリジットたちを探して聞き込みをしてみたところ、通行人たちは誰もその時のことを知らなかった。


 そりゃ同じ人が常にこの公園をうろついているとは思わないが、それにしたって誰一人として目撃者が見つからないのは不思議でしょうがなかった。せめてグライダーの行方だけでも分からないかと粘ってみたが、彼らがその後どこへ行ったのか、足取りはまったく掴めなかった。こうなってくると何か不思議な力が働いているとしか思えなかったが、それが何か分からない以上、動きようもなかった。


 まあ、あっちは人数も多いし、そのうち見つけてくれるだろう。アンナはそれ以上考えないことにしてギターを握った。


 レッド・ツェッペリンのライブを見てしまってから、あの時のギターが頭から離れず、彼女は自分を変えようと、ずっともがき続けていた。今までの、正確さだけを追求した教科書みたいな演奏ではなく、もっと見せるための、そして乗るためのロックを、思い出しながら繰り返し何度も何度も練習した。ジミヘンも彼女のお手本だった。というか彼女より上手い人はいくらでもいた。探せば曲作りの参考になるような動画がいくらでもあって、この街は彼女みたいな音楽家にとっては画期的な場所だった。


 彼女は今日も公園までやって来るとベンチに腰掛け、あの時のライブを思い出しながらひたすらギターを掻き鳴らした。最近は、そんな彼女の演奏に立ち止まる人もちらほら見られるようになったが、それでもお捻りを投げてくれる人は未だ皆無だった。そう考えると自分の演奏はまだまだなのだ。もっと人の心に響くようなギターが弾けるようになりたい。自然と練習にも熱が籠もった。


 そうして練習に没頭しているうちにいつの間にか周囲は暗くなり、気がつけば人通りも無くなっていた。彼女はギターをケースにしまうと公園を出て家とは逆の方へと歩き出した。帰ったところでどうせシオンはいないし、練習を続けるなら人通りが多い繁華街に行ったほうがいいと思ったのだ。


 その前に腹ごしらえでもしようと思ったのだが、看板のメニューを一目見ただけで食欲を失ってしまった。値段が高すぎるのだ。大道芸で稼いだお金をまだ持っていたが、数回食事をしただけですっからかんになってしまう計算だ。おまけにこの街では従業員にチップを渡す風習があるらしくて、その相場も意味が分からないくらい高かった。だったらもう家で食べたほうがずっとマシだと思うくらいだ。


 というか、この街は食料を無償で配ってるくせに、ちょっと外食しようとするだけで有り得ないくらい暴利を毟り取られるのは何故なんだろうか。


 洋服を毎日取っ替え引っ替え捨てる人もいれば、ボロを纏った路上生活者もいる。華やかな観光地のすぐ裏には、日陰を歩く人々がいる。本当にわけが分からなかった。


 賑やかな街を歩いていたら、アンナはなんだか気が滅入ってきた。もうちょっと練習を続けたかったが、こんなクサクサした気分では身も入らないだろう。彼女はそう思って、やはり家に帰ろうと来た道を引き返し始めた。


 と、その時だった。キラキラと点滅するネオンサインの下にシオンの姿を見つけて、彼女はおやっと立ち止まった。すぐに声を掛けなかったのは、彼女が家を出たときとは違う服を着ていたからだ。


 彼女はやけにけばけばしい格好に着替えて、通行人を値踏みするような目つきで見つめている。その様子がいつもとは違っていて、本当にシオンなのかな? と思ったアンナが確かめてみようと歩を踏み出すと、キュッとコートの裾を引かれ制止された。


 びっくりして背後を振り返れば、息子のハリーが綱引きみたいに裾を引っ張っていた。どうやらあっちに行って欲しくないらしい。戸惑っていると、シオンはやって来た恰幅のいいおじさんと一緒にどこかへ消えてしまった。その媚びるような顔を見ただけで、彼女が本当は何をしているのかすぐに分かった。夜勤なんて言ってたのは大嘘で、本当はそっちの仕事をしていたのだ。


「いくら食べ物は貰えても、家賃は払わなきゃならない。他にも必要なものはいくらでもある。でもこの街で異邦人に金を稼ぐ術は殆どない。あるのは金持ちと、そのおこぼれに群がる貧乏人だけさ」


 彼は暗がりに消えていく母親の後ろ姿を見ながら淡々とした口調でそう言った。確かまだ6歳と言っていたが、とてもそんな風には見えなかった。その目は何も映しておらず、まるでプラスチックみたいだった。


 考ればアンナみたいな根無し草はまだマシな方だった。もしもこの街でやって行けなくなったら、また旅に戻ればいいだけなのだ。でも彼ら親子は違う。この街で生きていかねば、本当に路頭に迷ってしまうのだ。


「金、金、金、金さえあれば、この街ではなんでも買えるんだ」


 出会った時、彼はアンナのギターを盗んで逃げた。アンナは追いかけ、それが縁でシオンと出会ったわけだが……今日も彼は手足を傷だらけにして金目の物を漁っていたのだろうか。それはきっと、母に仕事をやめて欲しいからだった。


 ふと、自分がビテュニアの宮殿を飛び出した時のことを思い出した。彼女もまた、彼と殆ど変わらぬ5歳だった。そう思うとその横顔が、過去の自分と重なって、やけにリアルに見えた。


 もちろん、アンナも母の過去をちゃんと知っていた。宮中にいた頃、陰口を叩く貴族が後を絶たなかったからだ。


 アスタクス方伯の三人の息子たちは早逝し、後継者問題は宮中の人々を、特に方伯の孫たちを悩ませていた。彼らは領地を与えられず宮殿に住まわされ、なのに方伯は跡継ぎをいつまで経っても決めずに、孫娘くらい年の離れたアナスタシアと、その娘のアンナのことを可愛がっていたのだ。


 そのアナスタシアが居なくなって、アンナだけが宮中に残されたあと、母を失った彼女を気遣う祖父の姿を見て、孫たちは危機感を覚えたのだろう。普通に考えればそんなこと有り得ないのに、彼らはアンナに王位を簒奪されるんじゃないかと焦り、彼女を厄介払いしようと画策し始めたのだ。


 実を言えばアンナは父を引き合いに魔王の娘と罵られることよりも、母を売女だと悪しざまに言われたことのほうが、よっぽどトラウマになっていた。聖女などと言われているが、おまえの母親はただの売春婦だったのだ。おまえも商売女の血を引いている、汚れた存在なのだ……


 その言葉は呪詛のように脳にこびりついて未だに離れていなかった。だから彼女は魔王を倒したあとも勇者として故郷には凱旋せず、逃げるように母と一緒に日本へ旅立ったのだ。


 生きるため、子供のためにやっている彼女らのことを、どうして人は見下したりすることが出来るのだろうか。アンナはシオンの背中を見送りながら母のことを思い出し、せめてここに居る間は、自分が出来ることはなんでもやろうと心に誓った。


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